第19話 初日を終えて

※百合描写があります。苦手な方はご注意を。




 今日のメインイベントは入学式。

 いくら新世代育成高校が変わった学校だといえども、初日にできることなどそう多くはない。


 今は正午を回った頃。

 すでに生徒の7、8割ほどは寮へと戻っている。

 残りの者もグループを作り、カフェや買い物に繰り出していた。

 なので昇降口の付近は、人がまばらだ。


「それじゃあ、また明日!」


 昇降口の先で元気よく手を振る有希に、二人も手を振って返す。

 帰る場所こそ同じ女子寮だが、二人はこのあと売店や施設などを見て回ることにしている。

 なので有希とはここでお別れだ。

 有希がその場を去ると、途端に静かになった。

 聞こえてくるのは、建設工事の音くらいである。



「――さて、これからどこ見て回ろっか?」


 学校内の地図を頭に思い描きながら、美珂は訊ねる。

 学校の敷地は30万平米ほど。

 大きさをざっくり説明すると、隣県にある夢の国の半分より少し大きいくらいだ。

 シェリルは少し考えて、


「夜ご飯の材料を買いたい」


 と言った。

 今日、美珂は寝る前までシェリルの部屋で過ごす予定だ。

 なのでシェリルは、美珂の分の夕飯を作る必要があった。

 美珂は了承すると、頭に描いた地図の通りに食料品店へと向かっていった。



◆◆◆



 食料品店とお堅く言うが、内装も雰囲気も普通のスーパーとそう変わらない。

 ただ規模は普通のスーパーに比べて小さかった。

 入り口からいきなり惣菜売り場があることから、主要ターゲットが学生であることがうかがえる。

 続いて野菜、果物の生鮮食品、精肉、鮮魚といった生ものが続く。

 シェリルは夕食用の材料とは別に、直近二日分ほどの食料を買い足してゆく。

 途中、あるコーナーで足が止まった。


「シェリルどうしたの?」


 買い物カゴを持ったまま急に立ち止まったシェリルに、美珂は首を傾げる。


「また、値上がりしてる」


 シェリルが指差すのは鮮魚コーナー。

 日本では庶民的な魚とされている鮭が、一切れ330円となっている。驚くほど高いが、これでもまだマシな方。漁が主要な供給源の魚は、軒並み暴騰ぼうとうしている。

 こんなこと普通ではあり得ない。

 つまり今、あり得ないことが起こっているのだ。


「ああ……海獣のせい、だったよね。ニュースで見たよ」


 海獣とは、新世界現象によって人類と同じように強化された海洋生物たちのことだ。

 新世界現象によってもたらされたステータスやレベルアップの恩恵は、何も人類だけのものではない。一定の知能を有する生物全てに与えられた機能だった。


 弱肉強食の海は生存競争が激しく、レベルアップの機会が多い。

 そのため、熾烈な競争を勝ち抜いた者は手が付けられなくなり、また強力な海洋型の魔物の発生も相まって、海は混沌と化している。

 ある国が資源運搬用のタンカーと、護衛に戦艦数隻を海へ向かわせたところ、その半分近くが海獣に撃沈されるという事態が発生した。

 以来、各国政府は航行禁止令を出し、注意を呼び掛けている。

 当然、漁になど出られるはずが無い。

 魚の高騰はこれが原因だった。


「んぅ……残念」


 少し値が張るくらいなら良かったが、いくらなんでも高すぎる。

 シェリルは購入を諦めることにした。

 その後、数十分と食料品店を彷徨い、二人は会計を済ませる。


「凄い、こんな風になるんだ……」


 レシートには各商品の値段と、残高ポイントが印字されていた。

 支払いはIDカードをかざすだけで済む。


「……荷物できた。一度帰る?」


 両手に収まったレジ袋を持ち上げてシェリルは問うと、美珂も苦笑する。


「あはは……そうだね……じゃ、戻ろっか?」


 二人はそれぞれ袋を持つと、寮へと戻っていった。



◆◆◆



 時刻は19時半。

 場所はシェリルの寮部屋。

 日は暮れ、外の工事音もすっかり聞こえなくなり、食器を洗う音がやけに響く。


