私の師匠はお婆さん
グライア・エンディミア。代々アルケンタイド王国に仕えてきたエンディミア公爵家の元当主にして、他者の潜在能力を引き出すスキル、【育成】を持つアルケンタイド王国中興の祖。
スキルには生まれた時には既に発現しているものと、潜在的なものの二種類があり、チートスキルというのは潜在的なものの場合が多い。グライアの【育成】は、その潜在的なスキルだけではなく、肉体の潜在能力をも目覚めさせる訓練を相手に施すことが出来る、チートスキルの一種だ。
このスキルによってグライアは数多くのチートスキル持ちを輩出し、当の本人も武芸百般の達人として、博学審問の賢者として数多くの弟子を持つ、アルケンタイド王国を世界有数の大国まで押し上げた名教官として歴史に名を刻んでいる女傑である。
だがそんな彼女も老化には敵わず、更には不治の病を患って残り数年ほどしか生きられない体となった。如何に超人と呼べる人物も所詮は人。生ける者が行き着く最後を当然のように受け入れたグライアは一線を退き、亡き夫との思い出が詰まった辺境の地で余生を気ままに過ごしていた。
……最後まで自分のしたいことをやりたいからと、病人とは思えないほど元気に駆け回り、息子を含めた周りの者たちが静養を言い聞かせても聞かないのは彼女の良い点でもあり、欠点でもあるが。
そんなグライアが遠乗りをしていたある日、高純度の魔力の気配と、その周囲に近づく魔物の気配を感じ取った。長年の経験から、純度の高い魔力の正体がドラゴンの角の気配であると察したグライアは馬を駆って急行。
そして石を握りしめて魔物に立ち向かおうとしているドラゴンの少女を魔物から救い出し、今に至る。
「しかし驚いた。ドラゴンっていうのは自分たちのテリトリーから出ないもんだと思ってたのに、何たってこんな魔物が多い荒野に居るんだい? それもアンタみたいな小娘が一人で」
「……だ、誰?」
「あぁ、名乗るが遅れちまったね。アタシはグライア・エンディミア……しがない隠居の婆だよ。アンタは?」
「……アンジェラ」
軽い自己紹介の後、グライアはアンジェラがなぜこんな所にいるのか、それを詳しく聞いてみた。
貴族だった父親に母共々捨てられ、故郷に戻ったこと。その故郷の村で平和に暮らしていたが、その村も野盗に襲われ、自分以外のドラゴンたちは殺されたり、連れ去られたりしたこと。そして一人生き残ったアンジェラは、母や村人を埋葬して当てもなく彷徨っていたこと。
それを聞いたグライアは沈痛な気持ちを顔には出さず、真っ直ぐにアンジェラと視線を合わせる。アンジェラの身に起きたのは、この世界ではありふれた出来事の一つだが、当の本人たちからすれば立ち直れないくらいの悲劇だろう。
(それでも、時間の流れはこの子に寄り添ってくれやしない)
子供だからとか、そういうのは理由にもならない。この世界で生き抜くには、どれだけ過酷でも現実と向き合わなければならないのだ。グライアは努めて冷静な口調でアンジェラに問いかける。
「……それで? アンタはこれからどうしたいんだ? 母親をコケにした父親や、同族を殺した連中に仕返しでもすれば満足するのかい?」
それは一番ありえそうな未来だったが、アンジェラは再び首を横に振る。
憎くないと言えば嘘になる。だが、今アンジェラの胸に宿す感情は復讐心ではない……母が命を擲ってでもアンジェラに願ったのは、強く真っ直ぐにこの残酷な世界を生き抜くこと。
「……私は、お母さんが助けてくれたこの命を抱えて、前に向かって歩いていく。だから……私は……」
ポタッと、アンジェラの目からこぼれた雫が地面に弾けた。
「……強く、なりたい……! もう何も奪われないくらい……強く……!」
まだ幼いドラゴンの少女の声と涙には敗北感と屈辱、そして途絶えることのない力と勝利への渇望が満ち溢れていた。
平穏平凡に生きることを願う者はごまんといる。高望みすることなく、安定を享受することだけを必死に求める者は多い。それが悪と責められる謂れはないが、必ずしも上手くいく生き方でないことをグライアは知っている。
