第15話 家族
心細さを覚えるたびに、いつも二人の両親を思い出す。
冒険者の両親は、幼かったシェリルを思い、仕事は常に彼女が寝た夜に向かっていた。
そして朝シェリルが起きる前に帰還すると、彼女の隣で眠りにつくのだ。
(おとうさんとおかあさん、また寝坊……)
ほんの少し構って欲しくなって、幼いシェリルは二人に手を伸ばしかけ……そしてその手を下ろす。
両親が仕事で疲れているのを知っていたので、休息を妨げるようなことをしたくなかったのだ。
だが、その日の両親はいつもと違い、シェリルが下ろしかけた手を取ってくれた。
帰って来たばかりで疲労が残っているにもかかわらず、二人は優しく微笑む。
辛くないのかと、つい聞いてしまった。
自分の存在が、二人を苦しめているのではないかと。
なぜか無性にそう思って、シェリルは泣きそうになった。
そんな問いに、二人は否を返した。
逆だと。
お前がいてくれるおかげで頑張れる、あなたが私の希望なのだと。
だから、そんな悲しい顔をしないで。
最後に二人は口を揃えてこう言った。
シェリルが生きていてくれて幸せだと。
そう言って二人は祈るように、シェリルの両手を包み込むのだった。
幸せな記憶。
それが二人の両親との、最後の記憶だった。
次の日。
目が覚めたとき、いつも隣に居るはずの両親がいない。
すべて、悟った。
そして、泣いた。
ただひたすらに、泣き喚いた。
顔をくしゃくしゃにして、滂沱の涙を流しながら叫んだ。
苦しみを吐き出すように。
孤独から逃れるように。
一瞬だけでいい。
一瞬だけ、何もかも忘れたくて。
その一心で、泣き続けた。
その日、シェリルは孤児になった。
家族がおらず守ってくれるような人もいない。
吹けば飛ぶような、あまりにも弱く、無力すぎるほどに無力な少女。
けれど、シェリルは一人じゃなかった。
心と、脳裏に浮かぶ、家族との思い出。
それは、どれだけ経ってもシェリルの心に焼き付いたまま、離れることはない。
胸に手を当てれば、そこにはいつも二人がいた。
きっとどこかで見守っていてくれる。
むしろ、いなくなった気がしないと、なぜかそう思う。
記憶は常に原動力だった。
それを、シェリルは今も胸に刻み続ける。
「んぅ……」
与えられた自室のベッドの上で、シェリルは目を覚ました。
目を瞬かせながら、部屋の中を見回す。
越してきたばかりのシェリルに荷物はなく、机と椅子、そして参考書が収められた収納だけが置かれている。
シェリルの唯一の荷物である装備品一式と、魔石の入ったポーチは現在、国の研究機関に預けており、近々返却される予定だ。
シェリルの現在の恰好は、ガーリッシュなピンクのネグリジェである。
寝間着が無いというシェリルの言葉に目を輝かせた女性陣によって、半ば強制的に着させられたのだ。
そう、新たな家族に会ったのだった。
第一印象は、誰もかれもが個性的。
祖父の博司は言うまでもなく、祖母の弓子は長身で若々しい弓の達人。
その二人の息子である父の
逆に155センチほどの母
二人並べば傍から見ると美女と野獣。だが中身は真逆だった。
そして長男の
長女の
最後に、これまで末っ子だった次女の
そんな美珂は真面目で優しく、新たに家族となったシェリルの世話を誰よりも焼いていた。まさに理想的な姉だ。
だが彼女は今、困った病気を発症している。
それすなわち、シスコンである。それも重度の。
「……」
窓の外を眺める。
まだ朝日は昇っておらず、誰かが動いている気配もない。
だがシェリルがルヴナードにいた頃は、ほとんどの人が活動を始めているような時間だった。
そんな少しの違いが、遠いところまで来たのだということを確かに教えてくれる。
これからもきっと、こう言った変化を感じながら生きてゆくのだろう。
「……いろいろあった」
ここ1ヶ月の間、本当に目まぐるしい日々が続いた。
記憶を辿るように、それらを思い出す。
始まりは1ヶ月前。
人身売買組織に攫われたときのことだ。
それはギルドで薬草採取の依頼を受け、王都の外れの森に向かっていた時だった。
突如背後から襲われ、気付けば移送用の馬車の中。
そこにいた見張りに、なぜこんなことをするのか聞いてみたのだ。
