― 第11話 ― お腹が減っては執務は出来ません

「お前、そんなことより明後日の予定を空けておけ」

「……明後日ですか?」

「城下に出る」


 一拍置いて、今度はルカが若干の面倒臭さを漂わせていう。


「殿下、そんなサクッと簡単にいうことじゃないと思いますが……」

「特に難しくもないだろう」

「難しいとか難しくないとかではありません。先程あれだけ騎士の方々にプレッシャーをかけておいて、更にそれを試すような事をなさる……」

「だからどうした」


 これはもう、何が起こるか知った上で言っているなと理解したルカは、それ以上の問答を放棄した。


「……いいえ。殿下はとてもお優しいなぁと思っただけです」

「……」


 城下に下りるということは、必然的に城内にいるよりも危険度が増す。

 今日、ルカの護衛を引き受けていたのはグウェンとユリウスという近衛騎士の二人で、まだ若いものの腕は確かと聞いていた。しかし、若いが故に経験は浅いとも聞いている。

 護衛のローテーション的にはおそらく明後日もこの二人組みである。

 そんな二人が、城内に下りるとイシュトヴァルトが言った途端に顔を引きつらせたのは背後にあって見えていないものの、なんとなく察するルカである。


(今の私は、明らかにどこかの誰かに監視されているでしょうに……)


 城内にいるから何も起きていないが、一度警備の薄い城外へ出たら、その後どうなるかを想像するのは難しくはなかった。

 とはいえ、これも経験だというのならまぁ……とルカは考える。

 誰にだって初めてはあるし、要人警護は騎士の任務としてはよくある話で、嫌でもやらなければならない仕事のひとつだ。

 全くの無力かつ非力な護衛対象という、なかなか難易度が高い警護が初任務になるよりは、練習のつもりでルカを使うのが多少の失敗をしようが問題ないと判断されたのではないだろうか?


(ある意味で殿下の優しさよね……)


 優秀な近衛の育成という意味ではいいかもしれないが、如何せん婚約者の使い方を間違っている気がする。

 そんなことを思いつつ、ルカが溜め息をつくのと同時に、イシュトヴァルトが口を開く。


「……グウェン、ユリウス」

「「はっ」」


 厳かに名前を呼ぶその声音だけで、ルカですら背筋が伸びるような刺激を受けるのだから、配下の者は大変である。

 呼ばれた両名は騎士の敬礼をしながら微動だにせずに主君の言葉を待っていた。


「護衛対象に守られることのないよう、気合を入れることだな」


 それだけを伝えると、イシュトヴァルトはもう興味もなさそうに視線を外してしまう。

 再び背を向けて歩き出そうとした彼を眺めながら、そう言えば……とルカは無意識に腕を伸ばすと、掴んだ布地をくいっと手前に引っ張った。

 珍しいことに、その行動に思い切り不意を突かれたのか、外套の裾を引かれたイシュトヴァルトが、一瞬体勢を崩しながらも足を止め、振り返る。


「……おい」

「ふふっ、素晴らしい体幹ですね。倒れるようならお支えようかと思っていましたのに」

「……まだ何かあるのか」


(あら、殿下もこんな表情をなさるのね)


 眉根を寄せる不本意そうな表情が面白い。

 声にも顔にも出さずに、ルカはそんなことを思う。

 表情がない、反応が薄い、何を考えているのかわからない……そう言われているイシュトヴァルトであるが、ここ数日の様子を見ている限り、そんなことはないのでは? というのがルカの所感である。

 ちゃんと感情はあるではないか、今みた表情のように。

 不満をこぼし、不本意に顔を顰め、時々意地悪気に笑みを浮かべる。

 多少読み取りにくい事もあるが、普通の人だ。


「いえ、その……お腹すきませんか? 侍女にお昼を持ってきてもらうようお願いをしておいたのです」

「……」

「良ければご一緒に」


 再度引き止めたルカが何を思い出したのかといえば、イシュトヴァルトがお昼の休憩を使ってここを訪れていたということだった。

 もうほとんど食事をする時間はないのかもしれないが、何も食べないよりは軽くでも何か口に入れたほうがいい。

 多忙なはずのイシュトヴァルトがこれからお昼を食べるつもりがあるのかもわからないし、今から食堂へ向かうよりは、持ってきてもらったルカの分を渡す方が確実で早くて楽だと思ったのだ。

 こんな形でイシュトヴァルトをお昼に誘い出したのは、後にも先にもルカだけであったという。


「あ、ほら。ちょうど来ましたよ」

「……」


 遠くに、ルカの世話に付いてくれている侍女の姿が見える。

 数人付いてくれている侍女の中でも一番最初に仲良くなったシルフィーゼという侍女は、ルカの要望通りにバスケットにランチを入れているはずだ。

 実はシルフィーゼもその場で一緒に食べてもらうつもりだったため、要望した数は二人分なのである。


(申し訳ないけど、シルフィの分を殿下に差し上げましょう)


 愛称でシルフィと呼んでいる侍女に対してルカは心の中でこっそりそう謝罪し、その到着を待った。

 ちなみに到着したシルフィーゼは、訓練場の前まで来るとまずその場に皇太子イシュトヴァルトがいることに驚き、更に彼がランチに同席するということに驚き、しばらくパクパクと金魚のように言葉を失っていたのだった。


「シルフィ、ここがいいわ。ここに広げましょう」


 訓練場では雰囲気があんまりかと、執務に戻るイシュトヴァルトのことも考え、主城寄りギリギリの木陰に移動して持ってきたバスケットの中身を広げる。

 バスケットの中にはサンドイッチが二つと焼き菓子のような紙包みが二つ、フルーツと茶器が綺麗に納まっていた。

 さすがに地面に座るのはどうかとは思ったが、気の利くシルフィはちゃんと敷布を持ってきてくれており、二人座ってランチを広げてもまだ多少の余裕はある。


「……あら、シルフィお茶まで持ってきてくれたの? 重かったでしょう、ごめんなさい」

「いいえ、ルカさま。気にしないでください! 私、力はそこそこあるのです!」


 そうはいうが、見た目からして何とも可愛い侍女である……少なくとも、ルカよりよほど華奢なのだった。

 栗色の髪はふんわりとした癖があり、髪と同じような色合いの瞳はくりっとしていて小動物のよう。

 実家は伯爵家とのことで、それなりのお嬢様のはずなのだが、頼んだ仕事は何でもそつなくこなしてくれる頼もしい侍女である。

 どうも妹弟が多く、面倒を見るのが趣味のような感じもあるらしいのだが、ルカよりひとつ年下なので、ルカの方も妹ができたような感覚で接してしまう。

 実家では一番上であるシルフィにとって、それは姉ができたようでとても嬉しいとのことだった。


「ではルカさま、なにかご入用でしたらお呼びかけくださいね」

「うん。ありがとう、シルフィ」


 入っていたものを広げ終わると、シルフィは少し後ろに控える。

 護衛の近衛騎士たちも、剣豪たるイシュトヴァルトが同席しているためあえて距離を取って待機しているので、その場にはルカとイシュトヴァルトの二人だけだ。

 果たして皇太子が城内とはいえ地面に引いた敷布の上に座るのかと思ったりもしたが、その辺はそんなに気にならない性分らしかった。

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