― 第10話 ― 訓練場にお邪魔します

 そんなこんな色々あっての翌々日。

 ルカは今日こそはと騎士団の詰め所に赴いて、道場破りよろしく乗り込むと、身体を動かしたいので半日訓練に混ぜてくれないかと打診した。

 もちろん、詰め所内は驚愕の嵐である。


「あの、イシュトヴァルト殿下の婚約者さまともあろう御方が、ここで我々と一緒に訓練を……?」


 おそらくは騎士団の中でも隊長職を担っていると思われる精悍な顔つきの大柄な騎士は、戸惑いを隠せない様子でルカに問い返す。


「はい。基礎訓練だけでいいので、少しだけ混ぜていただければ……足を引っ張るようなことにはならないと思うのですが」

「し、しかし……」


 グレイシアを視察する名目でイシュトヴァルトが訪れた際、彼が連れていたのは極少数の自分の近衛騎士たちだった。

 故に、ルカがイシュトヴァルトに手合わせを申し込み対峙したのを、詰め所の大半の騎士は目にしていない。

 今、ルカの護衛についている近衛騎士たちはイシュトヴァルトの配下の者なので、一応ルカの腕は知っているのだが、目の前の大柄な騎士にどう進言するべきかは迷っているようである。


(それはそうよね……。一国の皇太子相手に手合わせしている人なので大丈夫ですなんて、信じろという方が無理な話し……)


「では、素振り程度を訓練場の端の方でやらせていただく……というのはどうでしょうか?」


 危なくない範囲で、邪魔にならないようにする。

 そう頼み込むルカに、最終的に断わりきれなくなった騎士は、まぁそのぐらいなら……と渋々了承して訓練場まで案内してくれたのだった。


「さすがに、軍事大国だけあって騎士の練度が高い……」


 騎士ひとりひとりの腕の平均値が高いということは、国全体として強いということである。

 ただ、見たところ騎士の人数は国の規模の割に多くないように見えるのが不思議で、おそらく一人の練度が高い分だけ少数精鋭で成り立っているということなのだろう。

 訓練に励む騎士たちを横目に、ルカも黙々と素振りを繰り返す。

 愛剣は持ち込むわけにもいかないかと、訓練用の木剣を借り受けたが、長さが合わないのでいまいち扱い難い。


(木剣もあとで自分用に木材から削り出すべきかしら……)


 素振りなどの基本的な動作は問題ないものの、手合わせをするとなると上手く取り扱える自信がないな……などと考えていたため、その分一瞬だけ反応が遅れてしまった。


「……っ……?!」


 ふっと間近に湧いた殺気に、反射的に身体が動く。

 鈍い音を立てて交わった木剣の向こう側に見えたのは、翻る黒衣。

 少しばかり意地の悪い表情をしたイシュトヴァルトが、そこにはいた。


「……あの……っ、なんのお戯れですか、イシュトヴァルト殿下……、」

「ふ……、受け止めるか。さすがだな」

「今の、ちゃんと寸止めする気ありました……?!」

「さてな」


 間近まで気配を殺して迫っていたらしいイシュトヴァルトが、突然ルカに攻撃してきたのだと気が付いたのは、両手で支えた剣でもって、相手のそれを眼前で受け止めたあとである。


 放たれた殺気は既に消失しており、本気でルカに危害を加えるつもりはなく、ただ単に気配に反応させるためだったのだということがわかる。

 木剣同士とはいえ、皇太子が自身の婚約者に斬りかかるというあまりの突然の事態に、訓練中だった騎士たちは状況を飲み込めていない。

 護衛の騎士たちもイシュトヴァルト相手に仲裁に飛び込むわけにもいかず、遠巻きに眺めているにとどめているようだ。


(……重い、っ……)


 咄嗟に構え、交えたままの木剣をぐぐっと押され、ルカは倒れ込むまいとゆっくりと後ろに一歩下がった。

 体格差に加え、突然仕掛けられたために半端な体勢で受け止めたのも相まって、反撃もできずにそのまま更に後ろに追い立てられていく。


「……ぁ、壁……?!」

「……」


 とんっとルカの背が訓練場の壁に当たる。

 これ以上は下がれない、それに、剣を支える腕も限界である。

 距離を取れなくなったルカを眺める黒曜石のような瞳が、新しい玩具でも見付けたような、なんともいえない光を放っているように見えた。


「……殿下……腕、腕がもう……、っ」


 降参を訴えると、イシュトヴァルトはそのままルカを覗き込むように顔を寄せる。

 間近に見えた形のいい唇は、面白がるかのようにわずかに弧を描いていた。


「……なるほど、腕は立つが、やはり少々問題があるな」

「……っ、……な、何のお話ですか……」


 そして、ふっと圧が去って身体の距離が開く。

 一体何なのかと、痺れて感覚の鈍くなっている腕を軽く揉みながら、ルカはイシュトヴァルトの言葉に首を傾げる。


「お前は力で押されると圧倒的に不利だな。一対一ならまだしも、力量差のある複数人相手には、先手を取れないと状況的に優位に立つのが難しい。持久戦にも向かない」

「それは重々心得ております。ですので、極力複数を相手にせぬよう立ち回る事と短期決戦を意識はしていますよ?」


 自身の持っているデメリットは理解していたので、とりあえずそう返すと、イシュトヴァルトは更に続けてルカに問いかけた。


「……もし仮に、動けなかった場合はどうする気だ」


(……んん、これは、戦術の知識についての確認をされている? 今の質問は、例えば足を怪我した場合など、ってこと?)


