― 第17話 ― 欲しいものは何でしょう
昼食としては少しばかり欲張りすぎたかもしれないと後悔しつつも、美味しいものを食べたいだけ食べられたし、久し振りに馬に乗り、綺麗な物や素敵な物を見て、今は満足感しかない。
「うぅ、さすがに少し食べすぎたかもですね……」
「だろうな」
「採寸したドレスが着られなかったら困りますので、帰ったら素振りをしましょう……」
イシュトヴァルトはそれで良いのかといった視線で見るが、ルカは気にしないことにした。
「日も差してきましたし、ポカポカして眠くなってしまいますね」
周囲に響く客を呼び込む店主の声と、買い物や談笑に興じる人々、ぐるっと視線を巡らせれば町中に生きる事を楽しむ様子が映る。
こんな光景は、ずっと見ていなかった気がした。
穏やかな日常の風景とはこんなにも心安らぐものなのだなと思ってしまうほどには、久しく味わっていなかった感覚だ。
「あ……」
ふっと視線が引き寄せられたショーウィンドウの前に小走りに寄ってみると、そこには黒のベルベットのヒールと揃いの髪飾りが置いてあった。
派手ではないのに存在感のあるオパールのビジューが付いており、陽光でキラキラと七色に反射するそれを眺めていると、そのまま吸い込まれそうになる。
髪飾りの方も美しく繊細なのに、どこか脆さも備えたような不思議な魅力を放っている品だった。
(なんだか、殿下みたい……? 綺麗で、存在感もあるのに、どこか寂しさを思わせる感じね)
いつまでも見ていられそうな、そんな気がした。
角度によって放つ光の変わる宝石の輝きを、どのくらい眺めていただろうか。
ルカの肩越しにショーウィンドウを覗き込んだイシュトヴァルトの、耳に心地いい声音が響く。
「欲しいのか」
(……欲しい?)
ただ綺麗だなと思う、これが欲しいと思う気持ちなのかはいまいちよくわからない。
物欲のなさに自分で心底呆れてしまう。
そして結局、今必要かどうかで判断してしまうのだ。
「……いえ、このような上等な品を使う場所が、今はないことを思い出しました」
どちらかといえば夜会などのパーティー用で、普段使いには向かない靴だ。
髪飾りも同様で、離宮に引きこもる今のルカの生活スタイルではずっと宝石箱の中にしまい込む羽目になってしまう。
このような素敵な一品は使ってこそのものだろう。
しかし、イシュトヴァルトはどうも腑に落ちないらしい。その理由は、ルカがここまでもずっとこんな感じで、見て回るばかりで何も買おうとしないことに要因があるのは明確だった。
「結局、眺めて回るだけで何も買っていないな」
「あら、我儘を言ってお昼ごはんをたくさん買っていただきましたよ?」
「あれは買い物の部類に入らんだろ」
可愛いものも、綺麗なものも、見ているだけで幸せになれる。
だから今日の町巡りにはとても満足しているのだ。
「んー……、あれが買い物に入らないとなると、中々困ってしまいますね。すみません、欲しいものが思い浮かばず……」
「謝る必要はないが」
欲しいものがこれといって浮かばず、無駄にねだるような性分でもない。
そもそも、これまで何かを欲しいと強く願ったことがあっただろうか。
(……あぁ、一度だけあったかしら……欲しかったもの)
五歳ぐらいのときの記憶が蘇る。でも確か、その時も実際に言葉にはならず、ルカの心の内で燻って消えた。
正確に言えば、願っても手に入らず、お金で買えるものでも無かったから捨ててしまった望みだった。
「そう言えば、昔の話になりますが……家族が欲しかったことはありましたよ」
「また面倒なものを……」
「ふふ、そうですね……やはり人は手に入らないものほど、欲しがる生き物のようです」
ルカは、物心つく前に実の親に捨てられている。
養親だった先代領主はもちろんルカを可愛がってくれたし、家族のように接してくれる人は城内に他にもたくさんいた。
ただ、やはりどこか本当の家族とは違うといった感覚を持っていたのだ。
例えばそれは、先代と自分の容姿が似ても似つかないことに気が付いたり、将来、領主の座を正式に引き継ぐことは出来ないのだと聞いたときなどに、如実に思い知ることになった。
「そのような複雑な顔をなさらないでください。買えないものをねだるわけがありません。何か別なものを考えましょう……そうですね、例えば……」
「……」
幼いながらに聡明だったルカは、その歳で既に癇癪をおこし家族がほしいと我儘をいうほど子どもではなかった。けれどもちろん、こういう家族関係もあると納得できるほど大人でもなかった。
結局、成長するにつれ自分自身によって仕方がないものだと消化され、諦めという箱の中に捨てるように放り込み、忘れることで納得させていたのかもしれない。
なにも、今更そんなことを思い出さなくても……とは思うが。
「あぁ、そうですイシュトさま。よかったら針と糸と、それから布を買っていただけませんか?」
その昔の話を思い出した事に少々驚きながらも、感傷に浸るするでもなく淡々と思考を処理して、今すぐ必要な物がなかったかどうかを考える。
どうにか捻り出すように欲しい物を伝えると、イシュトヴァルトは何も言わずに、それらが買える店までを案内してくれたのだった。
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