「せい」なる書が眠る家の、辛くて美味いアンチクショウ
アンジェラとマクベスがラーゼムに戻ってきたのはその日の夕方。右手に片刃剣を、左手に頭領が使っていた槍を持ち、汗一つ掻かず元気に戻ってきたアンジェラと、慣れない移動で疲れ果てたマクベスを見つけたシグルは二人に詰め寄った。
「おお、戻ってきたか! それで、盗賊団の方は……?」
「……こいつらが残党。残りはぶっ殺してきた」
人差し指を空に向けるアンジェラ。指先が示す場所を見上げてみると、そこにはスキルによって磁力が付与されたロープで、一纏めにきつく縛り上げられ盗賊団の残党たちが、アンジェラに引っ張られるかのように浮かんでいた。
「ちょ、ちょっと待っててくれ!?」
門の前で二人を待たせ、慌ててどこかへ駆けていくシグル。少しの間待っていると、鉄の鎧を身に纏った口髭の男を連れて戻ってきた。
「シグルに話を聞いて来た。私はアイゼンハルト領邦軍総司令官、ガンドという者だ。お主が……魔物狩りのアンジェラで間違いないか?」
「……うん」
こんな小さな少女が……口髭の男、ガンドは心底意外だという言葉を飲み込む。
「確か、連中の首領が使っていた槍を持っていたんだったか? それを確認させてもらうぞ」
「……はい、これ」
アンジェラは左手に持っていた槍をガンドに差し出す。
手元の資料と見比べながら槍をじっくりと鑑定するガンド。次第にその表情が驚愕に染まっていき、槍とアンジェラの顔を交互に見比べた。
「信じられん……これは確かに隣領の子爵家から盗まれたという宝槍だ。まさか本当に奴らを全滅させたというのか……!?」
単身盗賊団に殴り込みに行った少女がいるとシグルから話を聞いた時、先走った若い魔物狩りがいたものだとガンドは呆れ果てた。
いくら実力者でも多勢に無勢。止めたシグルの忠告も聞かずに飛び出したなら、生きて帰ってくれば良い方……盗賊団に損害を与えたなら領邦軍側としても願ったり叶ったりなどと考えていたが、まさかその日の内に全滅させて戻ってくるなど、想像だにしていなかった。
「……死体はまだ砦に残してる。気になるなら見に行ってもいい」
「うむ……そうだな。明日の早朝にでも隊を引き連れて確認に行くとしよう」
未だ半信半疑といった様子だが、この宝槍を見る限りアンジェラの言葉に嘘がない可能性が高い。ガンドは逸る気持ちを抑えながら、冷静に部隊の編成を頭の中で組み立てる。
「ところで……その者は誰だ? 一緒に戻ってきたようだが……?」
「……懸賞金分けてほしいって手伝いに来たマクベス。ちょっとだけ役に立った」
「ほう」
主に盗賊団を砦から引き摺り出すための魔法で、目当ての強敵を巻き込まずに済んだこととかで。
ガンドから感心したような視線を向けられてマクベスは微妙な顔をしているが、アンジェラとしては十分役立ったし、武器の整備もしてくれると言うので、約束通り懸賞金の二割は渡すつもりである。
「では懸賞金はこちらで討伐の事実を確認し、調書を済ませてから正式に受け渡そう。恐らく明後日か、明々後日になると思うので、領邦軍の屯所に来るように」
「……うん。わかった」
「他領でも問題視されていた盗賊団を殲滅したとあれば、我らがヨーゼフ様も大層お喜びになるだろう。この槍を見る限り、信憑性も高そうだから期待してくれてもいい」
そう言い残して、アンジェラが連れてきた残党を拘束した兵士やシグルと共に去っていくガンドの背中を見送り、アンジェラはマクベスに視線を向ける。
「……ヨーゼフ?」
「昨日話した、当主代理の事だよ。領邦軍は一番の支持基盤だからね」
「……ふーん。まぁそれはどうでもいいけど、武器直してくれるんだよね?」
あまり興味無い話題を変えるアンジェラ。彼女からすれば、領地のいざこざなど極めてどうでも良い。戦いの為の武器の整備とは比べ物にもならない重要度だ。
「それは約束だからいいけど、その前にご飯にしない? 流石にお腹が……」
「……それは同感」
考えてみれば、朝にラーゼムを出発してから強行軍同然で盗賊を討伐し、ここまで帰ってきた。
昼前には盗賊団との戦闘を開始し、その後も残党の護送などもあったので、昼食は抜いてきたのだ。
「……じゃあ、また明日武器持ってくる」
「あー、待った待った」
今日のところはこの場で解散しようとしたアンジェラに、マクベスは待ったをかける。
「どこでご飯食べるの?」
「……? 店で」