 あれから一度寮に荷物を置いた二人は、一時間ほど前まで外を散策していた。

 その結果、敷地内にある施設や売店などは一通り把握することができている。

 やはり地図で見るのと、直接に目にするのとでは持てるイメージが違った。


「シェリル、料理すっごく上手くなってたよね。お母さんから教わったんだっけ?」


 照り焼きチキンのタレがついた皿を洗いながら、エプロンを付けた美珂は言う。


「うん。甘さと辛さのバランスで、合格貰うの大変だった」


 隣で食器を拭いていたシェリルはそう言うと、母実代のことを思い出す。


 実代は普段ぼんやりしているのに、料理のこととなると人が変わったようにスパルタだった。

 スパルタといえども、怒鳴ることも𠮟り倒すこともしない。

 ただ、作った物を笑顔でダメ出しする。その指摘は一流そのもの。なんて言ったって彼女は高級料理店の料理長なのだから。

 そんな彼女のスパルタ教育にシェリルはむしろ、進んで教授を受けた。その姿勢は、実代もってしても引くほどの真剣さ具合。

 ゆえにシェリルの料理の腕前は、ちょっとしたものだった。


「お母さんから合格貰うの、相当だからね……?」


 合格自体は美珂も貰っている。

 だからこそ母の厳しさを知っていた。

 しかしシェリルは、


「うん、頑張った」


 と、当たり前のように言う。

 シェリルは厳しいなどと、これっぽっちも思っていなかった。

 美珂はなんとも言えない笑みを浮かべながら、最後の皿を手渡す。

 シェリルがそれを拭き終わり、食器入れに仕舞い込むのと同時。

 ピロンという効果音と、続く音声が風呂の沸き上がりを告げた。


「美珂ねえ、行こ」


 着替え一式を抱えたシェリルは、当然のように美珂を風呂へと誘う。

 美珂も自然な流れで了承すると、持参した着替えを取り出して、脱衣所へ向かった。



◆◆◆



「……んっ」


 湯気が立ちのぼる暖の効いた浴室に、シェリルのつやめかしい声が響いた。


「ふふっ……気持ち良い?」


 シェリルの可愛らしい反応に、美珂は微笑みをこぼして訊ねる。

 するとシェリルは、


「うんっ……」


 と、気持ち良さそうに声を上げた。

 目を瞑り、ほんのりと赤くなった頬が愛らしくも悩ましい。


 シェリルは今、姉の美珂に髪を洗われている。

 小さなバスチェアにちょこんと収まり、泡をかぶったシェリルの姿は、まるで子犬のよう。

 そんなシェリルの頭を、美珂は揉むようにして、丁寧に洗う。

 生え際から頭頂部へ向かって、円を描くように滑り。

 耳の近くから斜め上に向かって、手のひらの付け根でほぐしてゆく。

 シェリルと出会ってから今日まで、何度も行ってきたルーティーン。

 その力加減は絶妙で、眠ってしまいそうになるほど心地良い。


「んっ……」


 二人の間に会話は無い。

 ただ髪を揉む音と、時おり漏れ出る声が、時間とともに流れてゆく。

 姉妹が触れ合うこの穏やかなひとときこそ、シェリルにとって至上の幸福だった。



「シェリル、流すよ」


 数分とも数十分とも取れるような時間は、やがて終わりを迎える。

 こくりと頷いたシェリルに、美珂は風呂桶で掬ったお湯をゆっくりとかけ流す。

 泡が流れ落ち、それらは排水溝へと消えてゆく。

 相変わらず目を閉じたままのシェリルの瞳に、その光景が映ることはない。


「シェリル。もう目、開けて大丈夫だから」


 美珂の言葉に、ようやく目を開く。

 ずっと閉じていたせいか、ずいぶんと眩しく感じる。

 この感覚も、もう何度も味わって来たものだ。


「ありがと、美珂ねえ。次は私が美珂ねえの、洗うね」


「その前に背中を流してから、ね?」


「そうだった」


 役者交代の前にもう一つ、すべきことを忘れていたようだ。

 シェリルは立ち上がりかけた腰を再び下ろし、背中を洗ってもらうのだった。



「ん~っ! やっぱり湯舟は気持ち良いね~……ほらシェリルも、おいで?」