誰もが魔力を宿し、スキルと人が密接に繋がるこの世界は残酷だ。簡単に人を殺せるだけの力が手に入るから、国家間や種族間の戦争が絶えない。その上、人を好んで食らう生物である魔物が絶滅することなく世界中に存在し、一見平和に見える国でもスキルを使った犯罪が消えることはない。
勝者は全てを手に入れ、敗者は全てを失う。力と勝利への渇望のない者に保障されるほど、平穏は安くない。その事実をアンジェラは身に染みて理解していた。
「だったら、強くなってみるかい? アタシの元で」
そう問いかけたのは決して同情ではない。先天的に弱者であるアンジェラがどこまで上り詰めたれるのか……この自分の目を眩ませるほどの光を放つことができるのか、それを見たくなったのだ。
「……グライアに付いて行ったら、ドラゴンでも強くなれる……?」
「これでも誰かを鍛えることには実績があるんだ。あとはアンタの意思次第だよ」
それを聞いたアンジェラはゴシゴシと目元を強く擦り、涙を拭うと、真っ赤に腫れた眼でグライアを見上げる。
「……連れてって……誰からもバカにされて、何かを奪われるだけの未来なんて嫌だ……!」
「よし来た。ほら、乗りな」
グライアはアンジェラの手を力強く引き上げ、馬上に乗せる。
「今日からアンタはアタシの最後の弟子だ。とにかく厳しく鍛えるから、覚悟しておくんだね」
=====
このような経緯があってグライアの提案を受け入れたアンジェラは、グライアの屋敷に住みながら戦う術の全てを叩き込まれることとなった。
グライアの【育成】のスキルは、ただ発動すれば相手の潜在能力を引き出すような便利なものではない。どのような訓練を施せば潜在的な力やスキルが目覚めるのか、それが分かるスキルであって、結局はアンジェラが過酷な訓練を耐えれるかに懸かっている。
幸か不幸か、修行を始めた段階でアンジェラは既に子供離れした……それこそ、並の大人よりも膂力が強く、体力も多かった。村が襲撃される以前までは、人間の子供と同程度の腕力しかなかったはずなのに、気が付けば自分と同じくらいの大きさの岩を動かすほどの力を手にしていたのだ。
初めは偶発的にスキルにでも目覚めたのかとアンジェラは思ったが、それはまた別の力……ドラゴンという種族の本来の身体能力、その一端らしいということをグライアから教えられる。
「かつてチートスキルを持った人間たちに屈したドラゴンの長は、封印に関する強力なスキルを持っていたらしい。その力の影響は子々孫々に及ぶほどで、肉体を人間に寄せて作り替え、種族自体の身体能力やスキルを封印し、人間にとって無害な存在となることで敵対しないことを誇示したんだそうだ。結果的にドラゴンは生き残ったが、子孫たちが他の種族に見下されるようになったのは、皮肉な話だね」
それこそが、ドラゴンが最弱の種族と呼ばれるようになった最大の理由。子々孫々のドラゴンたちが本来生まれ持って発現していたはずのスキルを潜在的なものにし、身体能力を封じることで、チートスキルを持った人間たちとの軋轢を減らすための苦肉の策である。
ではなぜアンジェラの力を封じていたスキルの影響が、グライアとの修行の前には弱まっていたのか。その疑問に、グライアはこう答えた。
「モノにもよるが、スキルっていうのは精神状態の影響を受けることがある。あの一件で強いストレスを受けたアンジェラが、大昔のドラゴンが施した封印のスキルの力を外したっていうのは、あり得る話さね」
そう言われると、アンジェラにも心当たりがあった。瓦礫の下敷きになった母を助けようと必死になり、火事場の馬鹿力とばかりに重たい瓦礫を退けることが出来た。
きっとあれがトリガーとなったのだろう。焼け落ちた村に残ったドラゴンたちの死骸を墓穴に運ぶ時も、重いとは感じなかったくらいだ。
「だがコイツは生半可な訓練で解ける封印じゃない。封じられているスキルや身体能力を開放するには、自ら命を危機に晒し、生存本能を爆発させて、枷を外さなきゃならない……まさに強くなるか死ぬかのどちらかさ。強くなりたいと流した涙が本物だっていうなら、これからアタシが課す地獄を見事生き抜いてみな」
