第21話 魔法講師ルイズ

 学校二日目。

 授業初日となるこの日、一限目を前に、シェリルたち1年A組の面々は別教室へと移動していた。

 教室の場所は、一階の一番端。開け放たれた窓からは、屋外練習場が見える。

 これから始まるのは、基本魔法学の授業。

 魔法学という好奇心をくすぐるワードに、授業前の教室にはどこか浮足立った雰囲気が漂っていた。


 待つこと数分。

 一限目が始まる少し前に、その人物はやって来る。


「うお……凄い美人」

「日本人っぽく無いよね? 綺麗な人だなあ……」


 口々に生徒の称賛を浴びるのは、一人の女性。

 腰の下まで伸びる豪奢な赤髪に、燃え上がるような紅蓮の双眸。目を合わせれば思わずぞっとするほどに整う日本人離れした美貌、精緻な美術モデルのように美しい肢体を黒いスーツで包んだ女教師。

 圧倒的な存在感を発する彼女に、誰もが魅入られる。

 ただ普通に、教室のドアを開けて入って来ただけなのに、なぜか目が離せない。そんな魔性が、彼女にはあった。


 女性は教壇に荷を置いて腕時計を確認すると、腕を組み黒板に背を預けて目を閉じる。

 時間が来るまで動くつもりが無いようで、生徒らから集中する視線にも一切の反応を見せない。


 やがてチャイムが鳴る。

 それと同時に目を開いた彼女は、教壇の前に立った。


「初めまして諸君、私はルイズ・アージェント。この学校で諸君らに魔法を教授することになった、魔法講師だ。担当教科は基本魔法学と魔法実技……何か質問は?」


 女性にしては低く落ち着きのある声で言うと、教室内を見渡す。

 紅蓮の双眸と目が合い萎縮する生徒が多くいる中、一人の男子生徒が手を上げる。


「講師、と言ってましたが……常勤ですか、それとも非常勤? ……いつ質問しに行けば良いのか分からなかったので」


「常勤だ。普通の教諭と同じだと考えてくれて構わない。魔法に関しての質問なら、教員室にいる間はいつでも受け付けている……他には?」


 再び教室を見渡すが、手はもう上がらない。

 質問は先の男子生徒だけだったようだ。

 それを確認したルイズは、出席簿に軽く目を通してから、生徒らへ視線を向けて言った。


「では、授業を始める」


 その言葉に、期待と緊張を孕んだどよめきが、うねりとなって教室内を覆った。

 多くの生徒が顔を見合わせる中、ルイズは話し始める。


「さて、まず諸君らに問おう、魔法とは何か。魔法と聞いて、諸君は何を想像する? では、そこの君。どんな回答でも構わない、漠然としたイメージで良いから答えてみてくれ」


 ルイズに指名された女子生徒はしばらく考えた後、


「えっと……呪文、とかですか……?」


 と、自身なさげに答える。

 その回答に、ルイズは満足そうな表情を浮かべて頷いた。


「良いな、その通りだ……彼女が言った通り、原則として魔法は、呪文を唱えることによって発動すると考えられている。では呪文とはどういうものか、実践してみよう」


 言うや否やルイズは窓の外に向かって、手のひらをかざし、最も初歩的な呪文を唱える。


「《大いなる風よ、空を貫く矢となり、我が敵を打ち倒さん、ウインドアロー》」


 ルイズの手のひらに圧縮された風の矢が生成され、窓の外へ向かって勢いよく発射された。

 その光景を見た生徒たちからは、歓声が上がる。

 初めて魔法を間近で見た者も多く、ごく自然な反応だ。

 そんな中シェリルは一人、困惑していた。


 (私が教わったウインドアローの詠唱譜とは違う……それなのに、今のは間違いなくウインドアローの魔法だった――ううん、そもそも魔法って日本語でも発動するの……?)