旅の道中は狩りなどをしているアンジェラだが、基本的に街に滞在する時はいつも店屋物で済ましている。金はかかるが便利だし、何より美味い。
「あー、やっぱり知らなかったか」
「……何が?」
「今日は年に四回ある慰霊の祝日で、ラーゼムの大抵の店はどこも閉まってるよ。まじめに働いてるのは性質上休みのないギルドや衛兵、領邦軍くらいなもんで」
アンジェラはショックを受けた。もう暗くなった今の時間帯から食材採取をしなければならないのかと、割と気が重くなる。
「よかったら僕の家でご馳走しようか? そこでなら武器の整備もできるし」
「……いいの?」
「うん。盗賊団との戦いじゃ、思ったよりも役に立てなかったし、このまま報酬を分けてもらうのも筋が通らないなって」
「…………変なことしない?」
「はい?」
ジト目になるアンジェラに、マクベスは首をかしげる。
「……女を家に連れ込もうとする男には気をつけろって師匠に教えられた。そういう男は変なことしてくるって」
「はははは! 笑止! 何を言うのさ! 僕のストライクゾーンはもっと大人っぽい女性だよ。アンジェラとは全く正反対のスラリと背が高くてスタイル抜群の――――」
「ぶっ殺す」
「あっ!? ちょ!? ごめんなさい!? あ、ああああああ!? 静電気が! 静電気が地味に痛い! あああああああ!?」
正直なところ、男が女と部屋に連れ込んでどんなことをするのか……修行ばかりに明け暮れて、そういう事には疎いアンジェラはよく分からないが、とりあえずマクベスがバカにしてきたことだけは分かったので、バチバチと静電気をぶつけることにした。
「……ま、仮に何かしてきても返り討ちに出来る自信があるからいいけど。それで、家はどこ?」
「こ……こっちです」
口は禍の元であると思い知ったマクベスはアンジェラを誘導するように歩き出す。
そんな彼の背中を追いかけていくと、すぐに一軒の集合住宅に辿り着いた。
「それじゃあ、ちょっと待ってて。部屋を片付けるからさ」
「……部屋が散らかってるくらい、どうでも良いけど?」
マクベスは言い難そうに顔を背ける。
「僕にだって……女の子に見せたくないような性書とか性典を持ってるんだ」
「……ますます分からない。聖書や聖典に見られて困る事とかある?」
「いや、文字違いというか何というか、アンジェラが思ってるような奴じゃなくてさ……とにかく、ちょっと待っててよ」
そう言い残して一人部屋に入っていくマクベス。それから少し待つと、まるで後顧の憂いを断ったかのようなすっきりした表情で戻ってきた。
「まぁ狭いけど上がっていってよ。適当に寛いどいてくれていいからさ」
「……お邪魔します」
上がってみると、本当に独り暮らし用の一軒家といった感じの狭さだ。小さな台所と風呂、トイレに加えて寝室とリビングが共有となっている一部屋だけ。下手をしたら、そこら辺の宿屋よりも質素である。
「……家族は居ないの?」
「親はね。一応妹がいるけど、僕は孤児院から自立してるし、妹は寮付きの学校に通ってて、今は離れて暮らしてる」
「……ふぅん」
待ちぼうけになって暇に耐えかねて特に意味もなく聞いたアンジェラは、少し羨ましくなった。
アンジェラの本当の意味での家族はもうこの世におらず、いるのは血だけが繋がった父。その男も、今どうなったのか知る由もなければ知ろうとも思えない。
「……だったら、早いとこ食い扶持探さないとだね。大事な家族なら、変な心配はかけない方がいい」
「うん? そりゃあまぁ、そうだね。……っと、出来たよ」
狭い部屋に料理の匂いが漂い出してからはしばらくし、ようやくマクベスがトレーに料理を載せてアンジェラの元に運んできた。
「……何これ?」
「何って……羊肉のカレーだよ。羊肉と各種スパイスはどちらも南アルケンタイドの特産で、それをメインにした郷土料理だね。チート異世界人から伝わってきたっていう逸話もあるんだけど、知らない?」
「……うん」
「それは珍しい……もしかして、アンジェラって北の方から来たの?」
コクリと、アンジェラは頷く。
元々、アンジェラが幼少期に過ごし、グライアと修行していた場所はあるケンタイド王国領の北部に位置している。グライアの死後、海沿いを進みながら南下してラーゼムまで来ていたのだが、アンジェラの故郷にはこのような独特の匂いがする調味料はなかった。
元々、アルケンタイドは縦に長い領土を持つ大国だ。北部と南部とでは気候が異なり、自生したり栽培している植物も大きく異なる。
