― 第6話 ― 離宮での生活
馬車の中での出来事から十日……あの後、移動に三日かかり、ヴァルティアの帝都に着いてからは一週間ほどが過ぎた。
ルカの私室は主城に隣接する離宮に用意され、生活の全てが離宮で済むように手配がなされている。
主城には余程の事がない限り立ち入らないように厳命されたが、それ以外は監視兼、護衛の兵が常時二人付く程度で、特に何かを制限されるでもなく自由に過ごすことが許されていた。
普通ならば異国に連れてこられ、恐怖に怯えて部屋に閉じこもっているのかもしれないが、ルカは躊躇なく部屋の外でウロウロしながら過ごしている。
というのも、ここ二年ほどの間、毎日朝から執務に追われていたルカにとっては、何もしないで自由に過ごせる一日と言うのが非常に珍しく、ただひたすら気の向くままに知らない場所を歩き回るのが、純粋に楽しかったのであった。
手始めに離宮の内部を散策すれば、うっかり忘れ去られていたらしい隠し部屋を開けてしまい、過去離宮に住まっていた王族が隠匿していたらしい財宝を掘り出してしまうなどして、城内を慌てさせた。
気分を変えて外に出れば、手入れが間に合っていなかった庭園の整備に手を出してドレスと爪を土だらけにし、壊れかけていた噴水を直した挙句にずぶ濡れになってしまい、庭師やメイドに悲鳴を上げて驚かれた。
他にもまぁまぁ色々とやらかしてはいるが、一週間も経てばいい加減離宮の使用人たちにもそういった事件に慣れられつつある。
そして今日は何をしようかと考え、どうせなら少し身体を動かそうかと、離宮と主城の境にある兵たちの詰め所兼、訓練場へと、朝食後に赴いたところであったのだが……。
「お前は今日、この場で一体何をしでかす気だ?」
「イシュトヴァルト殿下……その言われようはとても心外です。何か事件を起こす前提にしないでくださいませ」
詰め所の入り口で、なんと朝から訪れていたらしいイシュトヴァルトと鉢合わせてしまったのだった。
「まさか、殿下がいらっしゃるとは思っておりませんでした……。お邪魔でしたら出直してまいります」
「この詰め所には俺の近衛もいる、来ないほうがおかしいだろう。邪魔ではないが、お前がいると兵が落ち着かん、極力存在感を消しておけ」
「お言葉ですが、それはつまり邪魔というのでは……」
「俺にとっては邪魔ではない。それにこの場で事件を起こすのなら、俺のいる間に起こされたほうが面倒が少なくて済む。お前の行動に付随する面倒事を、いちいち兵に報告させていたらキリがないからな」
「……い、言われよう……」
二人が詰め所の入り口でそんなやり取りをしている間、近くにいた兵たちは驚きを上手く隠せずにいた。
これまで、イシュトヴァルトに面と向かって苦言や反論を臆することなく告げる令嬢なんて見たことがなかったからだ。
下手をすれば兵たち自身ですら、イシュトヴァルトの持つ威圧感に負けてしまう事もあるというのに、そのルカの堂々とした態度は、特にイシュトヴァルトの近衛騎士たちからの評価が高くつけられていることなど、本人は知る由もない。
「ルカ」
「……なんでしょうか?」
ヴァルティア城へ戻ってからというもの、イシュトヴァルトはルカを呼ぶときに短く呼び捨てるようになった。
まぁ、ルカとしても長々とフルネームで呼ぶのは面倒だろうとも思うし、婚約者に対しての態度としても違和感があったので特に気にはしていないのだが……まだイシュトヴァルトに呼ばれ慣れていないこともあって多少の気恥ずかしさはある。
「邪魔ではないどころか、お前に用があったのを思い出した」
そんな気持ちを悟られないよう返事をしたルカに、イシュトヴァルトはたった今詰め所の兵から受け取った茶色い布に包まれた細長い物を、そのままルカに差し出して寄越す。
「これは……、」
「必要だろう、持っていろ。良く鍛えられた質のいい剣だが……この前の手合わせでわずかに欠けていた。既に修繕してあるが、馴染まないようなら言え」
「……てっきり、グレイシアに置いてきたものと思っていました……」
何を渡されたのかと思えば、それはグレイシア領主代行の最期の仕事の際に、相棒として握っていたルカの愛剣だ。
大切なものであるのは確かなので、手元に戻ってきてくれた事は素直に嬉しい。
「手入れまでしていただいて、ありがとうございます。ですが殿下、これを私に預けるのは、私にそれなりの戦闘力を与えるのと同義なのですが……。私が、殿下との約束を反故にし、この離宮から逃走を謀るとは考えていらっしゃらないのですか?」
「お前の腕ならその辺の兵の数名ぐらい、逃げようと思った瞬間にのせるものと思っている。武器があろうとなかろうとな……違うか?」
「ぅ……ノーコメントにさせてください……」
実のところ、護身のためにルカが隠し持っている技は剣術だけではないのだが、この含みのある言い方はイシュトヴァルトには感づかれていると思ったほうが良さそうだった。
逃げる気はもちろんないし、愛剣は御守りとして手元に置いておくぐらいの気持ちではいるのだが……。
(まぁ意外と、使う頻度が高そうなのよね……)
日々の散策途中、時折首筋をチリっと焼くような視線を感じる瞬間がある。
流石はヴァルティアといったところだろうか。離宮に滞在を始めて半月も経っていないのに、既に蹴落とせる存在かどうかの値踏みをされるようだ。
チクチクと刺さるような視線が届くのはほんの刹那でしかないので、今はまだ様子見をされているという段階なのだろうと当たりを付けた。
今のところは出処を詰めたりする気もないし、ルカから動く気など毛頭ない。
(殿下もきっと、気付いてはいらっしゃる……)
必要だろうと差し出されたことからも、使うことがあれば遠慮せずに使えということなのだろう。
勿論使う機会が来ないにこしたことはないのだが……そんな甘い考えは、自身の油断に繋がる。
気を引き締めるようにしっかりと愛剣を抱え直したルカは、はたと思い出して再び頭を下げた。
「……殿下、私からも別件でお礼をお伝えしなければと思っていたのを思い出しました」
「なんだ」
「ドレスや靴など、揃えていただいてありがとうございました」
手合わせ後、そのまま連れて来られたために、手荷物と呼べるようなものが一切なかったルカは、離宮に入った直後に流石に着替えの類がないのはマズいと少しばかり慌てたのである。
当初は城で仕えているメイドのお仕着せを借りればいいかとも思っていたのだが、皇太子の婚約者という立場を考えればその格好でウロウロするのはどうにも体裁が悪いと一般的な貴族基準で考え直して思い留まった。
しかし、すぐに仕立て始めたところでドレスが出来上がるのは早くて数週間後……。
何とかその間、品位を損なわぬ程度のもので乗り切らなければとあれこれ悩んだ結果、仕方なく侍女にイシュトヴァルトへの伝言を頼んで、比較的安価な既製品のドレスを数着用意できないかと打診したのだ。
通常、採寸をしてオーダーするドレスは、当たり前だが身体にあったサイズで仕上がる。
既製品となるとそうもいかないのは承知の上で、サイズが合わない箇所に微調整を施す程度なら、自身の裁縫の腕で問題ないだろうと判断した。
打診した日の昼過ぎには想定を遥かに超える量のドレスや靴が届けられたのには驚いたが、急遽自分で手直しをして見栄えの悪くないようにしたドレスを着用する事で緊急事態を回避したのだった。
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