 地球へ来てからこれまで、刻印魔法以外の魔法をシェリルは一度も使っていない。

 そのため、地球で通常の魔法を使用した結果がどうなるのかを知らなかった。

 一人悩むシェリルを後目に、ルイズはチョークで、黒板に詠唱譜を書き出してゆく。


「今のが風の基本魔法、ウインドアローの呪文だ。見ての通り、呪文を唱えることで魔法が発動し、収束した風の矢が放たれた。この呪文のことを、我々魔法使いは詠唱譜と言う。詠唱譜を唱えると魔法は発動待機状態となり、魔法名――今回はウインドアローが魔法発動のトリガーとなる……詠唱譜が世界の法則に作用することで望んだ現象を生み出す、それが魔法であり、ステータスから得られる知識でもそう説明されている……奇妙なことに、たった半年前まで魔法など存在しなかったこの地で、たかだか人間が言葉を発しただけで世界の法則に作用できる、とな」


 ルイズの言う通り、魔法という超常現象を、ただ言葉を紡いだだけで起こせるという異常に、生徒達も疑問を持ち始める。


《大いなる風よ、空を貫く矢となり、我が敵を打ち倒さん》


 書かれた詠唱譜をチョークで叩きながら、ルイズは言う。


「私が一番最初に疑問を持ったのはこの詠唱譜だ。たかだか人間の言葉ごときが、本当に世界の法則などに作用できるのか、と。それを確かめるために私は検証を重ねた。始めに行ったのは、他言語での詠唱」


 そう言ってルイズは再び手をかざすと、先ほどとは違う英語で詠唱する。

 詠唱譜は、日本語で唱えたものをそのまま翻訳しただけ。発音も非常に聞き取りやすかった。

 そして、


「えっ、何で?」

「うそ……」

「どうなってるんだ……」


 教室中から驚きの声が湧き上がる。

 先ほどと同じように、手のひらに風が収束するところまでは良かった。

 しかし、そこまで。

 魔法は発動する兆しを見せただけで失敗に終わる。


「ふむ、思ったより良いところまで行ったな……聞いての通り、今の詠唱譜は英語だ。慣れた日本語で詠唱したときは比べ物にならないほど、出力が低下する。ではもっと珍しい言語で唱えてみよう」


 ルイズは端末へ呪文を打ち込むと、現れた翻訳通りに発音する。

 すると今度は、魔法発動の兆しすら見せることはなかった。


「このように他言語で唱えた場合、立て続けに失敗した。そしてこの現象は、逆でも起こり得る。他国の魔法使いが使用したところ、その人物が話せる言語では成功し、それ以外の言語では失敗した。つまりこの時点で、魔法発動のための共通点は、詠唱譜となる言語を理解しているかどうかになる……けれど、おかしいとは思わないか? 詠唱譜は世界の法則に干渉するんだろう? もし理屈通りなら、法則が各言語ごとに存在してしまうことになる。そんな人間にとって都合の良いことなどあるはずがない。だからこそ私は、見落としが無いかを徹底的に探り、そしてある一つの答えにたどり着いた」


 そこまで言って、ルイズは一度息を吐く。

 何か重大なことが話される、そんな確信がクラス中を覆う。


「私は勘違いをしていた。すなわち、世界の法則というものについて。最初から疑問はあった。人間の言葉ごときが、この超大な世界の法則に、本当に作用できるのだろうか、と。その疑問は正しくもあり、間違ってもいた……予想通り、言葉ごときがの法則に作用することは無かったんだよ」


 ルイズは黒板に簡単な地球の絵を書き、それをチョークで叩く。


「けれど確かに、世界の法則に作用していた。矛盾していると思うだろう? だがそうではない。詠唱譜が本当に作用していた世界は、ここだ」


 そう言って、自分の心臓辺りに拳を当てた。

 生徒の数人が、反射的にそれを真似る。


「詠唱譜は私たち人に――いいや、魔法を使用するすべての生物の心、深層心域という世界に作用していた。深層心域とは、普通に生きているだけでは意識できない、無意識上に存在する世界のことだ」


 ルイズは説明を始める。

 意識できる世界というものは、秩序立てて考えることができる。

 物理法則などがそうだ。

 そしてこの物理法則には面白いルールが存在する。

 それは、自然界に秩序が発生したとき、同じだけどこかに無秩序が存在するというもの。

 例えば、人間は豊かさを求めて科学技術を発展させていった。その結果、確かに豊かさという秩序が手に入ったが、同時に環境汚染という無秩序が発生させる。

 豊かさを初めに求めた人間たちは、環境汚染など想像しなかっただろう。


「分かるか? 深層心域とは無意識な世界、つまり本来は無秩序なんだ。しかしそれを、詠唱譜というもので無理矢理秩序立てて、無意識を変革した。その結果、思わぬ形で現実世界に無秩序が発生した、これが魔法の正体だ。詠唱譜とは、本来無秩序だった深層心域という世界をより効率よく変換するための手段。無秩序であったがゆえに明確な法則など無いが、代わりに、強くイメージできるものであればどんな言葉でも変革は可能だ。たとえば――」


