第20話 教授

 早朝。

 日は昇っておらず、辺りは薄暗い。街灯もまだ、灯ったまま。

 寝静まった街は、人の存在を忘れてしまったかのようなわびしさに包まれている。

 明かりが消えた住宅街では、人の動きを感じられず。

 街を突っ切るように引かれた道では、ごく稀に車両を見かける程度だ。

 そんな閑散とした車道に。


 凄まじい速さで疾駆する、黒い衣装をまとったシェリルの姿があった。

 時速50キロは出ているだろうか。

 法定速度を明らかに上回るスピードで、シェリルは走っている。

 それも脚の回転を速くするピッチ走法ではなく、一歩の幅が数十メートルにも及ぶストライド走法でだ。

 いくらシェリルとはいえ、純粋な身体能力だけでここまでの速度は出せない。

 からくりは、地面に足を着くたびに漏れ出る淡い燐光。

 転移してからこれまでの間に、新たに開発した刻印魔法のアシストがあってのものだった。


 使用している魔法の名は『レギンスブースト』。

 魔術刻印は、シェリルの履いている靴に印字されている。


 『レギンスブースト』は脚力を強化する魔法で、使用した刻印は『強化』『制御』『識別』の三種。

 この魔法は、これより先に自作していた『ストレンジブースト』という魔法が基となっている。その効果は、全身の強度を向上させるというもの。

 『レギンスブースト』よりこちらの方が良いように思えるが、『ストレンジブースト』は高度過ぎて、今のシェリルには使いこなせなかった。


 刻印魔法は、火や水などを生み出す基礎生成式エレメント、つまり属性魔法に近い単純なものほど制御が容易で、そのぶん魔力消費量も減少する傾向にある。

 逆に、追加指定式ムーヴメントで作用する対象が増えれば増えるほど、制御はより困難に、魔力消費量は増大してゆく。


 一口に強度の向上と言っても、その内容は『筋肉一つ一つ』に対しての性能強化、衝撃に耐えるための『すべての骨格』への強化、血管や内臓、および表皮の耐久性向上といった、各部位への強化を同時に制御する必要があるという、超高度な複合魔法なのだ。


