第48話 日歴123年 白刃の乱 上

 日歴123年冬月40日。事件から丸ひと月(90日)が経った。

 秋の月宴会にて、ギオザ・ルイ・アサムは消火の件を黒の神力シエロによるものと説明し、指名手配はエルザイアン側の誤りであると否定。懐疑的な者もいたが、表だって追求する者はおらず、ギオザ・ルイ・アサムは依然王として君臨し続けていた。


 しかし、事件の余波は決して小さなものではなかった。 


 ギオザの誕生祭に放火が起こり、その数日後には指名手配されたことで、『ギオザのせいで放火が起きた』という考えが蔓延っていた。


 一度芽生えた不信感はそう簡単には消えない。

ギオザは悪魔の子』

 そんな言葉がどことなく囁かれるようになった。


 そして、それを利用せんとばかりに、ゾイを筆頭とする主要貴族が国外追放されたことで息を潜めていた反体制ギオザ派が再び動き出したのだ。

 城下町が放火という憂き目にあったことによって、民衆達は他国との関わりを一層望まなくなってしまった。ギオザは基本的に先王の政策を受け継いでいる。王は今後他国との貿易に着手するするだろう、ということを強調し、反現王ギオザ派は民衆を仲間に引き入れていた。

 そんなこんなでギオザの立場は非常に不安定であったが、事件を機に人事を一新し警備を厚くした甲斐もあってか、指名手配を受けてもなお今日まで何事もなく過ごしていた。


 しかし、その時は突然やってきた。

 周到に、音も無く忍び寄っていた悪意があらわれた瞬間、ギオザは1人きりだった。


 ツァイリーとの食事を終えたギオザは、しばらく執務室で仕事をした後、就寝するため、執務室から水差しだけを持って寝室に移った。


 事件後、執務室にも護衛を置くべきだということで、執務室の中には昼夜問わず護衛が1人ついていた。イズミが選んだだけあって、護衛は上手く存在を消していて、彼がいることで仕事がやりづらいということもない。

 やや窮屈ではあったが、ヤオには他に調べてもらいたいことがあり、側についていてもらうことはできなかったので、ギオザは護衛の存在を受け入れていた。

 何よりも、誰かを付けておかなければ周りがうるさいのだ。


 就寝前に一杯の水を飲むのがギオザの習慣であった。

 ギオザはいつものように水を一口含み、飲み込んだ。その瞬間、何か違和感を覚えた。わずかに喉に張り付くような苦みがある。その正体を考えるが。


 とんっ、と音がした。


 右手で持っていたコップが絨毯に落ち、飲みかけの水が零れて染みを作っていた。

 ギオザはその事実を確認して、ぼんやりと手元へ視線を移す。


 指先に力が入らなかった。


 毒……? どうやって……。

 回らない思考で懸命に探す。

 誰だ、誰が裏切った。


 どんっと鈍い音が響き、視界は反転した。

 両膝を床についたのである。

 身体の感覚がなかった。それでも、ギオザは冷静に考え続ける。


 寝る直前という、1人でいるタイミングで、自分が水を飲むことを知っている者。


 普段ならば一瞬で導き出せる答えも、靄がかかったようなギオザの思考では時間がかかる。

 結論が出た時、ギオザは扉が開くのに気づき、重い頭を上げた。


 そこに立っていたのは、執務室付きの護衛だった。


 その右手に握られているのは小刀。明かりに照らされて白く光る刃がやけにはっきりと見えた。



 どんっ

 自室で本を読んでいたツァイリーは、かすかに聞こえた音に顔を上げた。

 常ならば気にならない程度の生活音だったが、何か嫌な予感がした。

 この階に住んでいるのは自分とギオザだけだ。ツァイリーは、念のため確認しておこうと立ち上がった。


「ギオザ……?」

 執務室をノックしても返事がないので、ツァイリーはドアノブをひねった。

「……!」

 そこでツァイリーは異変に気づいた。鍵がかかっているのである。普段、この部屋に鍵をかけることはない。中に護衛がいるからだ。


「ギオザ!」

 再度呼びかけるも、返事はない。

 おかしい。物音がしたのだから起きているはずだ。仮に寝ていたとしても、待機しているはずの護衛まで何も反応しないなんて、どう考えても変だ。

 隣の寝室の扉も開けようと試みるが、やはり鍵がかかっている。


 考えている暇はない。


 ツァイリーはすぐに扉から距離をとると、力いっぱいにぶつかった。扉は決して薄くない。


 しかし、誰かを呼びに行く余裕もないような気がして、ひたすら何度も繰り返し、やっとのことで扉を蹴破る。


「ギオザ!!」

 目の前に広がる光景に、心臓が嫌な音を立てた。

 大きな男の後ろ姿、右手には赤が滴る刃、地に伏せているギオザ


 男がゆっくりと振り返る。ツァイリーも知っている、ギオザの護衛だ。


 2人の視線が交差する。男が小刀を逆手に持ち替える。

 ツァイリーは丸腰で、相手はツァイリーよりもずっとがたいがいい。しかし、ツァイリーは一切怯まず、迷い無く男に向かった。


 小刀を振り下ろすその腕を力強く掴みひねり上げると、相手の足を蹴り上げる。体勢を崩した相手の隙を逃さずに転倒させると、馬乗りになって首筋に正確に手刀を入れた。抵抗させる暇も与えず気絶させたその手腕は目を見張るものであった。


 ツァイリーはすぐにギオザに駆け寄った。首筋に手を当てると、鼓動を感じて、ツァイリーは、はっと息を吐いた。


生きていた……!


「ギオザ!聞こえるか!?」

 しかし、事態は一刻を争う。腹を刺されたらしく、服に鮮血が染みていた。腹に添えられたギオザの右手はぴくりとも動かず、呼びかけに対する反応もない。

「我慢しろよ」

 ツァイリーはそう言って、ギオザの身体に腕を回すと抱き上げた。敵がどこに潜んでいるかわからない以上、ギオザを1人にするわけにはいかない。


 ツァイリーは注意を払いながらも、急いで部屋を出て階段を駆け降りた。

 ツァイリーは、以前イズミにこの城について教えてもらった時のことを思い出した。

 リズガードは5階、イズミを含む住み込みの使用人は1階に住んでいる。


「リズ様!! ギオザの部屋にいる男を拘束してくれ! ギオザが刺された!」

 5階を通り過ぎる時にツァイリーは大声で叫んだ。しばらくは気絶しているとは思うが、万が一にでも逃げられるわけにはいかない。ツァイリーはリズガードの返事を待たずに階段を下る。


 とにかく時間が無い。


 ツァイリーに医学の知識は無い。こういう時、1番頼りになるのはイズミだ。ツァイリーは1階を目指して飛ぶようにひたすら階段を降りた。

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