「……でもラーゼムに来てから、こういう匂いがする料理には覚えがある。あまり嗅ぎなれない匂いだったから、食べる気しなかったけど」
「あー、北部から来た人にはそうらしいね。でもそれは食わず嫌いって奴だよ。一南部民として、カレーを食べないなんて人生の半分破損していると断言できるから、是非食べてみてほしい。ほら、このナンっていうパンを漬けて食べるのが最高なんだ」
「……わ、分かった」
なんだか妙な気迫を放つマクベスに負けて、アンジェラは食卓に着く。
それよりも料理の味だ。嗅いだことのない変わった匂いだが、不思議な香ばしさもある。よくよく嗅いでみると、不思議と食欲がそそられる匂いだ。
グライア曰く、旅の醍醐味の一つは訪れた街々の特徴が表れる料理を楽しむことなのだという。なるほど、この未知を味わうことがそうなのかと、アンジェラは一人納得した。
「……いただきます」
マクベスに教えられたとおり、ナンという平たいパンを千切り、カレーに付けて、恐る恐る一口食べた瞬間。
「…………っ!」
アンジェラは目をキラキラと輝かせながら感激した。
やや癖のある匂いだが、甘味すら感じるジューシーな羊肉の脂が溶け出し、様々な香辛料の香りと辛み、そして仄かな酸味が甘味のあるナンと見事に調和して食欲を掻き立てる。
正直に言って、今まで食べた中でも一、二を争うほどに上手い。このカレーと同じくらい美味いのは、今は亡き母が作ったシチューくらいなものだ。そのシチューも二度と食べられなくなった今、このカレーが一番美味いと断言できる。
「そのカレーは薬膳としても有名でね。使われてる香辛料は内臓の働きを良くしたり、具材は疲労回復とか、体に良い物たくさん入ってるんだよ」
その上健康にも良いなど素晴らしいにもほどがある。強さを追い求めるアンジェラにとって、肉体を健全に保つことの重要さをよく知っている……まさに一度で二度美味しい。超気に入った。
あっという間に平らげてしまったアンジェラはしばしの間ジッと空皿を眺め、マクベスにその皿を差し出して一言。
「……おかわりは?」
「……できれば、勘弁してください」
ただでさえ収入を失ったばかりなのに、食材まで貪られては堪ったものではない。甲斐性なしとでも何とでも言えとばかりに言葉を絞り出したマクベスに、アンジェラはしばし考えるように両腕を組み、こんな提案をした。
「……だったら、私がラーゼムにいる間だけ、私の手伝いする?」
「え? それって、つまり……!」
「……マクベスのマジックタブレットは便利。それがあれば魔物も簡単に見つけられる」
魔物の出現情報が共有される冒険者ギルドとは違い、フリーの魔物狩りは単独で広い平原森林荒野から魔物を見つけ出さなくてはならない。かくいうアンジェラも、戦闘そのものよりも魔物を見つけ出すことに苦労した。
そんなアンジェラにとって、広範囲に及ぶ索敵機能を持つマジックタブレットは非常に魅力的だ。後はその操作が難しそうな魔道具を操る者がいれば尚良い。
「……報酬は魔物の素材を売った分から、マクベスの生活にかかる金と私のご飯代、それから私がいなくなっても少しは困らないくらいに貯金できる分の金を、私がラーゼムにいる間払う。これでどう?」
「ほ、本当に!? その条件でいいの!?」
「……うん。あと宿代節約にここで寝泊まりさせてもらって、ご飯にカレーを出してくれて、おかわりもさせてくれたらいい。ついでに武器の整備はタダにして。材料に金が掛かりそうな時は出すから」
「それでいいよ! 十分だよ!」
やたらとマクベスにとって良い条件で取引を持ち掛けるアンジェラ。カレーとマジックタブレットには、それだけの価値があるのだと信じて疑っていないし、宿代と武器の整備代が掛からないと考えればむしろ安上がりだ。
これはマクベスにとっても魅力的な取引である。魔物の生息域に行かなければならない危険はあるが、アンジェラが護衛してくれるだろうし、再就職が出来るまでの繋ぎで貯金まで出来るなら万々歳……それも多額の懸賞金を得ることが出来る魔物狩りが提案してくれたなら尚更。
「……それじゃあ取引成立ってことで……カレー、もっと食べたい」
「はい喜んでぇええーっ!」
嬉々として皿にカレーを盛り、ナンを焼くマクベス。
この一時間後……作り置きしていたカレーもナンも全て平らげられて唖然とすることになるのを、彼はまだ知らない。
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