 先に浴槽へ浸かった美珂は、洗い場に立つシェリルを手招きする。

 シェリルはそれに応じると、ゆっくりと浴槽をまたいで、美珂の膝の上に座った。

 二人の髪は、お湯へ浸からないように、お揃いに結い上げられている。


「んう……最高」


 肩近くまで湯舟に浸かったシェリルは、ため息とともにそうこぼす。

 そんなシェリルを、美珂は後ろから手を回して抱きかかえた。

 美珂の健康的に実った双丘がシェリルの背中に密着して、形を変える。

 二人の姉妹の、瑞々しく張りのある肌が触れ合い、なんとも悩ましげな光景が繰り広げられた。


「んふふ……シェリルあったかいなあ……」


 シェリルから感じる体温に、そんな言葉をこぼす美珂。

 心なしか強まる抱擁を、シェリルは抵抗することなく受け入れる。

 温めの湯に、互いの温もりが心地良い。


 二人の関係性は、はたから見れば姉妹のそれを超えているように見える。

 しかし二人にとって、この程度のスキンシップなど他愛もないこと。

 そう、二人はともに重度のシスコンなのであった。



「そういえばシェリル、初めての学校どうだった?」


 腕の中にいるシェリルの感触を楽しんでいた美珂は、しばらく経って、そんな風に問いかける。

 悩むように考え込み、ややあって、シェリルは答えた。


「……不思議な感じ、かな?」


 シェリルは続ける。


「あんなに沢山の同い年の人たちがいて、みんな輝いてた……それで私もわくわくするっていうか、その……なんて言えば良いんだろう……」


 今の気持ちを示す言葉が、シェリルには分からなかった。


 入学前に、どこかで抱いていた不安。

 友達や、先生、あるいは学校というシステムそのもの。

 しかしそれらは今日、期待と高揚に変わった。

 熾烈な受験競争を勝ち抜いてきた少年少女たちの顔は、自信に満ちていて。

 そんな生徒たちをサポートする環境が、十全に整えられている。

 言いようの無いさまざまな感情が、シェリルの回答を曖昧にさせた。


 そんなシェリルの答えをどこか嬉しそうに聞いていた美珂は、おもむろに言う。


「それって、って事なんじゃない?」


「――!」


 美珂から告げられた言葉に、シェリルは美珂へと振り向く。

 優しげな眼差しを浮かべる美珂の顔が、そこにあった。


「楽しかった……そうかも……」


 スッと胸に吸い込まれるような感覚。

 シェリルにとってそれは、何だか凄く、納得のいく答えだった。


 学校に行って、先生の話を聞いて、友達ができて、その友達と昼食を共にして。

 何もかもが新鮮で、楽しかった。

 そう、本当に――


「とっても楽しかった……!」


 シェリルは心からそう思う。

 新生活の始まりも、ようやく実感が湧いてきた。

 まだ初日だというのに、ここに来て良かったのだと確信できる。


「そっか……良かったね、シェリル?」


「うんっ!」


 美珂に視線を向けられたシェリルは、嬉しげに笑みを咲かせて頷いた。



◆◆◆



「おやすみシェリル、また明日ね?」


 制服姿に戻った美珂が、玄関先で手を振る。


「また明日……おやすみ、美珂ねえ」


 シェリルもそれに応じて、控え目に手を振って言った。

 そのまま美珂がエレベーターに乗り込んで行くまで見送ったシェリルは、部屋へと戻る。


 時刻は9時過ぎ。

 普通の女子高生は、むしろこれからが本番という時間帯。

 しかしシェリルは部屋の照明を落とすと、ベッドで横になる。

 明日の朝に向けて、しっかり睡眠をとっておく必要があった。

 念のため目覚ましタイマーをセットして、目を閉じる。


 慣れない環境で、気付かぬうちに疲労していたのだろうか。眠気はすぐに迫ってくる。

 シェリルはそれに抗うことなく、湧き上がる微睡まどろみに身をゆだねた。






※描写を考えるのにかつてないほどの時間をかけました。

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