― 第8話 ― 些細な事でも楽しみです

「もし懇意にしていた仕入先があるなら言え」

「あ、はい……って、え……? いえ、その、私も別にこれといって抱えていた商人がいたわけでもないばかりか、殿下と同じく買い物なんてかなり久し振りといいますか……」

「……」

「お任せしますとしか言えないといいますか……。本当に、選り好みする気はないので、お気になさらず」

「……お前は自領で一体どういう生活をしてきたんだ」

「えぇ……なんですかその視線は……」


 イシュトヴァルトは胡乱げな表情である。

 言い表わすとするなら、買い物に興じない貴族の女などいるのか……そんな感じだろうか。

 酷く珍しい生き物を見るような視線がとても痛いが、ルカにだって言い分はあるのだ。


「い、一応言い訳させてもらいますが、グレイシアは冬場は雪に閉ざされ、あまり外に出ることができない分、室内にこもって刺繍や毛織物や木材などの工芸品を作って過ごすのです。特産品として市場にだせる程に質が高いので、そういった品を領城でも購入して使っていただけで、そんな質素倹約極貧生活だったわけじゃないですからね?」


 言いつのりながら、幼い頃に見た先代領主の姿を思い出す。

 領城で使用していれば賓客への特産物のアピールにもなるし、領民の営む商店から購入すれば徴収した税金のいくらかでも還元できて一石二鳥なんだ……などと、ニコニコしていたのをルカは朧気ながら覚えていた。

 結局、ずっとその考えのもと育ったので、わざわざ特定の商人を呼びつけて品々を買い漁ったり、他領の物を積極的に取り入れるという頭がなかったのはある。


「あとは単純に、ここ数年はゆっくりと買い物を楽しむような時間がありませんでした」


 今更ながらその事実に驚き、思わず苦笑してしまった。

 お茶を飲む時間が勿体なく、時には睡眠時間すら削るような生活だった。


「常々休暇を取るようにとは言われていたのですが、時間は有限。やらなければならない優先事項が多く、どうにもそういった娯楽の類は後回しに……」


 なんせ、物心ついた頃から領地経営の勉強をはじめ、貴族としての振る舞いや淑女としてのマナーの講習を受ける傍ら、騎士に混ざって剣術も修得した。

 他にもまぁ色々と手を出したが、買い物をするというのは、執務をするにあたって必要なことのリストに一度も入らなかったのだ。


「ふふっ、なので変な話ではありますが……ゆっくりと買いたいものを選べるということ自体がとても楽しみなのです、殿下」


 リボンの一本、ハンカチの1枚でも、ルカが自分のために何かを買った覚えはついぞない。

 強いて上げるなら、先代領主の誕生日が近いから……と、ガインと一緒に城下の視察に降りた際、花売りの女の子から小さな花束を買ったぐらいだろうか。

 遠い遠い、昔の話のように思う。


「そう言うわけですので、本当に、何でも良いのです」


 ルカだって、可愛い物や綺麗な物に標準的な興味はある。

 しかし、自身にそういったものが必要かどうかの基準で考えると、別段細部にこだわらず使えればいいにおさまってしまうのだった。


「手配いただけるのなら、何でも」


 重ね重ね言い、穏やかに笑うルカを見つめていたイシュトヴァルトは、何か納得したようにわずかに息をついてルーシャスを見やる。


「ルーシャス、その他の手配はしなくていい。その代わり、数日後のスケジュールを丸一日こじ開けろ」

「承知しました」


 指示に対して深々と頭を下げたルーシャスは、ルカをみてニコリと笑う。


「ルカさま、ひとまず本日中にドレスの仕立てが行えるよう手配をさせていただきます。それ以外については追ってご連絡申し上げますので、ご不便おかけしますが、今しばらくご辛抱いただければ……」

「全然、不便でもなんでもないですから、大丈夫です」

「ありがとうございます。では一度、このあたりで執務に戻らせていただきますね」


 物はなければないでなんとかなるなどと考えている間にも、既にイシュトヴァルトはルカに背を向けて歩きだしている。

 軽く会釈して後を追うルーシャスと、早足に去っていくイシュトヴァルトの背が見えなくなるまで見送り、この後どうしたものかと考えたルカは、結局身体を動かす予定を翌日に持ち越して来た道を戻ることにした。


 * * *


 その日の午後に待っていたのは、早速手配されたドレスの仕立て人と共に離宮の一室に押し込まれ、人形よろしくアレやコレやと布を合わせて採寸されるのをただひたすら耐えるだけの仕事である。


「こっちの色も捨てがたいです……」

「この色ならこの靴を」

「春先用にこの色でも一着あったほうが」


 この布の色味が瞳に合うとか、髪に合うとか、この柄や模様にはこの飾りのレースが映えるとか、職人と侍女が相談しているのを意識半分で聞きながら、片っ端から仕立てることが決まっていくのを間近に見たルカは、ひっそりと頭を抱えたくなった。


(王宮の抱えている仕立て職人が作るドレスは、一着あたりの金額が既製品の比ではないでしょう……?!)


 既に何着分仕立てる事が決まったのか数えたくもない。

 繊細なレースや上質な生地に、どのぐらいの価値があるのか正確に知らなくとも、手触りで高品質とわかるそれが安いわけがないのだ。

 支払い額の計算などしたくはないが、しかし持ち込まれた生地の全てを使うぐらいの勢いに、慌てて侍女を通してルーシャスに連絡してみたものの「殿下からは特に何も言われておりませんし、これでもまだまだ少ないのでは?」などと返事があって押し通されてしまった。


(ドレスだけで一体どれだけ殿下の私財を出させてしまったのかしら……)


 色々なことが重なり、考えるのが億劫になるほど疲労困憊しながら、あっという間に時間が過ぎていく。

 採寸を終えて疲れ果てたルカは、夕食もそこそこに自室に戻ると、そのまま倒れ込むように寝てしまったのだった。


 ちなみに、午後だけでは時間が足らず持ち越しとされ、結局翌日も朝から採寸と色合わせに費やされることになったのはまた別の話である。

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