― 第1話 ― 領主代行のお仕事

(まぁ……だからといって何が変わるでもないのだけれど)


 砦の上から、深い青色をした瞳で遠方を眺めながら、ルカ・マグノリア・フェンリースは溜め息をついた。


 乾いた風が、青味がかった白銀の髪をふわりと揺らし、シンプルな刺繍の意匠が施されたスカートの裾をわずかに遊ばせる。

 生地は上等だが、装飾の類は一切なく、フリルやレースも付いてない。一見するとどこにでもいる町娘のような装いである。


 貴族階級の令嬢の基準からするとあまりにも質素なその出で立ちは、本人が飾り立てるよりも動きやすさを重視しているためだった。

 これが、ルカにとって日常的に着ている普通のドレスなのだ。


「ルカさま、ヴァルティア軍の一団がもう間もなくこの砦に到着するだろうと、監視塔の兵から報告が……」

「わかっています。民たちには家から出ないよう再度念を押しなさい。それからあなたたちも無駄に騒がず、後ろに控えるように」


 報告に来た砦付きの兵にそう指示を出すと、ルカは再び遠方を見やる。

 まだ肉眼では確認できていないが、ヴァルティア軍が迫っているというのは事実で、ルカはそれを出迎えるためにこの砦まで来ている。


 元々、自身の領地であったこの地で、ルカは今から最後の仕事をしようと思っているところなのだった。


 ルカは、ここインレース国グレイシア領の領主代行者だ。

 正式な領主と認められていないのは、前領主がルカを引き取った養親という立場で血縁関係がないこと。まだ十六歳と若く、領主としての権利を正式に引き継ぐことが、法律上できなかったためである。

 新しい領主が赴任せず、ルカがその立場を追われることがなかった理由は、どうも前領主が色々手をまわしていたからと言われている。


 ともかく、前領主が二年前に亡くなって以来、ルカはその遺言に従って領主代行を担ってきた。

 領地を他者に奪われたくないという思いから、それこそ必死になって生きてきた二年間だったように思う。

 幼い頃から実の娘同然に育ててくれた先代の教育により、当時十四歳という若さながらもルカの領地を治める能力が高かったのは幸運だった。また、領民たちも先代の娘が必死で頑張っていると認めてくれた事もあって、これまで穏やかに統治を続ける事が出来ていた。しかし、それももう終わりである。


 立地としては辺境地であり、ヴァルティア帝国との国境沿いに位置するグレイシア領は、開戦の報が出た瞬間、即座に無抵抗の降伏を願い出ていた領のひとつであった。

 見方によれば自国への裏切りとも呼べるそれを、ルカが迷いなく決行したのにはちゃんとした理由がある。


 ひとつめは、国力差が激しくどう転んでも敗戦の筋書きしか見えなかった事実。

 ふたつめは、辺境であり国境沿いにあるグレイシア領は抵抗すればするほど、その後の状況が悪くなる可能性が高がかったという予測。

 みっつめは、ルカ自身、先代と領民に対しての情はあるが、国に対しての情が薄かったという個人的感情による判断だ。


 グレイシア領はヴァルティア帝国との国境を険しく高い山脈によって得ている。

 当たり前の話にはなるが、山があるということは標高が高く、冬が厳しいということだ。

 今の季節は秋に差し掛かっており、これから雪が積もる時期に戦争など……ましてや持久戦などしていたら、戦で死ぬより先に領民が飢え死ぬ。

 たとえ万が一戦争に勝ったとしても、領地の財や備蓄している食料などを戦争のために投入すれば、結果的に環境の厳しいこの領地では民の生活レベルを著しく下げる羽目になる。


 ルカにとって大事なのは国より領地と民であり、人々の生活を守るにあたっての損害レベルの損得を勘定した結果、即時全面降伏に至ったわけだ。

 もちろん、それに一切反発がなかったわけではないが、そこは最期の仕事と割り切って無理やり抑え込んだ。


 結局のところ、日々の生活に影響が出なければ領民たちは国の重要な指針が誰であろうとさほど気にしないのが現状なのである。

 この領地の所属する国がインレースだろうがヴァルティアに変わろうが、野畑を耕し、商いを行い、税を納める民の生活に変わりはない。もっと言うなら税を徴収するだけで、たいして還元に値する施策もよこさなかったインレース国の所属であるより、国力の高いヴァルティア国の所属である方がいくらかマシという可能性すらあった。

 敗戦して困るのは、領地を治めていた領主ぐらいのもので、その領主代行たるルカがそれで構わないと決めた以上、抵抗するだけ無駄というものである。


 そうして数日前にインレースが国として敗戦した後、ヴァルティア軍が自国へ戻る途中にグレイシア領の視察をするため立ち寄るという一報を受けた。

 さすがにそのタイミングでの視察は予想外だったルカは、取るものも取らず、親しい騎士だけを伴って、ほぼ身一つで街道の通る砦まで出向いたというのがここまでの流れである。


「軍を率いているのは、ヴァルティアの皇太子。イシュトヴァルト・レオス・ヴァルティア殿下……」


 インレースで降伏した他領の領主の中には、金銀財宝を差し出してすり寄り、逆鱗に触れ、どうか命だけはと命乞いを述べる間もなく斬られた者もいるという。


「死神と呼ばれる、冷酷無慈悲の皇太子……」


 おそらく、ルカの辿る運命とて例外ではないだろう。

 この首を落とす必要があるのなら、それは受け入れる所存でいる。

 しかし、ただ斬られて終わるその前に、ルカにはやらなければならないことがあるのだ。


「はぁ……どうか、一瞬でも先代様の期待に添えますように……」


 ルカがミドルネームとしてもらったマグノリアは、春に花を咲かせる花木の名であった。

 花言葉は高潔な心……先代領主の教えは、いつでも気高く、正しく生きること。

 自国を見限り、敗戦濃厚と判断して戦争を回避したルカの判断は、到底気高い生き方とは言えない。だからこそ、このヴァルティア軍の視察という機会を持って、その汚点を注ぐために、ルカは砦に立っている。


 ようやく肉眼でも見える位置まで来ていたヴァルティアの国旗をじっと数秒見つめてから、ルカはゆっくりとその場を後にした。

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