― 第12話 ― 甘いものはお好きですか?

 敷布ギリギリの辺りに腰を下ろす様子を見ながら、ルカはひとり納得をする。


(まぁ、皇太子とはいえ軍属だものね……遠征で直座りなんてよくあることなのでしょうし)


 むしろ布が敷いてあるだけマシともいうのかもしれない。

 大人しく腰を下ろしたイシュトヴァルトは無表情であったが、ルカは構わずに話しかけていく。


「あ、殿下。良ければこちらを食べてみてください。余りがちなパンを美味しく食べられるようにしたいと料理長が悩んでいたので案を提供したものなのですが……もう少し改良したくて」


 そう言いながら、サンドイッチの横に添えてあった紙包みを少し開くと、中から出てきたのはこんがりと焼けたケーキのようなパンのような物だ。


「置いておくと固くなってしまうパンを、卵と牛乳に漬け込んでからバターで焼いたものなのですが、ケーキより手軽に作れて美味しいんですよ」


 表面には粉砂糖がまぶされており、見た目にも可愛らしいそれをイシュトヴァルトの目の前に差し出そうとして、ルカはハッと手を止めた。


「あ、毒味しないとですよね。すみません、僭越ながら私が先に……」

「……待て」

「殿下? あ、ちょっと駄目ですって! まだ毒味が……っ」


 虚空に浮いたままだったそのルカの手を掴んだイシュトヴァルトは、まさかとは思ったが、止める間もなくそのまま菓子パンを自分の口まで運んで齧り付いてしまう。


「殿下ぁ?! な、なんで先に食べるんですか!!」

「うるさいぞ……そもそも侍女も騎士も近くにいるのになぜお前が毒味する必要がある」

「ええ……それは、その……」


 万が一毒が混入していた場合、シルフィやグウェンやユリウスにその被害者になってほしくないからだが、普通に考えるとその思考がおかしいことはルカも理解している。

 通常、皇太子のイシュトヴァルトとその婚約者であるルカより優先される命ではないからだ。しかし、解っているものの納得できず、モゴモゴと口ごもるルカを見て、イシュトヴァルトは溜め息をつく。


「まぁいい、考えていることはわかる」

「だからって殿下が食べてどうするんですか……。何かあったら取り返しが付かないんですよ? 苦しいとか、気持ち悪いとか、ないですか」

「……特に問題ない」


 不安げな様子のルカを横目に、イシュトヴァルトはそんなに心配するなと呟いた。


「お前の周りに付かせる城の者は、その素性を徹底的に調べてある。お前の侍女はお前に懐いていて危害を加えるように見えないし、わざわざお前が食べるものになにか混入させようとするようにも見えん。パンの調理法について相談した離宮の料理長も同様だ。グウェンとユリウスはバスケットに触れてすらいない……その状況から、毒味の必要はないと判断した」