その言葉に反せず、グライアがアンジェラに課した訓練は過酷なものだった。ただひたすらに苦しくて地道な基礎訓練を中心に、アンジェラの性格や体格に合う武術を教え、頻繁に遠方に出向いては実戦経験を積ませ、時には魔物が蔓延る森や荒野、雪山で剣一本だけを持たされ、一人っきりでサバイバルをさせる日々。
弟子入りしてから一年が経ち、眠っていたスキルも全て解放され、肉体的にも精強になった頃には、ただでさえ過酷な訓練に加え、強大な魔物と命がけの戦いを課せられるといった具合に修行も過酷になっていった。
そんな大の大人でも死にかねない苛烈な訓練に、アンジェラは弱音一つ零さずに食らいついてきた。全ては強くなるために。
「アンジェラ、ちょいと着替えておいで。今日は町に行くよ」
そんな日々が続くにつれて、修業の時間以外では、グライアはアンジェラと穏やかな時間を過ごすことが増えていった。
年相応に好奇心の強く、村の外に殆ど出たことが無かったアンジェラにとって、世界のありとあらゆるものが未知な存在に見えるのだろう。野外訓練がてらに一緒に食材を取りに行ったこともあった。共に見晴らしのいい山の頂上へ行ったこともあった。時には人里へ遊びに行ったこともある。
一日の多くを苛烈な修練に費やす二人だったが、日々成長していくアンジェラと過ごす、合間合間の穏やかな一時は、グライアの余生を色鮮やかなものへと変えていった。
……だからこそ、グライアは意識させられた。終わりは確かに近づいているのだということを。
アンジェラが十四歳になったのを境に、グライアの病状が進行し、ベッドから起き上がれない日が増えてきたのだ。
誰の目から見ても、グライアの命の灯が消えそうになっているのだと分かった。屋敷に居る少数の使用人たちがしているように、アンジェラもグライアの看病をしようとしたが、他でもないグライアがそれを止めた。
こんな死にかけの老人の為に修行の時間を無駄にしてはいけないと。死ぬまでに出来る限りの教えを叩き込みたいのだと言って。
それを言われては何も言い返せなくなったアンジェラは、より一層修行にのめり込んでいった。グライアが寝込んだ日は自主訓練を怠らず、グライアの時間を何一つ無駄にしないように。
そしてアンジェラが十五歳になってから少し過ぎたある日。グライアに呼ばれたアンジェラが彼女の寝室に行くと、この一年ですっかりとやつれたグライアは、ベッドに横たわりながら弟子を出迎えた。
(……そう、か。もう、これで最後なんだ……)
部屋に入ってベッドで横になる師匠を一目見た時、アンジェラは漠然とそう感じた。
初めて出会った時の力強さは見る影もない姿。陰ですすり泣く、主を慕っていた使用人たち。グライアを取り巻く全てが、今日が彼女の命日となるのだとアンジェラに教えていた。
(……あぁ……また、大切なものが零れ落ちていく……)
何故、自分が大切に思う者ほど居なくなってしまうのか……アンジェラはこの世の不条理に打ちのめされる内心をひた隠し、表面上は何事も無いかのように気丈に振舞いながら、ベッドの脇に置いてある椅子に腰かけ、一言一言を噛み締めるように他愛のない話を繰り返す。
内容は主にこれまでの修業の成果。センチメンタルもクソもないが、こういう方が自分たちらしいと、二人は淡々と話し合う。
「剣術も随分上達したし、ドラゴンとしての身体能力もある程度までは取り戻して、残りも今後の修業次第で完全に封印が解けるだろうが、結局アンタに眠っていたスキルは四つだけ。とてもじゃないが、どれもチートとは呼べない代物だったね」
スキル【育成】によってアンジェラが目覚めたスキルは全部で四つ。
体に電流を纏い、触れた物を感電させると共に自分の運動神経を刺激し、身体能力を上げる【纏雷まといかづち】。
自分自身と、無生物や空間に強力な磁力を付与する【磁力付与】。
僅かな電気も探知する【電心】。
そしてドラゴンを象徴するスキル、質量を伴った巨大な雷を口から吐き出す【雷竜の息吹】。