 ルイズは手をかざして、言う。


「――《とりあえず、矢よ、出ろ》」


 適当極まりない言葉で告げられた詠唱譜。

 しかし驚くことに、最初に見たウインドアローとそん色のない威力と速度で、風の矢は放たれた。


「思ったより威力が出たな……まあ、このような改変もできるということだ。だが、呪文の改変というのは大変に危険を伴う。先も言ったが、魔法とは無秩序の副産物。

世界のどこかに魔法という形で、必ず無秩序が現れる。その対象は、世界だけでなく自分に向く事だってあるんだ。この先教える詠唱譜への知識や魔力バイオリズム、発声方法。これらを正しく扱えなければ、予想だにしない事故が発生する可能性は大いにある。特に魔法は人の心や精神に大きな影響を与えるもの。時に魔法は、簡単に人を変えてしまう。心も精神も、そして人の体すらも……感受性の高い者が狂ってしまうことだってある」


 ルイズの言葉に、ただ漠然とした期待や憧れを抱いていた生徒達は、初めて魔法への恐れを知る。

 魔法。

 人知を越えた、魔の法則。

 その言葉の真意を垣間見た気がした。

 雰囲気が暗くなるクラス内を見て、ルイズはこの日初めて笑みを浮かべる。

 それまでの超然とした佇まいとは違う、優しげな笑みだ。


「魔法が怖いか?」


 クラス中を見渡すと、数人が俯くのが見えた。

 ルイズは声を和らげて言う。


「その心は、長く魔法を使い続ける中で、絶対に忘れてはならない最も大切なものだ。それを君達はすでに持っている。最も大切な才能が、君達にはあるということだ」


 俯いていた生徒たちが顔を上げる。


「今日の話は、とても難しく感じただろう。君達の理解しえぬ魔法という領域について、脅すような発言をしたことを私は自覚している……私はね、魔法がどういうものなのかを知って欲しかった。魔法に抱く夢や憧憬。私はそれ自体を否定しない、したくもない。ただ、魔法の危険性という側面を理解したうえで、それでも極めたいと思えるほどの情熱がなければ、いつかは呑まれる……そんな確信があったからこそ、私はこの教科の担当が決まったとき、この話をしようと真っ先に考えた」


 生徒たちにとって難しい話が続いた。

 それは、授業を受けていた彼らが最も感じていたところだ。

 それでも、クラス中がルイズの話に耳を傾ける。


「これまでの話を聞いた諸君らが、それでも魔法を使いたいと言うのであれば歓迎しよう。その準備が、この学校にはある」


 ルイズが言い終えると同時に、一限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。


「時間だな。今日はご苦労だった……次回からは実習着を着用して屋外練習場に集合だ。忘れないように。では、私はこれで」


 最後に次回の通達だけして、ルイズは教室を去って行く。

 生徒達はそれを放心したように見送る。

 ばたんとドアが締められる音がすると、それがまるで合図だったかのように生徒達はノートを取り始めた。


「……凄いね、あの先生」


 シェリルの後ろに座っていた美珂が、感嘆の息をつく。


「魔法のこと、凄く詳しかった。まだ一年も経ってないのに……シェリル?」


 ノートを取らず、呆けるように宙を眺めていたシェリルへ、美珂は声をかける。


「……うん? どうしたの、美珂ねえ」


「どうしたのはこっちのセリフなんだけど……あの先生がどうかした?」


 美珂の問いにシェリルは頷く。


「あの先生、不思議な感じだった」


「不思議?」


 要領を得ない答えに美珂は問い返す。


「うん。魔力の流れとか、そういうのが凄く自然……私よりずっと上手い」


「……」


 美珂にはよく分からない感覚だったが、シェリルよりも上手いというのが相当であることくらいは分かる。


「何者なんだろう……?」


 誰もがノートにペンを走らせる中、二人の姉妹はルイズへの疑問を膨らませるばかりだった。




※ルイズさんの登場。彼女は強キャラです。

 シェリルたちの師匠ポジを予定しています。

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