それによると、子どもの頃から目を付けていたシェリルが、想像以上の美人に成長したからだという。
プラチナブロンドの髪に空色の瞳という組み合わせは、王都ルヴナードの人間が憧憬を抱くほどに幻想的な色合いだった。加えて、シェリル本人が凄まじい美貌を有していたのもある。
それは成長するにつれてより顕著になっていった。
孤児でロクなものを食べていないのにも関わらず、年齢に似合わぬ抜群のプロポーションを誇り、そのくせ小柄ときた。
そんな奇跡の少女を放っておくはずがないと、そう言われたのだ。
続けて、こうも言われた。
可哀想に。
娼館送りにされたあと、好色家に買われる日々が待っているぞと。
それは、全身が総毛立つほどに気味の悪い感覚だった。
だからこそ逃げ出したのだ。
一瞬の隙をついて魔法で霧を発生させ、混乱に乗じて逃げ出すことに成功。完璧な流れだった。
しかし想定外だったのは魔獣の群れに襲われ、危うく死にかけたこと。
その後ボブゴブリンに襲われた時は、逃げたことを後悔すらした。
「でも、奇跡的に生き残った」
ダンジョン化現象により負っていた怪我が完治し、ホブゴブリンも死んだ。
目が覚めて危機が去ったと分かった時は、胸をなで下ろしたものである。
だがそこからが本当の闘いだった。
超低確率のドロップ装備を頼りに、魔物を狩り続けるという正気を疑う行為に走り。それどころか、刻印魔法の開発も同時進行だ。
後から考えると、その行動は確かに理に
しかし正気の沙汰ではない。
これはゲームではないのだ。
シェリルだって人間の女の子である。
詳しくは触れないが、洞窟内での生活で大変なことは山ほどあった。
そんな一言では到底済まない苦労を乗り越えて、命からがらダンジョンを抜け出した。その矢先の、異世界到着。
短い期間にいろいろ起こり過ぎだろう。
シェリルは冷静なようでいるが、実のところ一杯一杯だった。
「でも、みんながいてくれる」
新たな家族は、シェリルへのサポートを約束してくれた。
シェリルは異世界人にもかかわらず、なぜか言葉を話せる。
これは、日本語だけでなく全世界の言語がその対象だった。
発音と口の動きが全く合っていないにもかかわらず、相手の言葉が分かるうえ、自分の言葉も通じる。
しかし代わりに、シェリルは文字が読めなかった。
数字や五十音、アルファベット、そのほか地球上のほぼ全ての文字が、シェリルには分からなかった。
「頑張らないと」
シェリルは来年から、姉と同じ高校に通うことになっている。
その高校は、国が提示する新時代のカリキュラムを取り入れた特殊な学校だ。
全国同時に十校開校する予定で、各校は国が運営し、生徒は国と学校による手厚い補助を受けることが出来る。
混沌化する新時代を切り開くという期待を背負い、全国どころか世界からも生徒が集まることが予想されている中での受験だ。
当然、厳しい戦いになる。
基本システムは十校とも共通で、定員は一学年たったの200人。そして全寮制だ。
シェリルの目指す学校の名は、新世代育成高校の東京校。
首都圏ということもあり、受験者は他の九校より多くなることが予想される。
普通に考えて、勝機は薄いように思える。
だが国からしてみれば、異世界人であるシェリルは最重要人物であり、是が非でも入学してほしい存在なのである。
なのでシェリルが入学可能な得点であろうとなかろうと、席が用意されるという取引が行われていた。
もし入学可能な得点であったなら一般生徒と変わらず入学でき、席は200のまま。
入学不可な得点であったのなら余分に席が用意され、席が201となる。
しかしこの取引のことをシェリルは知らない。同じく美珂も知らない。
だが二人以外の家族は皆知っていた。
そして同時に、この取引の意味があまりないことも、家族は知っている。
入学試験は筆記だけでなく、実技も行われるからだ。
まあ、当然の処置ではある。
新世界現象以後の世界を先駆ける、そんな人材を育てるにあたって、勉強ばかりの人間を集める意味が全くもってない。
シェリルの成績では、筆記だと現時点で受験者最下位を争うレベルだが、逆に、実技では圧倒的トップを狙える立場だ。それどころか世界中を探しても、シェリルに勝る者は数えるほどしかいない。
