第13話 ファーストコンタクト

 両神山ダンジョン。

 それは、新世界現象が発生して約三週間が経過した7月28日現在、日本で8番目に驚異度が高いとされるCランクダンジョンだ。

 標高300メートルほどの、森で囲まれた広場の先にある洞窟が、このダンジョンの入り口になっている。

 洞窟に入ってすぐに、左右を分断するように水が流れ出ているのが特徴だ。

 その水がどのようにして湧いているのかは全く分かっていない。


 そんな両神山ダンジョンは、発見されて二週間がたった現在、自衛隊による封鎖がなされていた。

 危険度ゆえに駐屯する自衛隊の数も多く、昼間にもかかわらず外で見張りをする自衛官が10人以上もいた。

 そのうちの一人。

 二等陸尉の階級を持つ女性自衛官の市ヶ谷真希いちがやまきは、わずかに響いた足音に気付き、洞窟へと視線を向けた。


「どうした、真希」


 近くにいた同僚の男、今宮涼介いまみやりょうすけが不思議そうに声をかける。


「今、足音がしたような気がして……気のせいかもしれないけれど……」


 真希は自身なさげにそう言う。

 耳には自信があったが、誰かがダンジョンからやって来ることなどあり得ないからだ。


 両神山ダンジョンが発見されたのは二週間前。

 驚異度測定のために侵入した1個小隊が、その半分にまで数を減らし、死に体で戻ってくるという事件があった。侵入した彼らは、全員がすでに二つ以上のダンジョンの測定を行ってきた精鋭であり、最新の武装をしていたにもかかわらずだ。

 それ以降、このダンジョンは誰の侵入も認められていない。

 蟻一匹通さないほどの厳重な警戒態勢が敷かれていた。

 それが分かっているので、涼介も肩を竦める。


「疲れているんじゃないか? あの化け物どもを見たろ? あれを倒せるヤツなんてこの国にゃ、いやしねえさ」


 あの化け物、とは体長5メートルを上回る巨大熊ウォーベア。部隊を蹂躙じゅうりんした悪夢の怪物のことだ。

 二人は二週間前に両神山ダンジョンへ突入した部隊の生き残りだった。

 二人とも奇跡的に軽傷で済んだが、それはベテラン自衛官が盾になってくれたからである。戦線をともにした先達が散っていったのを間近で目撃すると同時に、激しい無力感を覚えたのは記憶に新しい。

