第49話 日歴123年 白刃の乱 下

「イズミ!!」

 二階に差し掛かった時、階段を上ってくるイズミと出くわした。

「アザミ様!」

「ギオザが襲われた!」

 イズミはギオザを見ると顔を強ばらせ、動揺を覗かせた。しかし、すぐに冷静さを取り戻すと、「こちらへ」と、ツァイリーを案内した。


 宴会場として使われる大広間などがある2階には、医務室がある。この時間帯なので、他の人の姿はなかった。

「刺された傷は塞がっています」

「塞がってる?」

「おそらくご自分で治されたのでしょう」

 そういえばギオザはすべての神力シエロが使えるのである。確か緑の神力シエロは治癒の力があったはずだ。 

「じゃあ、安静にしていれば大丈夫なのか?」

ツァイリーの問いに、イズミはじっとギオザを見た。

「いえ……ギオザ様が易々とやられるとは思えません。毒を盛られた可能性があります」

「毒!?」

 イズミはギオザの脈を測ったり反応を確かめたりするなどしてじっくりと検分した後、棚から1本の瓶を取り出した。

「これで解毒できるはずです。手伝っていただけますか」

 ツァイリーはギオザの上体を支えて、片手で口を開けさせた。イズミが瓶の中身を少しずつ、流し込んでいく。 

「ギオザ、聞こえるか? 解毒薬だ、飲み込め」

 その言葉に応えたのか、生理反応なのか、ギオザはややして嚥下した。


「アザミ様」

 ギオザを再び寝かせたツァイリーにイズミが声をかけた。

「この城は危険です」

 その声はいやに重々しかった。

 ツァイリーはイズミの瞳が揺れているように見えた。いつも事務的で淡々としているイズミではあるが、10年以上仕えているギオザが殺されそうになったという事実にはさすがに動揺しているようだ。


「誕生祭以降、ギオザ様には敵が多い。これで終わるとは思えません」

「……俺もそう思う」

 ギオザを刺した男は執務室付きだった護衛だ。他にも城の中にギオザを狙う何者かが潜んでいる可能性は大いにある。

「この城は亡命のための隠し通路があります。アザミ様、ギオザ様を連れて逃げていただけませんか」


 逃げる。

 慎重なイズミにしては大胆なことを言う、とツァイリーは思った。しかし、ギオザの命が危険にさらされているというのは事実で、安全ではない場所で手負いのギオザを守りきるのは難しい。


「危険が無くなるまで、少なくともギオザ様が回復するまで。リズガード様には私から説明します」

 身を隠して回復を待つ、たしかにそれが最善の策のように思えた。

「わかった」



 ツァイリーはギオザを背負って、明かり片手に、隠し通路を歩いていた。


『どうか、ギオザ様をよろしくお願いします』


 最後のイズミの言葉が頭から離れない。漠然と不安が残る。本当にこれで良かったのか、と。


 休憩を挟みながら隠し通路をひたすら進むこと数時間、やっと行き止まりまで来た。階段が続いている。この先が隠れ家に繋がっているのだという。


 ツァイリーは一度ギオザを下ろしてから階段を上り、天井を探る。材質が違う場所があることに気づくと、慎重に押し上げた。

 わずかに空いた隙間から、人の気配はないようだということを確かめると、ぐっと腕に力を入れて天板を外す。

 先に広がっていたのは、ごく普通の部屋だった。窓はないが、寝台と机と椅子がある。

 少しほこりはかぶっているが、隠れ家というわりには綺麗な部屋だとツァイリーは思った。


 ツァイリーは一度階段を降りてギオザを抱き上げると、部屋に上がってベッドに寝かせた。いまだにギオザは目覚めない。解毒薬を飲んだ効果か、呼吸は規則的で苦しんでいる様子はない。


 それからツァイリーはギオザの異変に気づける範囲でいろいろな場所を見て回った。イズミいわくここは、ラミヤ大森林と呼ばれる、アサム王国と荒野に跨がる広大な森の端っこらしい。隠れ家は、今は使われていない教会と隣接していて、かつて神父が住んでいたようだ。

