― 第4話 ― 斬撃を葬送曲とします

 身体能力にかなわない点が多いものの、その差において、唯一ルカが勝るかもしれない要素がひとつだけある。


 リーチを捨てて手に入れた取り回し……つまりスピードだ。

 斬撃の速さと正確性。それを的確な切り返しと瞬時の判断力で補って連撃にする事で、男性相手にも引けを取らない戦闘力になっている。

 その辺のゴロツキはもちろん、ある程度の腕を持つ騎士ですらも相手取ることが出来るはずだったのだが、そんな小細工もイシュトヴァルト相手だとほとんど通用しないらしい。


(まだ、もっと速く……、っ)


 ドレスの裾が翻り、ひとつに結わえた髪が空に踊る。

 離れて観戦している兵たちには、さながら舞うかの如く動いているように見えたかもしれない。

 正確かつ的確に繰り出すルカの剣を、イシュトヴァルトが冷静にいなしていく。


(もっと、もっと……もっと速く……!)


 次第に剣と一体化するかの様に、考える前に身体が動き出す。

 余計な音を捨て去り、相手のわずかな視線の動きや、剣を扱う腕の筋肉の微動を逃さず捉え、即座に的確な切り返しや攻撃を挟んでいく。

 視界に留めていたイシュトヴァルトの表情に、ほんの少しだけ驚きが浮かんだのが映った。


(……っ、く……、)


 そのタイミングが限界点だと悟る。

 口の中がカラカラに渇き、無意識に呼吸すら排除していたルカの視界が滲み始める刹那、ここぞと決めたところで放った斬撃をイシュトヴァルトが弾くのを起点にして、ルカはくるりとその場で身体を回転させる。


 異国に伝わる踊りの如く、片足の爪先に近い位置を使っての回転。

 コンマ数秒にも満たないタイミングに合わせた上、回転の勢いでブレない体幹がなければ成し得ない妙技ではあるが、ルカがバランスを崩すことはなかった。

 弾かれた勢いを乗せ、今まで以上に早く強く放たれた最後の一撃は、どうやら相手の意表を突くことには成功したらしかったが、しかしそれだけに終わる。


 今までほぼ腕と剣の動きだけで一歩以上動かずに弾いていたイシュトヴァルトは、初めて身体ごと大きく避けるようにしながらも首元に迫るルカの剣を受けきっていた。

 代わりにキィンッと一際高い音を響かせると同時に、ルカの細身の剣は握力の尽きかけていた手の中から弾き飛んでいく。


「……はぁ、っ、はぁ……」


 ぐらりと倒れ込みそうになる身体を慌てて制御する。

 酸欠に喘ぐ身体が、必死に酸素を取り込もうとするが、あえてそれを意識的に抑え込んだ。

 なんとか会話ができる状態まで無理やり呼吸を落ち着かせると、ルカは怠い身体をゆっくりと動かし、騎士のようにその場に膝を付いて負けを認めたのだった。


「……お手数、おかけしました……完敗です。どうぞ、この後は殿下の好きなようになさってください」


 首を差し出すような体勢でそう述べる。大抵の場合、手合わせの敗者は斬首を受け入れる習わしだからである。


 この状況において尚、ルカは死への恐怖よりも高揚感と満足感のほうがどちらかといえば強い事に、顔を伏せながら苦笑していた。

 剣を握るものは総じて、強さへの憧れや敬意を抱いている事が多く、ルカにとってもそれは例外ではなかったのだ。


(イシュトヴァルト殿下は、とても強かった……)


 この大陸に何人もいないであろう最高峰の武人に相手取って貰えたのは、ある意味で幸運と言ってもいい。健闘し、その上で負けて斬られる事になにも未練はない。

 十六年という人生を長いと取るか短いと取るかは人それぞれではあるだろうが、少なくともルカ自身の所感では充実した生だったと思う。


「……」


 無言のまま顔を伏せ続けるルカの元へ、イシュトヴァルトがわずかな距離を詰めるべく歩みを進める気配がする。

 ザクザクとブーツの底が地面を踏みしめ、長身の影がルカの背に落ちるほどまで来た。


「……ルカ・マグノリア・フェンリース」

「はい」


 冷めた声音は相変わらずだが、その中に少しばかり面白がるような響きが伴っていたような気がした。気のせいだと言われればそうかもしれないと納得してしまうほどに微かではあったが……。


