― 第2話 ― 初めまして死神様

「砦の門を開けなさい」


 短く端的な指示には有無を言わさない響きが伴っていた。

 重い音を立てながら石造りの門が動き出す。


 緩やかに開かれていく門の向こうには、ただの視察とはいえ、敵国のヴァルティア軍が詰めかけている。

 侮られてはいけないと背筋を伸ばし、顎を引いた。

 女性にしてはやや高い身長と、すらりとした手足のせいもあってか、十六歳という年齢に見合わない大人びた雰囲気を持っているルカだったが、切れ長の目で前を見据える凛とした佇まいは、その容姿と相まって神秘的な美しさをもたらした。

 後ろに控える兵たちはもちろん、ヴァルティアの一団の視線も一点に集めた事を、ルカは知る由もない。


 少し前まで背に流していた髪は、今は頭上で一つに結わえられ、時折吹く風に揺られてはキラキラと秋の陽光を反射させている。

 ルカについて民や兵に訊ねれば、穏やかにいつも笑顔を浮かべている人だと誰もが口を揃えて褒めただろうし、控えめな表現であっても優しく美しい令嬢だと答えただろう。

 それが今は、穏やかな雰囲気を一切棄て去り、美しさを損なうことなく領主代行としての雰囲気にガラリと変わっている様は、見ようによっては痛ましくもあった。


 さらに、今の彼女の装いには、令嬢らしさとは不釣り合いな印象を強くもたせる要因が含まれている。

 腰に下げられたそれは先代から渡された彼女の専用の長剣で、異様な存在感を放ちながらも静かに鞘に収まっていた。


 砦付きの若い兵たちは、ルカの物静かな令嬢らしい様子しか見たことがないため、その剣を珍しそうに眺めては、一体どうする気なのかとヒソヒソとささやきあっていた。

 しかし、護身のためにと称しながら先代から剣術を習っていたことを、古参の兵たちはよく知っている。

 そしてその剣の腕が、既に護身の域を超えたレベルにあることも知っていた。

 ただ、それを知ってなお、ルカがこれから何をしようとしているのかまで理解できた者は、ほんの数人しかいないのだった。


 古参の兵たちの中でもとりわけ年重の男が、ルカに静かに歩み寄る。


「……ルカ様、もう一度、お考えを改めませぬか……」

「くどいですよ、ガイン。決めたことです。私の希望は、あなたに私の最後の仕事を見届けてもらう、この一点のみです」

「しかし……」

「ガイン、もう黙りなさい。それと、前に出ないで下さいとお願いしたはずです。それとも、私の願いは聞き入れて頂けないのですか?」

「……」


 顔のあちこちに傷を持ったガインと言うこの老将は、先代の領主の代から仕えているグレイシアの猛将であった。

 ルカは幼い頃から可愛がってもらっていたし、もちろん剣術の稽古をつけてもらっていたこともある。


 そんな祖父のような存在に対して伝えた願いが大変残酷であることは、ルカとて理解はしている。けれども、ルカ以外に、兵と民を纏められそうな存在がガイン以外になかったのだから仕方がない。

 強面の割に気の優しい老将は、孫も同然のルカの願いを無下にできるはずもなく、悲しみに沈んだ表情で引き下がった。


 ゆっくりと開いた砦の門をくぐり抜け、ヴァルティアの一行が領地に踏み入る。


(高潔な心。気高く、美しくあれ。私は領地代行者、この領地と民を守るもの……)


 その先頭で馬に乗り、黒の軍服に身を包んだ男性の姿が見えるのと同時に、ルカは恭しく頭を下げた。


「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました……イシュトヴァルト・レオス・ヴァルティア殿下。グレイシア領主代行を務めております、ルカ・マグノリア・フェンリースと申します」


