第5話 雌伏の時

 初めて刻印魔法を使ってから三日が経った。

 今はこの日二度目の食事の時間だ。

 あれから結局、生で切り身を食べることにしたのだが、元々そんな習慣が無かったシェリルにはとにかく苦痛だった。

 無機質な味、ゴリゴリとした食感、生魚特有のにおい。どれをとっても最悪である。

 にもかかわらず。


「あれ、ちょっと美味しい……?」


 なぜか今までよりずっと美味しく感じて、シェリルは不思議そうに首をかしげていた。

 シェリルは孤児ということもあって、口にするものは粗悪な品ばかりであったが、だからといって味音痴というわけでもない。

 むしろ舌の感覚は普通の人間よりもずっと良かった。

 だからこそ分かるのだ。

 明らかに味が良くなっている、というよりシェリルの知っているブレードフィッシュに近い味がする。今までがおかしかったのだ。


「何が違うんだろう」


 シェリルは不思議に思い、食べていた背身を他のものと見比べる。

 するとあることに気付いた。


「これ、確か三日前にドロップした切り身だ」


 ここ三日間、シェリルは腹を壊すのを警戒して取れ立てばかりを食べていた。

 けれど今は違う。

 先ほど狩りから戻ってきた際に、初めてドロップしたレア級の道具に気を取られてしまい、昨日までのドロップ品がまとめて置かれた布の上に、回収した切り身を放置してしまっていた。

 それを誤って取り違えたのだ。


「もしかして、取れ立ては美味しくない?」


 新鮮なのが一番だとシェリルは聞かされてきたが、そうではないのか。

 疑問を解消するために真新しいと思われる切り身を千切って口に運ぶ。


「うぅ、美味しくない……」


 あまりの不味さに身震いした。

 もう二度と取れ立てを食べないことを心に誓い、食べかけの切り身を完食するのだった。


 シェリルが熟成という言葉を知るのは、まだ少し先の話だ。



◆◆◆



 食事を終えたシェリルは、自分の心を奪ったレア級の道具を眺める。

 水色の袋の上に置かれていたのは、青い液体の入ったガラス瓶。

 実を言うと、このアイテムがなんなのかをシェリルは知っていた。


「これは下級の魔力ポーション。色んな魔物がドロップするって聞いてたけど、ブレードフィッシュからも出るんだ」


 下級とはいえ魔力ポーションは貴重である。

 シェリルのいた場所ではかなりの高額で取引されていた。

 シェリルの生活レベルで丸半年は食べていけるほどの金額である。


「これはいざとなった時に使おう」


 そう言って、割れないように布で包み込む。


「それにしても、川の近くはやっぱり危ない」


 シェリルがそう言うのには理由がある。


 それは、つい昨日のことだった。

 お決まりのブレードフィッシュ狩りのため川へと向かうと、間が悪く多くの魔物が休憩している光景に出くわしたのである。

 その際、ざっと見た限りでCランクが1種、Ⅾランクが3種いた。他に覚えのない魔物もいくつかいたが、どれもEランク以上はあるだろう。


「どうしても強い魔物が邪魔になる……でも、よさそうな魔物もいた」


 シェリルが目を付けたのは、全長2メートルほどの、オオサンショウウオのような見た目をした、マイムニュートというD級中位の魔物である。今のシェリルでは絶対に勝てない相手だが、現在開発中の刻印魔法が完成すれば、切り身の罠を使って倒すことができる。

 なによりマイムニュートからは防具がドロップしたという事例があるので、どうしても狙いたかった。



 今更ではあるが、シェリルがやたらと詳しいのには理由がある。


 孤児となったシェリルは、日銭を稼ぐためにギルドへ登録していた。

 ギルドとはあらゆる人間から依頼を募り、組合員に仕事として仲介する役目を担う組織だ。また、素材や薬草などの買い取りを行う便利屋のような側面も持っていた。


 そんなギルドには、組合員が立ち入れる資料室というものがある。

 魔物や植物などの役立つ情報が収められた施設だ。

 生きるのに必死だったシェリルは、役に立ちそうな情報を手に入れるため、手当たり次第に資料を読み漁っていた。

 これが、ただの孤児のくせに逸脱した知識を有していることの所以ゆえんである。それもこれも勉強嫌いを克服させ、文字を覚えさせた両親の努力の賜物だった。



「刻印魔法は少しずつわかってきた。もう少し時間をかければ、必ず生み出せる」


 今はまだ、雌伏しふくの時だ。

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