 それに……とイシュトヴァルトは続ける。


「俺は多少の毒物になら耐性がある……。一口食べた程度で、すぐにどうこうなるようなことはない」

「それは……まぁ、そうかもしれませんが……」


 実のところ、ルカだって同じようなものだ。

 立場上、暗殺の可能性が高い分だけ、対策として毒への抵抗を付けている。

 ルカの場合は先代領主の指示を受けながら、よく使用される可能性の高いものを優先に耐性を付けた。

 だからこそルカも先に自分が食べるべきだと思ったのだが、間違いなくイシュトヴァルトもそういった対策をしているはずだというのはすっかり失念していた。


「この城でいちいち食べるものを毒味をさせていたら、そのうち犠牲者で国が作れるな」

「なんて恐ろしい……」


 複雑な表情を浮かべるルカを眺め、くくっと自嘲を含む小さな笑い声を立てながら、イシュトヴァルトはいう。

 それを、遠目に見ながら話し声だけを聞いていたグウェンとユリウスは珍しい……と思った。

 イシュトヴァルトが自嘲気味とはいえ冗談をいうところなど、仕えはじめてから初めて聞いたからだ。

 ルカが城へ来てからというもの、本当に珍しい事だらけである。


「ルカ、そんな顔をするな」

「殿下の言い方は冗談に聞こえません……」

「ある程度毒物への耐性が高い俺に毒殺の効果は薄い。わざわざ危険を犯して毒を盛る奴はほとんどいないし、俺が食べるものに関して言えば無意味に毒味はさせていないぞ」

「まぁそれでも……心配することは、許していだきたいです」


 先程、ルカは本当に心配した。

 皇太子に何かあったら取り返しがつかないのはもちろんだが、ルカは皇太子がどうとか関係なく、ひとりの人としてイシュトヴァルトにもし何かあったらと、その体調を心配した。それだけは、彼に分かってもらいたかった。

 話しながら今も、怒る恐る体調に異変がないのかどうかを観察している。


(顔色は悪くない。呼吸も普通……意識もハッキリしているし、吐いたりもしていない……)


「本当に何ともないのですね……?」

「ない」

「ならいいです……。もう少し食べられそうですか?」

「ああ」


 失っていい命などない。

 気に入らないから、邪魔だからという理由で、生きることを誰かに阻止されることは、本来あってはならない。

 それでもそういったことが起きるのは仕方がないから……せめて心配ぐらいはさせてほしいと、ルカは思う。


「実はこの菓子パンにさらに蜜をかけたりするといいかなと思っていまして。ただ、そうなると片手で手軽には食べられなくなるのです」

「不味くはないが、甘いな……ここから更に甘くする必要はあるのか」

「あら、殿下は甘いものがお嫌いでしたか。侍女たちには人気でしたが」


 離宮で仕事をしている使用人の食事は量も質も十分ではあったものの、甘いものは出ないのだとシルフィが言っていた。

 それを聞いたルカは、余ってしまったパンを使用し、お茶菓子としてこの菓子パンを用意してもらったのだ。

 侍女にお裾分けと称して振る舞ったところ、特別なご褒美感が出るとかでとても好評だった。


「嫌いではないが好んで食べはしない」

「……それは嫌いというのでは?」

「食べろと言われれば食べる」


 しかし、甘味好きな女性には物足りなくとも、男性には確かに甘すぎるのかもしれない。

 好きでないなら無理しなくて良いのに……と苦笑しながら腕を伸ばし、食べかけの菓子パンを取り上げる。


「殿下、無理に食べなくて大丈夫ですから。普通にサンドイッチの方をお食べください」

「……確かもうひとつあっただろ。それと、それも返してもらおう」

「それは私の分です。……あ! ちょっとどこに持っていくんですか……!」


 すると、もうひとつあった包みを拾い上げられたばかりか、不覚にもルカが取り上げた菓子パンまで再び奪い返されてしまった。


(別にいいのだけれど、苦手なものをどうする気なのかしら?)


 そのまま敷布から腰を上げたイシュトヴァルトは、ルカの伸ばした腕を難無く回避し、サクサクと下草を踏みながらその場を離れていく。


「甘いの苦手なのにどうなさるんですか……」

「試しにルーシャスにでも食べさせるさ」

「……そうですか。ではルーシャスさまのご意見も聞いておいてくださいね」


 ブーツを履いたまま敷布の端に腰を下ろしていたイシュトヴァルトと違い、しっかりと座り込んでいるルカは靴を脱いでいる。

 すぐに追いかけられないものの、追いかける必要もないかと潔く諦めた。

 そもそも、もう執務に戻らなければならない時間なのだろう。

 だいぶ引き止めてしまいはしたが、何も食べずに仕事をすることにはならなそうで一安心である。

 イシュトヴァルトが去りがけにグウェンとユリウスに視線をやり、彼らが無言で頷いてルカの側へと少し寄る。

 お昼を食べてもらうという難易度の高いミッションを成し遂げて満足したルカは、少しだけ待ってからシルフィを呼んだ。

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