― 第3話 ― 私と賭けをしませんか
「……いいだろう。その心意気に免じて、相手をしてやる」
絶対に譲らないという頑固さに呆れたのか、はたまたこの場で問答する時間を無駄と考えたのか、ともかく小さく息をついて馬を降りるイシュトヴァルトの様子を眺めながら、ルカもまた安堵の息をついていた。
(ひとまず手合わせはしてもらえそうでよかったけれど、綱渡りにも程があるわね……)
もとより勝てるとは思っていないのも事実だ。この手合わせは、領民や兵たちに向けたパフォーマンスでしかない。
特に、祖国の為に戦わなかった事に不満を抱えているだろう者たちへ……圧倒的な力の差を見せ付けられれば、戦意も喪失するというもの。
ルカは、開戦早々に降伏したツケを、この場で精算したかっただけであった。
正々堂々と戦い、敗れる……その事実と結果がほしかっただけなのだ。
そもそも、領主代行であるルカのことを、イシュトヴァルト本人はともかくとして、ヴァルティア国が放置しておくはずがない。
他の領主同様に斬って捨てられるぐらいなら、領主として領地のために役に立って死にたいという、ある意味でルカのエゴでもある。
手合わせの狙いは、この領地での出来事を強く印象付け、新しい領主の配属の際に、少しでもまともな領主に就いてもらえるように図ること。その上で、もしも一矢報いることができたのならば上々という、奇跡にも近い希望の欠片を抱いて、ルカはこの場を訪れていた。
(先代様……応援などは不要ですが、少しだけ勇気をください……)
腰に帯びていた剣帯から、大切に手入れをしてきた自身の剣を外し、鞘をガインに預ける。
大切なものを取り扱うように鞘を受け取ったガインは、咽の奥から絞り出すようにルカを呼んだ。
「ルカ様……」
「ガイン、後のことは頼みますね」
「……っ、……」
奥歯を噛みしめる音が聞こえるぐらい顔を歪めたガインに笑いかけると、即座に踵を返す。その様子を、イシュトヴァルトはじっと眺めていたらしい。
「そこの老兵がお前の代わりに出たそうにしているが、いいのか」
「そうですね、その気持ちは痛いほどにわかりますが、彼では代わりになりません。私が出るからこそ意味があります」
この期に及んで怖くなったから交代したいなどと弱気になれば、即座に斬り捨てると言わんばかりの問いには苦笑しながら応える。
「……ただ、一つお願いを追加しても宜しいですか」
「追加だと……?」
「私が負けた場合の話になるのですが……。簡単な人助けをする気はありませんか?」
「……どういうことだ。命乞いの類なら聞き入れる気はないと伝えたはずだが?」
「いいえ、命乞いはしません。負けた場合の私の扱いについては殿下のお好きなようにしていただいて構いません。ですが私以外の者についてはその限りではないのではないでしょうか」
「……聞くだけ聞こう」
「ふふ、ありがとうございます」
十中八九負ける戦いにおいて、何を願うのかと訝しがる視線に柔らかく微笑むと、ルカは事も無げに残酷な願いを追加した。
「私が負け、たとえば死んだ後に、あの老兵を含むグレイシアの兵があなたに襲いかかり殺してくれと願おうとも、その頼みを無視してくだればいいだけです。どうです? 簡単な人助けでしょう?」
「……なるほどな」
「殿下ならご理解してくださると思っておりました。無駄な犠牲は少ないに限ります。後を追って死のうとすることが、あの者たちにとっての褒美と同等となるでしょう。そんなものは与えなくていいのです。自害は避けようがありませんが……ここまで私が彼らの命を守ろうとしているのに反して自害すること自体が、私の気持ちを害すものだと理解しない兵は、私の領地にはいないはずです」
ルカの語りの最後の方は、後ろに控えた兵たちへの言い聞かせに近い。
現にガインを含めた数名の兵が、苦悩の表情を浮かべている気配を背に感じながら、ルカはゆっくりとイシュトヴァルトに近付いていく。
「お待たせいたしました。それでは始めましょう」
「好きに攻めてこい」
「では、お言葉に甘えまして……」
サァ……と風が吹いた。
秋の麗らかな昼間に似つかわしくない手合わせは、その風が吹き止むと同時に始まった。
「……ふっ、」
一見、構える様子も見せないイシュトヴァルトに向かって、ルカはあえて小細工を入れずに一直線に走り込んで距離を詰める。
キンッと甲高い音を立てて剣同士が交わった。
薙ぐより刺突に近い斬撃を、イシュトヴァルトは事もなげに横に弾いて逸らす。
そんなことはもちろん想定していたルカも、逸らされた勢いを上手く逃しては、姿勢を低くして次の切込みを狙いに行く。
それもまた、イシュトヴァルトが最小限の腕と剣の動きのみで防ぎきるというやり取りが続き、甲高い音が数回響き渡った。
(あぁ……やはり、強い……)
強さの次元が違うということは、剣を交える前からわかっていた。
腕の立つ者ほど、力量差を計ることにも長けている。
ルカは一縷の望みが低い事を改めて実感し、本当に奇跡とも呼べるような可能性だけを信じて剣を振るうしかなくなった。
「……っは、!」
何度か衝突を繰り返しても、受けるだけで一向に攻めに転じない様から、イシュトヴァルトにはまだまだ余裕があるのだろう。
対してルカの方は、弾かれるたびにわずかに逃しきれなかったダメージを腕に受け続け、剣を握る指の感覚が早くも痺れつつある。
イシュトヴァルトの重い剣の当たりを、上手く捌ききれない。
「くっ……足りない……っ、」
ぎりっと歯噛みする。
自身の力量のなさに、無力な剣技に……そして、願っても手に入らなかった身体能力に。
ルカは女性だ……体格差はもちろんのこと、腕力も体力も持久力も、どう頑張っても男性にはかなわない。
現にルカの握る剣は、長剣でありながら、標準とされる長さより細く、短い。
それはルカの細身の身体と筋力に合わせて調整されているからで、長剣のメリットであるリーチを捨てて、剣本体の取り回しを優先したからだ。
(でも、諦めてはいけない……最後まで、続けなくては)
「……はー……っ、はーっ……」
「どうした。もう終わりか」
「……いいえ……もう少しだけ、お付き合いください……」
一旦距離を取り、わずかながら息を整える。
イシュトヴァルトは手合わせの開始前と変わらぬ様子で立ったままで、本当にこの手合わせを終わらせたければ今すぐ片付けることも可能なのだろう。
けれどもそうしないのは、まだルカの戯れに付き合う気があるからだと言う判断をした。
(ただ、そんな悠長に時間をかけていられるほどの余裕は、もうない……)
ルカの方は限界が近い、仕掛けるならここが潮時だった。
「……、行きます……っ、」
深い呼吸を一つおいて、ルカは最後と決めた踏み込みでもって、この試合を決定づけることを決意した。
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