 さらにそれだけには止まらない。


 刻印魔法は、発動した後の制御を全て自分で行う必要がある。

 『ブリッツショット』などの放出系の魔法は、精々狙いを定める程度で済むが、『ストレンジブースト』などの強化系の魔法は違う。

 身体の各部位の動作状態によって刻一刻と変化する対象を管理し、そのうえ効果を切らさぬよう、常に刻印術式への出力を制御し続けなければならない。

 そんな芸当が、基礎的な魔法教育しか受けていないシェリルに出来るはずがなかった。


 なので、代替となる魔法を各部位ごとに開発したのだ。

 その一つが、この『レギンスブースト』という訳である。

 『レギンスブースト』は、強化箇所を限定することで、『ストレンジアシスト』よりも遥かに制御難易度と消費魔力を抑えることができていた。

 難易度が抑えられているとはいえ、それでも打てば終わりの『ブリッツショット』よりもずっと、扱いは難しい。

 少し気を抜けば進みすぎたり、バランスを崩しそうになる。


 シェリルはこの魔法を、地面と接触する瞬間に使用していた。

 わざわざこんな方法で使用する理由は、魔力を節約するためだ。

 常に発動していると、目的地に到着する前に魔力切れを起こしてしまうのである。

 ただでさえ扱いの難しい『レギンスブースト』の難易度は、この方法を取ることで、さらに跳ね上がっていた。

 制御を誤れば怪我は免れない。

 片時も集中を切らさず、緻密な制御を続けることが前提だ。

 だからこそ最高の訓練になると、シェリルは考えていた。

 あっという間に過ぎ去る街の景色を感じながら、目的地へ向けて疾走する。



◆◆◆



 学校を出てから魔法を使って走り続けること十数分。

 やって来たのは、立ち入り禁止ロープが張り巡らされた山だ。

 この先ダンジョンありと書かれた立て札が妙な存在感を放っている。

 シェリルはそのロープを当然のようにくぐり抜け、先へ進んで行く。

 人が十分に行き来できるように整備された山道があり、道に沿ってしばらく歩いて行くと、やがて開けた場所に出る。


 そこには、簡素なプレハブ小屋と天幕がいくつも立ち並ぶ広場があった。

 時刻は朝の4時半にも関わらず、体格の良い大人たちがすでに活動している。

 ここは高尾山ダンジョンの自衛隊駐屯地。

 早起きしたシェリルの目的地だ。

 シェリルは慣れたような足取りで広場を進み、目当ての天幕をくぐる。

 天幕の中には、白衣を纏う研究者然とした一人のがいた。


 その風貌はたいへん特徴的だ。

 容姿から推測できる年齢は二十歳ほど。

 すらりと長い手足を、バランス良く見せるほどの長身。

 男性にしては長く伸ばされた髪を紐で結い、サイドに流している。

 綺麗に手入れされた肌は若々しくも美しく、口元にはうっすらと紅が引かれている。

 まるで女性のような面持ちの彼は、世間でオカマと呼ばれる人種だった。

 そんな男性は、手元の紙束での作業を止めると、シェリルへ振り向く。


「シェリルちゃん、久しぶり。待っていたわ」


 落ち着きのあるバリトンボイスで告げる男性。

 そんな彼に、シェリルも応じる。


「おはよう、教授」


 教授、と呼ばれた彼の本名は高木優里たかぎゆうり

 教授などと呼ばれているが、ユーリは教授ではない。

 どちらかと言えば博士に近く、文部科学省直轄の国立試験研究機関からやって来た、新世界現象についての研究を担う新時代の研究者だ。

 ではなぜユーリがシェリルに教授と呼ばれているのかと言うと、彼の周囲がそう呼ぶからである。

 そんなシェリルとユーリは、出会ってすでに半年以上の付き合い。

 彼に会いに来たのも、今日ここへ来た理由の一つだった。


「シェリルちゃんはリンゴジュースで良かったわよね?」


 そう言ってクーラーボックスからリンゴジュースを取り出して、紙コップへと注ぐ。

 それをトレーに乗せて、机の上に置いた。

 ユーリは同時に、机の上にある紙の束を移動させる。


「ありがとう、教授……それにしても、凄い量」


 椅子に座ってジュースを一口含んだシェリルは、天幕内の至る場所に置かれた紙の束を見て言う。どれも、ユーリの研究書類だ。


「研究が捗っちゃってね、もう三日近く寝てないの……おかげでこの有様よ」


 目の下を指さして、苦笑する。

 そこには、メイクでは隠し切れない隈があった。


「けれど、成果は出たわ。あたなの求めていたものもね」


 机の上にある紙の束から二枚の紙を引き抜き、シェリルの前に差し出す。

 片方は厚紙をさらに分厚くしたような作り。もう片方は、普通の紙だった。


「もしかして、刻印……完成したのっ!?」


 厚紙に書かれていたのは、奇妙な図形や文字で描かれた複雑な模様。

 普通の人間が一目見て興味を失すような、ただの落書きにしか見えない。

 しかしシェリルは、これが刻印であることを瞬時に見抜いていた。

 驚愕の表情を浮かべて、シェリルは訊ねる。


「ええ、ようやくね。『収束』から派生した『吸収』の刻印……苦労したわ。追加指定式ムーブメントの法則は、基礎生成式エレメントよりずっと複雑だもの。『ブリッツショット』を作り直したときとは、比べ物にならなかった」


 そう言って、ため息をつく。

 ユーリはシェリルの正体を知る数少ない人間の一人だ。

 転移後しばらく経って、勉強に根を詰めすぎるシェリルを心配した祖父が、ユーリを紹介したのが出会いである。


 ユーリは探究心の塊だった。

 なんでもかんでも知りたいという、知識欲の権化だ。

 それゆえに、シェリルについて――正確にはシェリルの有する刻印魔法に対して強い興味を抱いたのである。

 それは、刻印魔法の検証をしたいがために国家の最高峰である研究機関を辞し、新世界現象の研究者に転換するほどだった。


 新世界現象の研究者は、ダンジョンの調査隊に同行することが認められている。

 そのためユーリは、ステータスとジョブの恩恵を得ることが出来ていた。

 当然、刻印魔法士を選択している。

 ただ一つ残念なことが、魔力の循環や制御が地球人ゆえに上手くないので、せっかく開発した刻印魔法を十全に使用できない点だ。

 こればかりは、たった半年でどうにかなるような問題ではなかった。


「『吸収』……本当にあったんだ……! 教授凄いっ!」


 目を輝かせてシェリルは言う。

 半年前にユーリに相談した時点で、シェリルは存在自体を疑っていた。

 しかし彼はそれを実現して見せたのだ。


「もう一枚に書かれているのは、『吸収』の刻印についての説明よ。どちらも記録してあるから、持って行って構わないわ……ほらもう、行きなさいっ。大事な用事があるんでしょ?」


 シェリルのキラキラした視線に、照れ隠しのように紙とファイルを押し付けて、シェリルの背を押す。

 あわあわといった様子で、シェリルは出入り口へと導かれてゆく。


「真希たちによろしくね……それと気を付けるのよ? いらない心配かもしれないけど」


 天幕の出入り口前で足を止めたユーリは言う。

 このあとシェリルは、真希と涼介、そして大倉二等陸佐の四人で、Ⅾ級の高尾山ダンジョンに入る予定だ。

 攻略が目的ではない。

 ただシェリルをダンジョンに入れることが目的だ。


 新世界現象以降、地球上にマナと呼ばれる未知の物質が発生するようになった。

 マナはシェリルが元いた世界にもあったものだ。

 このマナをもとに体は魔力を生成するのだが、その濃度が、元いた世界より低すぎた。

 ゆえに転移してから半月ほど経ったころ、シェリルは体調を崩したのである。

 マナ濃度の濃い異世界で過ごしていたシェリルにしてみれば、地球の環境は数秒おきに息を止めるようなもの。そんな状態では、体調だって崩す。

 この解決方法が、毎週二時間ほどマナ濃度の濃いダンジョンで過ごすというものだった。


「うん、気を付ける……ありがとう教授」


 そう言って、シェリルは天幕を後にする。

 そんな少女の後姿を見送ったユーリは、困ったように頬に手を当てて呟く。


「アタシ、教授じゃないんだけど……」



◆◆◆



 時刻は8時前。

 週一で行われるダンジョン療を済ませたシェリルは、数十分ほどかけて学校へと帰還していた。

 正門前にある事務所の更衣室を借りて制服に着替えると、荷物を置くために自室へ向かう。


「次からロッカーも借りようかな」


 時計を見てシェリルは呟く。

 わざわざ戻ってきたせいか、時間はぎりぎりだ。

 走らなければ間に合わないかもしれない。

 シェリルは装備一式を鍵付きの収納に仕舞い込むと、部屋を出るなり走り出した。





※PV1000ありがとうございます。

 次話からまた学校に戻ります。この後行われるダンジョン内のお話は、今のところ書く予定はありません。

 ただし念のため、加筆修正する可能性があることを、あらかじめ報告しておきます。

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