 ドレスの裾を広げ、凄絶なまでの美しさを保ちながら、余韻を残すように優雅に礼をする様子を、馬上の男は感情を感じさせない目で見下ろしながら口を開く。


「……ルカ・マグノリア・フェンリース」

「はい」


 復唱するかのように呼ばれた名前に、ルカは顔をあげずに呼応した。


「迎えは不要だと通達したはずだが……? 領主の処遇については追って知らせるとも通達したな。なぜここにいる?」


 ピシリと、空気が凍るような冷たい問いかけが降る。

 事実、背後に控えていた兵の一部は、その殺気すら含んだ鋭い問いと視線に思わず一歩足を引いたほどだった。


 確かに、事前にもたらされた書面には、領地は勝手に見て回るから領主は領城に引きこもって顔を見せるなと記載されていたのを確認している。

 要約すると、用はないから引っ込んでいろと……。


「通達については存じております。その上で私は殿下にお会いするため、こちらに出向きました」

「会ってどうする。俺はお前の話を聞くつもりはない」

「そうでしょうね……ですが、聞いていただかなくてはなりません」

「くだらん、そこを退け」


 意に沿わず、この場に来たことを責めるイシュトヴァルトの刺すような発言が怖いか怖くないかで言えば、正直怖くはなかった。

 なんせ、これからルカ自身はもっと怖い目に遭うのだから、このぐらいで怖気付いてなどいられない。


「どうせ命乞いの類だろう……聞き飽きたな。死にたくないなら、変な発言でうっかり俺がお前の首を落とす前にそこを退くことだ」


 いまだ顔を上げる許しが出ないルカは、面を伏せたまま静かに対話を試みる。

 脅しに屈する訳にはいかない。ルカはなんとしてでも、ここで退かずイシュトヴァルトに話を聞いてもらわなければならないのだ。


 頭を使って駆け引きするような余裕はない。

 屁理屈でもなんでもよかった、どう言えばこの皇太子の興味を引けるのか、ただそれだけを考える。


「……命乞いなど、無駄であると承知しております。通行の邪魔だとおっしゃるのなら、今すぐ殿下は私を斬り捨て、踏みつけて通れば良いことです。そうなさらないのは、まだ殿下に、内容によってはお話を聞こうとする意思があるからではないのですか」

「……」


 かつてここまで誰かに反抗したことなど、ルカは覚えがなかった。

 だから反抗の仕方があっているかどうかはわからないものの、イシュトヴァルトはルカの反論を聞いて多少は話を聞こうとする姿勢を見せたのだった。


「顔を上げろ」


 ようやく許しが出たため、ルカはゆっくりと姿勢を戻す。

 視線の先に捉えたイシュトヴァルトは、噂に違わぬ冷たい印象を持った男だった。

 ルカより三つ上だったはずだが、凄みと雰囲気はとても十九歳の青年のそれではない。

 大陸では珍しい黒い髪に黒の双眸……鋭く整った容姿に冷めた視線が加わり、なおさら冷たい印象を抱かせるヴァルティアの皇太子は、ルカに意外にも話の続きを促す。


「それで、領主代行が俺に何を伝えるつもりだ」


 つまらない内容なら即座に斬り捨てそうな勢いのそれに、ルカは正念場だとぐっと腹部に力を込めた。


「イシュトヴァルト殿下……僭越ではございますが、この場で、私と、お手合わせしていただけないでしょうか」


 相手を真っ直ぐに見据え、一言一言を噛みしめるかのごとく言い放ったその問いに、敵も味方もザワリと沸く。


「……っは、お前が俺に勝てるとでも?」

「わかりません。でも、可能性はゼロではないはずです」

「限りなくゼロに近いな」

「それでも、お手合わせしていただきます。その上で、私が勝ったら、私の願いを聞いていただきたいのです」

「俺にメリットはない」

「そのとおりです。ですが条件をのんでいただかない限り、私はこの場を退きません。そうなれば殿下は私を排除するために斬って通ることになる……のんでものまなくても斬る事になるのなら、ささやかな私の願い程度、叶えてくださっても問題ないのではないでしょうか」

「……」


 確かに、ルカの手合わせをしたい希望に対して、イシュトヴァルト側に何もメリットはない。

 それでも容赦なく斬り捨てるのと、手合わせした後に斬り捨てるのを比べれば、手合わせしたほうが罪悪感が少ないからマシだと考えるほうが人の心情だ。


(まぁ、イシュトヴァルト殿下も普通の人間であるという前提の話だけれど……)


 無論、冷酷無慈悲の異名に違わず、手合わせせずに斬り捨てて押しとおるという可能性もなくはなかったのだが、どうやら決死の賭けはルカの勝ちに傾いたようだった。

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