第55話 日歴123年 破片 下

「それ……」

 レイディアもそれが何かに気づいた。しばらくツァイリーの形見として肌身離さず身に着けていたペンダントだ。


 ツァイリーはそっと、黒い破片を手に取った。

 そして、あることに思い至る。


「あいつは……ギオザはどうなった!?」

 嫌な予感がした。


『……私が死ねば、その首輪は外れる』


 ギオザはそう言っていた。今、首輪は砕けて地に落ちている。自分を縛っていたものがなくなったというのに、ツァイリーは全く嬉しくなかった。


「ギオザ・ルイ・アサムはメルバコフ軍に捕まったって」

「捕まった……? 生きてるのか?」

「うん。さっき、移送するって引き上げていった」

「……よかった」

 ツァイリーは深く息を吐いた。


「よかった……?」

 安堵するツァイリーを見たレイディアは怪訝そうにそう呟いた。そして、キッと表情を険しくさせるとツァイリーの両肩を掴んだ。ツァイリーはその力強さに驚き、レイディアと視線を合わせる。

 こんなに怒っているレイディアは久しぶりに見た。

「あいつはリーを殺そうとした……!」

「殺そうと……?」

「この爆発を起こしたのは、ギオザ・ルイ・アサムだ」

 爆発、という言葉に、ツァイリーはハッとした。点と点が繋がったのだ。


 あの時、ギオザが首輪を爆発させたから、自分の周りのものが吹っ飛んでいったのだ。爆心であった自分が無事だったのは、もしかしたら……。


 ツァイリーは粉々になったペンダントを見つめた。


『これ!俺の母さんのメッセージなんだよ!』

『メッセージ?』

『うん!俺のそばにはリザがいるんだ!』

『どういうこと?』

『俺がピンチになったらリザが助けてくれるってこと!』


 昔、そう語ったことがある。

 子どもの頃、数少ない母の手がかりから想像した都合のいい物語ゆめ。大人になるにつれて、思い出すことさえいつのまにかなくなっていた。


 顔も見たこともない母親が、自分の命を救ってくれた。

 漠然と、ツァイリーはそう思った。


「ギオザはどうなる?」

 尚もギオザを気にかけるツァイリーに、レイディアは複雑な気持ちで、口を開いた。

「……メルバコフの人間は、極刑は免れないって」


 極刑、つまり、死刑。


 ツァイリーは背筋が冷えるような思いがした。

 ギオザが、死ぬ……?


「リー、セゾンに帰ろう」

 レイディアの真剣な眼差しが、ツァイリーを思考の渦から連れ戻す。

「俺は……」

 複数の足音が聞こえてきて、ツァイリーは身構えた。レイディアは振り返ってそれが誰かを認めると、声をかける。

「ハレル司教」

 やってきたのはハレル司教を先頭としたエルザイアンの一行だった。ハレル司教とは面識があるツァイリーは、レイディアの知り合いだとわかると、少し肩の力を抜く。

「レイディア、単独行動はやめろ」

「申し訳ありません」

 返事だけは立派なレイディアに、ハレル司教はそれ以上言い募ることはやめた。そして、レイディアが寄り添っている人物が、件の幼馴染であると気づく。


 ギオザ・ルイ・アサムが潜伏していたはずの建物は全壊、一帯は焼け野原と化し、建物の中にたった一人の生存者。

「……どういう状況だ」

 ハレル司教の問いに、レイディアはわかる範囲のことをすべて説明した。


「ギオザ・ルイ・アサムってどんな人?」

 馬車の中で、レイディアがそう尋ねた。エルザイアンはギオザの身柄がメルバコフに渡ったことを受けて、長居は無用とラミヤ大森林を後にした。


 ツァイリーはアサム王国に誘拐された被害者として、エルザイアンに連れて帰られる運びとなった。爆発による怪我はなかったとはいえ、その直前にメルバコフ兵と対戦していたツァイリーは満身創痍で、レイディアとハレル司教の決定に異を唱えられるような状況ではなかった。ゆえにツァイリーは言われるがまま、馬車に乗り、大人しく考えに耽っていた。


 見張り役として馬車に同乗したレイディアは、しばらくツァイリーに合わせて黙り込んでいたが、ついに耐え切れなくなって言葉を放ったのだった。

 レイディアの問いに、ツァイリーは視線を上げた。


「……ギオザは、変な奴だ」

「変?」

『貴様の選択肢は2つだ。私の犬になるか、処刑されるか。選べ』

 初めて会った日に言われた言葉。あの時、『犬になれ』と言われているように感じたのは、間違っていなかった。

 きっとギオザは最初から自分を処刑するつもりなんかなかった。

 ギオザにとっては自分は、道具にすぎなかった。けれど……。

「いつも国のことばっか考えてた」

 ギオザの言動はいつも国のためだった。そのためならば、自分自身さえも道具にしていた。

 憎まれ役も厭わず、自身の望みも端に追いやって、休む間もなく働いていた。


 今、ギオザはどうしているだろう。

 首輪を爆発させたのは、きっとそれが最善だと判断したからだ。建物外に逃がした後、ギオザが一人何を思っていたのか、ツァイリーは知りたかった。


 再び黙ってしまったツァイリーに、レイディアは息をついた。

 ギオザ・ルイ・アサムはツァイリーを連れ去った。きっと、無理やり命令に従わされているのだろうと思っていた。でも、ツァイリーから彼への憎しみは感じられない。それどころか、殺されかけたというのに心配までしている始末。