なので家族はほとんど心配しておらず、必死に頑張ろうと気合を入れるシェリルを、微笑ましく見ていた。
「……んしょ」
シェリルはベッドから立ち上がると、机の上に筆記用具と小学校三年生レベルの漢字ドリル、そしてノートを取り出し、勉強を始める。
二年生レベルまでの勉強はすでに入院中に終わらせてある。
シェリルは驚異的な速度で学習を進めていた。
「……」
静かな部屋にペンがノートを走る音が聞こえる。
それは朝日が差し込み、数時間経った後も続いていた。
すでにドリルは9割ほど進んでおり、あと数分あれば終わりそうな勢いだ。
そんな時、部屋のドアの前に人が立つ気配を感じて、シェリルはようやく手を止める。
その後、予想通りドアを叩く音が聞こえた。
「……シェリル、起きてる?」
控え目な声でそう告げるのは、姉で同い年の美珂だ。
シェリルはすぐに返事を返す。
「うん……起きてるよ、美珂姉さん」
その返答を聞いて「入るね」と言った美珂は、ドアを開けてすぐに驚いたような表情を浮かべる。
「こんな時間からもう勉強してるの……? すごいねシェリル」
美珂の視線は机の上に向けられていた。
時刻はまだ7時。普通に寝ていてもおかしくないような時間だ。
実際、美珂の恰好は寝起きそのもので、上下お揃いのストライプ柄のパジャマだけ。髪だってセットしていない。
「頑張らないと、姉さんと同じ学校にいけないから」
なんともいじらしい発言に、美珂は
「シェリル、朝の支度とかまだ分からないでしょ? もう少ししたら朝食だから、それまでにやり方とか教えておこうと思って」
そう言って、乱れた髪を指差す。
美珂は肩が少し隠れるほどのセミロング。シェリルはまだ散髪に行けておらず腰の下に届くほど髪が長いので、二人とも朝起きたときは大変だった。
「お願いします、姉さん……」
シェリルはそう言って、遠い目をしながら頷いた。
◆◆◆
その日からシェリルの生活は、孤児になってからの九年間とは比べ物にならないほどに、平和で、楽しくて、順調だ。
途中、さまざまな問題に見舞われたこともあったが、そんなことが気にならないほどに、充実した日々を送ることができていた。
新たな家族の優しさに触れて、シェリルはようやく、幸福を取り戻す。
その日、夢を見た。
シェリルが5歳の頃の夢だ。
母から教わった魔法を始めて自分一人で使えるようになった時のことだった。
庭に備え付けられたお手製の的が、シェリルの魔法で破壊される。
そんな様子を信じられないような顔で眺めていたシェリルに、母シエンナは言った。
「凄いわシェリル。これでもう、どんな事だって平気ね!」
そう言って、シェリルをぎゅっと抱きしめる。
シェリルはみるみるうちに顔をほころばせ、
「うん……! これで私も、一人前……!」
と、喜びを嚙み締めるように頷く。
そんな二人の様子を、庭の椅子に座って眺めていた父ベリルは、誇らしげに、そしてどこか寂しそうに微笑んでいた。
そう。
どんな事だって平気なのだ。
両親から貰った記憶の魔法は、どれだけ経っても解けることはないのだから。
◆◆◆
月日は流れ、4月7日水曜日。
時刻は朝の8時。
あてがわれた寮の自室に、制服で身を包んだシェリルの姿があった。
シェリルの着ている制服は、上下ともに黒のセーラー服だ。
胸元には赤いリボンタイが結ばれており、それと同色のラインが、白い襟とスカート端に入っている。
スカート丈は膝上で、白のハイソックスを履いていた。
「よしっ」
どこか気合を入れるように呟いたシェリルは、部屋のカードキーを手に、玄関へと向かう。
そこで黒のローファーへと履き替えて学生鞄を手に持つと、ドアを開ける。
そこには、
「おはようシェリル。それじゃ、行こっか!」
眩しい笑顔で言う、姉の美珂がいた。
シェリルもうっすらと笑みを浮かべて、言う。
「うん、行こう……美珂ねえ」
この日、新世代育成高校東京校に、200人の一期生が入学した。
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