 だからこそ、あのダンジョンから誰かが帰還してくるなどあり得ないと断定できる。

 真希も同意するように頷く。


「そうよね……私の聞き間違いだと思うわ、忘れて頂戴」


 そう言って場を離れようとした時だった。


 ぺた、ぺた、と。

 聞き間違いようの無い、確かな足音が、二人の耳朶じだを叩いた。

 それは、二人がいる洞窟の入り口まで迫ってくる。

 驚きに二人は顔を見合わせた。


「まさか、魔物か……っ!」


 涼介が焦ったように言う。

 音からして例の巨大熊ではない。

 けれど巨大熊以外にも、部隊が敵わなかった化け物はいくらでもいた。


「涼介、佐官へ報告を」


 「了解」と短く返答した涼介は報告に走り去る。

 それを確認した真希は、周囲で見張りに動いていた他の仲間へ無線機で報告した。


『何かが来ます』



◆◆◆



 信じられなかった。

 目の前の出来事が夢ではないのかと疑ってしまうほどには。



 足音が聞こえ始めてから数十秒後。

 現れたのは、一人の少女だった。

 満身創痍といった様子で、ボロボロになりながら。

 異様な存在感と、日本人離れした美貌を有した少女が、眩し気に目を細めながらそこに立っていた。


 訪れたのは、驚愕と静寂。

 たった一人で現れた少女を、十数人の自衛官が驚きの表情で見つめていた。


 あり得ない。

 真希の脳内は、そんな一言で占められていた。

 あれほど目立つ容姿をした少女がダンジョンに近付けば、すぐに分かるはず。

 そんな少女の侵入を許すほど見張りの目は節穴ではない。

 ではダンジョンが発見される前に侵入したというのはどうか。

 これもあり得ない。

 真希はあの魔境を身をもって体験している。あの場所で二週間以上も生き抜くことなど不可能だ。


 脳裏に浮かんだ可能性は、どれもあり得ないものばかり。

 そう。

 その少女の登場は、あらゆる点においてあり得なかった。

 皆、理解できないのだ。


 そのとき、眩しさに慣れてきたのか少女の瞳が、自衛官たちへと向けられる。

 そして、彼らをさらに混乱させる出来事が起こった。


「……なに、ここ……?」


 呆然と、少女は呟いた。

 喋ったのだ。

 真希たち日本人に通じる言語で、である。

 その容姿は明らかに日本人のものではないのにもかかわらずだ。

 しかし少女の呟きは、静寂の中で間違いなく彼らの耳に届いた。


 動揺が広がり、誰も何も言えない状況。

 しかしようやく、そんな場を一変させる一声がかけられた。


「何事だ」


 武装した五人の自衛官を引き連れ、この場の管理者である大倉おおくらが現れたのだ。ちなみに武装した五人のうち一人は涼介である。

 大倉はすぐに少女の姿を見つけると、やはり驚いたように眉を上げた。


「……なんということだ……いや、今は彼女を救うことが先か」


 そんな呟きをこぼすと、てきぱきと指令を出し始める。

 少女に注目していた自衛官を解散させて、真希を呼んだ。


「真希君。君には彼女について貰う。たった今、救護ヘリを手配したので彼女とともに先に病院まで向かってくれ」


 拒否することもないため了承の意を告げると、大倉は「ではまた後ほど」と言い残して、どこかへ電話をかけ始めた。


 指令を受けた真希は、崩れ落ちるように座り込んだ少女に慌てて近付く。


「あなた、大丈夫……!?」


 どう見ても大丈夫ではないことにすぐ気付いたが、真希はそれどころではなかった。


(骨折、打撲、捻挫、出血……それに靴も履いていない。こんな状態でどうやってここまで来たと言うの……?)


 顔が引きつりそうになるのを堪えながら、痛ましげに少女を見つめる。

 そんな視線を受けた少女は、振り絞るように声を上げた。


「……からだが……いたい、です……あ、の……たす、けて……くれません、か……?」


 途切れ途切れの発音で告げられたのは、痛ましいほどに切実な、助けを求める声だった。

 真希は涙が出そうになるのをぐっと堪えながら優しく抱きしめると、そっとささやく。


「よく頑張ったわね……もう大丈夫よ。すぐに病院に向かうから、あと少しだけ待ちましょう?」


 少女は少しだけ戸惑った様子を見せながら腕を真希の背に回して、こくりと頷いた。


「おねえ、さんは……?」


 ふと少女は、親切にしてくれる目の前の女性に対して興味を抱いたのか、真希が何者なのかを問うた。

 そんな少女に真希は抱擁を解いて微笑みを浮かべ、答える。


「私は真希よ。あなたは?」


 そう問い返された少女は、なぜか驚いたような表情を浮かべ、やがて嬉しそうにはにかむと、真希と同じように答えた。


「わたしは、シェリル」


 初めて、シェリルが異世界の人間と言葉を交わした瞬間だった。



◆◆◆



 20分後。

 手配された救護ヘリが上空から広場へ着陸すると、中からタンカーを持った救急隊員が飛び出してくる。

 あらかじめ連絡のあった患者の少女――シェリルは、涼介の腕に抱えられていた。


「彼女がその……」


「この子はシェリルです」


 隣にいた真希が応じると、涼介が救急隊員の指示でタンカーへシェリルを寝かせる。

 真希と言葉を交わしたシェリルは、その後すぐに眠りについた。

 そんな様子を見て、真希はシェリルが死んでしまったのではないかと思い盛大に焦ったが、疲労で眠っているだけだと知って、胸を撫で下ろすという一面があった。


 そのままシェリルを乗せたタンカーはヘリに運び込まれ、真希も後に続いて乗り込む。

 その後すぐにヘリは飛び立つと、最寄りの大病院へと向かっていった。




※ようやく地球に到着しました。

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