 約2年前、ツァイリーが消えてから、ずっと彼の影を追っていた。

 再会して生きていることがわかってからも、セゾンでの日常を取り戻すことばかり考えていた。

 けれど、2年という月日は決して短くはない。自分がたくさんの人と出会い、知らなかった世界に触れたように、ツァイリーもいろいろな経験をしたはずだ。

 それは自分が簡単に推し量れるものじゃない。


「リーの話を聞かせてよ」

 教えてほしい。今、何を思っているのか。どんな生活をしていたのか。アサム王国は、リーにとってどんな場所だったのか。


 そう言ったレイディアの表情は穏やかで、ツァイリーは呆けて彼を見つめた。こんな顔は久しぶりに見た気がする。ややして、ツァイリーは言葉を紡いだ。

「……俺、王城で暮らしてたんだ」

「王城?」

「そう。そんで、そこが6階建てで」

「6階? いつもの冗談でしょ」

「違うって! これは本当。窓から城下町が一望できるんだぜ。家なんて、こんなもん」

 そう言って、ツァイリーは親指と人差し指で、誇張した小さな丸を作った。

「へえ……」

 純粋に感心するレイディアに、ツァイリーは吹きだした。

「あははっ……そこは疑えよなあ」

 からかわれたことを悟ったレイディアはむっとした。それを見てツァイリーはなおさら可笑しくなる。


 食事は豪華で、人生で食べたことがないものばっかりだったこと。城には猫が出入りしていたけど、どうにも自分は苦手だったこと。アサム王国ではアザミと呼ばれていたこと。猫を被るのにもだんだん慣れていったこと。リズガードという、世にも美しい人がいたこと。よく街に降りて、探索したり、軍に交じって訓練していたこと。そして……。

 イズミという使用人が毎日髪を結ってくれていて、傍についていてくれたこと。


 ツァイリーはアサムでの日常をレイディアに話した。離れていた時間に何があったのか、余すことなく伝えたいと思った。


 冗談を交えて話すツァイリーに、疑い半分で聞くレイディア。馬車の中で、2人は離れていた時間を埋めるように語らいあった。



 しばらくして、休憩のため、馬車が停まった。

 ツァイリーは顔を洗うためにすぐそばにあった泉に近づく。レイディアはこちらを気にしながらも、少し離れた場所でハレル司教と話していた。2人の会話は聞こえない。

「あれ……」

 泉のほとりに、一匹の大きな鳥がいた。

「エシチョウ……」

 水を飲んでいるようだ。一瞬ヤオかと思ったが、そうではなく、野生のエシチョウらしい。


『この時期は南から北に渡るから、この国でもたまに見かける』

 ギオザの声が蘇った。今朝のことなのに、随分と昔に感じる。

 ツァイリーはエシチョウに近づく。こちらには気づいているようだが、ツァイリーに敵意がないことはわかるのか、逃げる気配はなかった。


「このまま真っ直ぐメルバコフに向かう。ギオザ・ルイ・アサムの処刑を阻止する」

 ハレル司教の言葉に、レイディアはツァイリーを見た。顔を洗うと言っていたはずだが、鳥にちょっかいをかけている。

「リーはどうするつもりですか?」

「何かの役に立つかもしれない。連れて行く」

 レイディアは、正直、これ以上ツァイリーを危険な場所に置きたくはなかった。

 とっととエルザイアンに連れ帰ってしまいたかった。

 しかし、馬車の中でアサム王国での話を聞いたレイディアは、きっとツァイリーは付いてきたがるだろう、とも思った。それに、ハレル司教の決定に異を唱えられるほど偉くもない。

 結局、思うところがありながらも、レイディアは「わかりました」とだけ返した。


 そうして、エルザイアンの一行は、そのままメルバコフ王国へ向かった。目的はギオザ・ルイ・アサムの身柄を奪うこと。


 一方、メルバコフ王国はギオザを確保したという一報を受けるや否や、先んじて『7日後にギオザ・ルイ・アサムを処刑する』という決定を下した。


 ツァイリーがその事実を知るのは、2日後、エルザイアンの一行がメルバコフに到着してからのことであった。

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