 確かに、戦場において正々堂々なんて状況はほとんど無い。

 負傷や孤立など、劣勢の状況においてどうやって生き残るかを考えておかなければ、即座に命を落とす、そういう世界だ。

 そういった場合にどう対応するのが正解か、状況にもよるとは思うが、一応ルカは対応策を持っている。


「それについても、手はあります。秘策なので今ここでお見せはできませんが……ある程度抵抗は可能なはずです」

「明かすつもりはないか」

「もちろんです。いつまた殿下が私に襲いかかるとも知れませんので、隠し玉は機を狙って使わないと意味がありませんから」


 すると、イシュトヴァルトは多少眼を瞠るような表情を見せ、満足そうにくくっと笑う。


「抵抗する気満々なのは面白いな」

「むしろ、なんでそのままやられなければならないのです」

「大人しく嘆願する路線も残しておけ」

「……まぁ、殿下以外が相手でしたら、考えてはおきます」


 かと思えば、ルカのその応えに、一瞬だけ渋い顔をみせるから不思議である。


「それは残念だな」

「そもそも、殿下に嘆願など無意味でしょう……」

「お前相手なら考えてやらないこともないが」

「ご冗談を……」


 大体、イシュトヴァルトのような剣豪は滅多にいないし、これまでもルカは抵抗が難しいと思われる相手にあったことがない。

 こんな状況に陥るのはイシュトヴァルト相手が初なのである。

 悔しいと思う気持ちももちろんあるので、そのうち一矢報いてみたいとは考えているものの、現状では難易度が高すぎるように思う。


「……さて、今見た通りコイツには俺の殺気に瞬時に反応して対応するだけのそれなりの腕がある。怪我の心配も必要以上の丁寧な扱いも不要だ。ここを訪れた時は好きにさせておけ」


 気が付くとイシュトヴァルトは、訓練場にいる騎士たちに向かってそう告げているところだった。

 承知したとばかりに頭を下げる騎士たちの合間を縫って、そのままイシュトヴァルトは訓練場を出ていこうとする。


「ぇあ?! で、殿下、お待ち下さい……!」

「……なんだ、やかましい」

「ぅ、だって何かご用事があっていらしたのではないのですか……」


 ルカに襲いかかって去るだけとは、なんともおかしな話である。そう思っての発言だったが、イシュトヴァルトは何だそんなことかといった様子だ。

 呆れ半分、面倒臭さ半分ぐらいの表情で溜め息をつくと、腕を組んでルカの方へと身体を向け直す。


「婚約者が訓練場に乗り込んで来ているが大丈夫なのかと、騎士団長が真っ青な顔で執務室に走り込んできた」

「それは……ご迷惑をおかけしました……」

「いくら大丈夫といったところで納得しないのなら、見せるほうが早いと判断したまでだ。ルーシャスからもちょうど昼の休憩にするからと許可が出たしな」


 つまり、イシュトヴァルトがこの場に来たのは明確にルカのせいであるということだった。

 ルーシャスに許可を取って、お昼の休憩を犠牲にして。これはもう、申し訳が立たなすぎる。


「すみません……。二日に一回ほど訓練場に足を運ぶのはグレイシアで当たり前の生活だったもので、素振り程度でもしないと落ち着かなくて……」

「理解はできる。やるなとは言わん、が……程々にしておけ。あまりに実力を露見させると、お前につけている騎士が自信をなくしそうな勢いだ」


 ついっとルカの後ろに視線を送るイシュトヴァルト。

 背後には、ルカの護衛を任されている近衛騎士がいるわけで、視線を受けたその者たちが即座に緊張したのが、発せられる気配でありありと感じられた。


「わわっ、ごめんなさい……! 別に騎士の皆さまを信用していないわけではなく……! もう、殿下もそんなプレッシャーをかけるような事を言わないでください、騎士の方々のせいではないのですから!!」

「そのうちお前が騎士を守ることになっても俺は驚かんな」

「殿下ー!!」


 自身のせいとはいえ、あまりにも騎士が不憫であると庇う様子を見せたルカに、騎士たちからの好感度は一気に上がった反面、イシュトヴァルトは面白くなさそうな顔をする。


 また、これはあとから聞いた話であるが、こんなにも真正面からイシュトヴァルトに反論する様子に、感動を覚えた者もいたらしい。

 この方が皇太子妃、ゆくゆくは皇妃になるなら何も恐れるものはないとまで思ったと聞いたルカは、そんな大層なことはしていないのに!? と、小さく悲鳴を上げたのだった。

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