グライア曰くアンジェラは雷を司るドラゴンの血縁にあるらしく、どれも似た系統のスキルだ。いずれも強力ではあるものの、チートスキルと呼ぶには及ばない……全体的に見ればせいぜい上の下程度の、普通のスキルである。ドラゴンとしての本当の身体能力を合わせても、チートと呼べるほどの理不尽さはない。
「……正直、スキル無しだと思ったら、実はチートスキル持ちだったみたいな展開を期待してたんだけどね」
「馬鹿、世の中そんなに上手くいきゃしないよ。それに、どんなスキルだって使いようだ。使い続けることでスキル自体が強くなることだってあるんだ。せっかく例えチートスキル持ち相手でも勝てるよう鍛えてきたんだから、文句言うよりも、どうやってチートスキルに勝てるか脳味噌回しな」
「……うん。分かってる」
会話が途切れる。お互い、言いたいことは山ほどあるはずなのに言葉が出てこない。そんな微妙な雰囲気を打ち破るように、グライアは思ったことを無理矢理言葉にし始める。
「この五年近く、色んなことがあったが……アンタとの時間、楽しかったよ、アンジェラ」
「……うん。私も、楽しかった」
「まさかこの歳にもなって弟子持つことになるなんて夢にも思わなかったけど、上手い具合に仕上がったもんだ。……ま、身長はあんまり伸びなかったけどね」
「……うっさい」
ムスッとした表情でアンジェラはグライアを睨む。
「もう十五歳……成人だろう? いくら長命のドラゴンでも、二十歳までは人間と同じように成長するはずなんだけどねぇ」
「……これからもっと大きくなるし。それを拝めないことをあの世で後悔するといい」
グライアは努めて明るく、アンジェラは俯いたまま、最後の別れとは思えないくらいに軽口を叩きあう。まるでしみったれた別れなど御免だと言わんばかりに、努めて明るく。
やがてもう話すことが無くなったかのように軽口も途切れ、グライアは一つ嘆息してから畏まったように最後の言葉を告げる。
「アンジェラ……アンタはこの後旅に出なよ」
「……旅?」
「あぁ、そうさ。世界を巡り、色んな奴と戦い、色んなモノを見聞きして、色んな物を手に入れて、自分が手に入れた力の本質を見極めるんだ。それがアンタに課す、最後の修業だよ」
最後と言われて、アンジェラは泣き出しそうになったのをグッと堪える。
師との別れの時は泣かないと決めていた。無力を呪って泣いていた昔の自分からは成長したのだ。ここで無様に泣き叫んで、母と同じ場所に向かおうとしている師匠に心配を掛けさせるわけにはいかない。
「強くなりな、アンジェラ。もう何一つ奪わせないくらい、強く」
「……うん……っ」
アンジェラは顔を上げ、瞳に涙を溜めながら、グライアを真っ直ぐに見据える。
「……私、今よりももっともっと強くなるから……! ……この世界の誰よりも……師匠より強くなって見せるから……!」
皴だらけのグライアの手を、アンジェラは力強く握りしめる。
それでいいと、グライアはアンジェラの決意に満たされた。全てを守り抜くということは、誰よりも強い存在でなければならないということ。本当はまだまだ鍛え足りないが、そのことが分かっているのなら、後はもうアンジェラを信じるだけだ。
身の程知らずの子供が好き勝手に夢を語ってるなんて言わないし、言わせやしない。自分の限界の埒外にある野望にすら命を懸けれない奴に、アンジェラが目指す先を求める価値はない。
お賢くて控えめな連中は無謀だの大それた夢だの言うだろうが、笑わせるな。大言壮語すら吐けずにして何が最強か。
「……だから、見ててよ……師匠……! 天国に私の名前が届くくらい、強くなるから……!」
「あぁ、見ているよ。だから見せてみな……アタシはずっと、アンタを見守っている……」
その言葉を最後に、グライアの瞳は閉ざされ、二度と開くことはなく……アンジェラは、祖母ともいうべき二人目の家族を喪うのだった。
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