 井戸があり、水は確保できそうだった。構造がセゾンの園と似ていて、ツァイリーは懐かしい気持ちになった。

 周りに一切の建物はなく、人の気配もない。まさに隠れ家に適した場所だ。ツァイリーは井戸で水をくみ上げると、家から拝借した布を浸けた。

 ギオザの手や身体にはべったりと血がついている。それを拭ってやろうと思ったのだった。


 部屋に戻ったツァイリーは、ギオザの額に汗が浮かんでいるのに気づき、布で拭う。

 すると、その冷たさに驚いたのか、ギオザの瞼がひくりと動き、やがて目を覚ました。


「ギオザ、わかるか?」

「アザミ……ここは」

「待ってろ、水持ってくる」

 ギオザのかすれた声に、ツァイリーは急いで水を持ってきて飲ませる。

「ここは隠れ家だ」

「隠れ家?」

「お前、覚えてるか? 刺されただろ」

「……ああ」

 ギオザは血で染まった自分の右手に視線を落とした。ツァイリーは布を渡す。

「その前に、水差しの水を飲んだら、急に身体に力が入らなくなった。毒だろう」

「イズミが解毒してくれた。今は大丈夫か?」

 ギオザは手を握ったり開いたりして感覚を確かめると、「大丈夫だ」と頷いた。


「あの男は捕まったと思うけど、他にもお前を狙う奴がいるかもしれないから、イズミと話してここまで連れてきた」

「イズミと?」

「うん、イズミがお前を連れて逃げろって」

「……そうか」

「腹の傷は痛むか? 塞がってるって言ってたけど」

「いや。痛みはない。少し血が足りていないようだが」

 ツァイリーはその言葉を聞いてどっと安心した。

 ギオザが血塗れで倒れている姿を見たときには、死んでしまったのではないかとすら思ったのだ。


「血は増やせないのか?」 

神力シエロが枯渇した」

「枯渇?」

「傷を塞ぐのに力を使いすぎた」 

「そういうのあるんだ」

 ツァイリーは神力シエロを使いすぎたという経験が無いので、神力シエロが枯渇するという現象自体初めて知った。しかし神力シエロ量に個人差があることを考えると、考えられる話である。

「時間が経てば回復する」

「そうか……」

 逆を言えば、ギオザの神力シエロが回復しないうちにまた襲撃にでも遭ってしまえば、今度こそ取り返しがつかないということだ。緑の神力シエロを使えるのはギオザしかいない。

「大丈夫だ、お前は俺が守ってやる」

 ツァイリーは決意を新たにした。

 イズミにも頼まれたのだ。ギオザに危害は与えさせない。

 しかし……。

「……お前、本当に阿呆だな」 

「は!?」

 当のギオザから発せられた言葉に面食らった。

「なんでだよ!」 

 理由を問うも、ギオザはそれ以上何かを言うこともなく、ツァイリーは腑に落ちないまま過ごすことになるのだった。



『お前は俺が守ってやる』 

 ツァイリーが食料を探しに出て1人になったギオザは、先ほどのツァイリーの言葉を思い出していた。

 ギオザが神力シエロを使えないということは、ツァイリーの首輪をどうこうすることもできないということでもある。

 ツァイリーからすれば今の状況は、ギオザを取り押さえて指輪を奪い、晴れて自由の身となる絶好の機会のはずだ。邪魔者もいない。

 多分、いや十中八九、アザミはそのことに思い至っていないのだろうとギオザは思った。

 思いついたとしても、実行には移さないとも思う。あいつは本当に阿呆だ。

 アザミと話していると、自分が思い悩んでいることが取るに足らないことのように思えてくるから不思議である。


 ギオザは喉の渇きを感じて、ツァイリーが持ってきた水に手を伸ばした。この中には毒は入っていない。 

 ギオザはここまでの一連の流れをじっくりと思い返した。毒を飲んでからは朦朧としていたため、記憶は曖昧だ。

 しかし、ギオザにはひとり思い至る犯人うらぎりものがいた。

 はっきりしたことは言えない。いつからかもわからない。

 ただ、もしこの予測が当たっていたのなら、アザミは悲しむだろう、とギオザは思った。

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