「立て」

「……?」


 よくわからぬまま指示に従ってその場で立ち上がったルカの目の前には、イシュトヴァルトがいる。

 改めて至近距離で眺めて見れば、作り物かと疑うほどの端整な容姿だ。

 男性のわりにすらりと細身ではあるが均衡の取れた身体つきをしており、宵闇を溶かし込んだかのような色の髪は、前髪が少しばかり長い。

 後ろは襟足に届くかどうかといったところだろうが、だらし無さはなく、中性的な印象をもたらしていた。

 長めの睫毛に縁取られた黒曜石のような瞳が、ジッと探るような視線を向けている。


「……勝って、何を願うつもりだった」

「……ぇ、……?」

「わずかな奇跡に賭けるほど、伝えたかった希望があるのなら、聞くだけ聞いてやってもいい。と言っている」


 予想外の問いに、心身ともに疲労困憊している状態のルカは咄嗟に返す言葉が出てこない。

 何度か瞬きを繰り返し、あぁ……とようやく意味を理解する。


(無謀な手合わせと知りながらも挑戦した事については、認めてもらえたということ……?)


 一種の恩情のようなものだろう。

 それならば……と、ルカはゆっくりと口を開く。


「この領地の、安寧を……」

「……それだけか?」

「それ以外に、望むものなどありません」


 最初から最後まで、ルカはこの領地のために何ができるかしか考えていない。

 全ては大好きな領地と大好きな民たちのためにしたことだ。


「イシュトヴァルト殿下……僭越ながら申し上げますと、ここ、グレイシア領は決して豊かな地ではないのです。標高が高く、気候は寒冷……冬が長く、作物を育てられる期間は短いのです。戦一つ、病の流行一度で簡単に生活が脅かされるほどに厳しく、辛い期間も過去にはありました。それを、先代領主様がなんとか立て直し、今ようやく民の生活は落ち着きを保って営まれつつあったところだったのです。ですので、どうかこの平穏を保ち、末永く民たちの生活を守っていただけるよう、お願いを伝えさせていただくつもりでおりました」


 厳しい生活環境であるグレイシア領ではあるが、それでも辛い部分しかないわけではない。


 厳しい冬を乗り越え、花や新芽が芽吹く春の季節はとても見ごたえがある。

 夏も短い日照ではありながら、力強く育つ作物に、民たちは希望を託す。

 そして実りの秋を迎え、山の恵と共に収穫を祝っては、それらを抱えてまた新たな芽吹きを待ち、辛抱強く冬を越すのだ。


「何卒……殿下の御心の隅に留めておいていただければ、それだけで私は満足でございます」


 伝えたいことだけを告げて、ルカはやんわりと優しく笑う。

 これが、先代領主の遺志を継いだルカが、この先も生きる領地の人々に対して出来ることだった。

 最後と決めた仕事をどうにか遂行し、思いを伝えられたことにホッとして気が抜けそうになるのを内心で叱咤しながら、ルカは気力を振り絞って大地を踏みしめた。


「……なるほど、承知した」

「ありがとうございます」

「この後は、好きなようにしていいと言っていたな」

「えぇ、構いません」


 いよいよ束の間の談話の時間も終わりの気配がする。

 軽い金属音と共に、イシュトヴァルトが自身の剣の持ち手に触れるのを静かに眺めながら、ルカはその場で目を閉じた。


「お前の領地への希望ついては聞き届けた……安心するといい」


 一瞬の間の後、腹部への強い衝撃が走り、深い闇の底へと急激に意識が持って行かれる。


(……っ…、っ)


 奥底へと沈み込む刹那に、イシュトヴァルトが何かを呟いたような気はしたが、ルカはそれをもう、上手く聞き取ることは出来なかったのだった。

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