第50話 日歴123年 懲悪の日 上

 ギオザが襲われて2日後の昼。


 大きな鳥が隠れ家に舞い降りた。外で水を汲んでいたツァイリーは、呆気にとられた。しばらく鳥と目があったツァイリーは、「ギオザ!」と叫ぶ。ギオザは立ち歩けるくらいまでには回復していた。

「なんだ」

 外へ出てきたギオザは、鳥を目にすると、「エシチョウだな」と呟いた。

「この時期は南から北に渡るから、この国でもたまに見かける」

「いや、そうじゃなくて。あきらかになんか変だろ」

 淡々と解説するギオザにツァイリーは突っ込んだ。

ピンポイントでここに舞い降りた上に、ずっとこっちを見つめているし、飛び立つ気配もない。

「本物じゃないからな」

「へ……?」

 疑問符が飛ぶツァイリーの目の前で、エシチョウは一瞬にして人の姿になった。


 藍髪に金眼の青年である。


「ヤオ!」

「アザミはまだまだだなー」

 まだまだ、と言われても、鳥を見てすぐにヤオだと気づけるギオザの方がおかしいのでは、とツァイリーは思った。しかし、実際騙されたわけなので若干悔しい。

「何かわかったか」

「うん。盛りだくさんだよ。急いで伝えた方がいいと思って来た。ここも危険かも」

「危険?」

 ヤオの言葉にその場の空気が一気に不穏になる。ツァイリーは胸がざわつくのを感じた。

 これから一体何を伝えられるのだろう。


 3人は場所を室内に移した。隠れ家に隣接する教会である。中はほの暗く、ひんやりと冷気が漂っていた。

 説教台へと続く道だけが窓から差し込む陽に照らされている。こぢんまりとした建物だが、おもむきがあった。

 椅子に背をもたれて座ったヤオが切り出す。

「ギオザの力のことをメルバコフに伝えたのは、ゾイ・マツライだった」

「マツライ……?」

『ライアンの奪還は我がマツライ家の悲願なのです』

 ツァイリーは以前にそう語った夫人の姿が思い出された。

 マツライ家、30年前のライアン略奪時に英雄と称された元アサム王国軍軍団長カブキ・マツライの一族。そして、ギオザから気をつけるようにと言われていた家名でもあった。

 どうして気をつけなければいけないのか、結局ツァイリーは知らないまま今に至っている。


「ゾイ・マツライは宰相でありながら、反体制派の筆頭だった男だ。お前を王に仕立て上げようとしていた」

「俺を!?」

 やはりそういう動きをした人間もいたのか、とツァイリーは思った。

「あの男の執念を甘く見ていた」

 説教台を背に立つギオザの表情はいつもと変わらない。ゾイ・マツライの件は予想の範囲内だったのだろう。

「国外追放されてもギオザを追い落とそうとするなんてすごいよなー」

 ヤオが間延びした声で呟く。

「じゃあ、今回ギオザが襲われたのはその男の仕業なのか?」

「うーん、当たらずも遠からずかな……で、ここからが本題なんだけど」

 ヤオの声のトーンが変わる。


「裏切り者は……」

 続いた言葉に、ツァイリーはその場の時が止まったように感じた。


「イズミだ」


「そんなわけ……!」

 条件反射のようにツァイリーは叫んだ。そんなわけない。だってギオザは死にかけたのだ。

 あのイズミが、そんなことをするわけがない。

「ギオザの手当をしたのもイズミだ! イズミは」

「アザミ、落ち着け」

 ギオザの一声にツァイリーは口を噤んだ。言いたいことはたくさんあったが、ヤオが嘘をついているようにも見えなかった。

「あの護衛は、イズミが選んだ」

 そのギオザの言葉にツァイリーはハッとした。


 誕生祭の直後、城の人事が一新された。その選考はイズミに一任されていて、身辺調査をした上でイズミが信頼できると判断した者だけが採用されたと聞いていた。

「新しく入った使用人の中に、5人もメルバコフの人間がいた」

 ヤオの言葉に、ツァイリーは胸がざわついた。

「あのイズミがそんなミスをするわけがない」

 ギオザの一言はまさにツァイリーが考えていたことでもあった。イズミの仕事はいつも完璧で、特にあんな事件があった後に、みすみす敵を城に引き入れるわけがないのだ。


「でも……!」

 それでもツァイリーは納得がいかなかった。状況証拠は十分かもしれない。それでも、ツァイリーは約1年間、イズミの側にいた。長年ギオザに仕え、ギオザのことをよく理解していて、淡々としているけれど面倒見が良い。なにより……。


『どうか、ギオザ様をよろしくお願いします』


 そう言ったイズミに嘘はなかったと思うのだ。

「アザミが言いたいことはわかる。ただ、それ以上のことは調べられてない。イズミとリズガードの会話を聞いて、急いでここに」

 ヤオの声が不意に止まった。

「静かに」

 そう言うと、ヤオの頭からぴょこんと耳が出る。猫の耳である。不可思議な光景だが、それに言及できるような空気ではない。


「まずい。囲まれてる」


 その言葉にツァイリーは一気に緊張が走った。

「数は?」

 ギオザはまるで予期していたように冷静である。

「200…いや300はいる。他にも、まだ遠いけど、近づいてくる集団がいる。武装してるな」

 ヤオの言葉が終わると同時に、ツァイリーの耳にも人の足音が聞こえてきた。近い。ただ、人数はそんなに多くない。十数人といったところだろうか。


「……ヤオ、お前は城に戻ってリズガードにつけ。イズミが裏切ったのには理由があるはずだ。調べろ」

「でも、ギオザが……!」

「お前なら逃げられるだろう。早くしろ」

「…………わかった」

 そう言うやいなや、ヤオは鼠に姿を変える。じっとギオザを見つめてから、身を翻して駆けていった。


「ギオザ」

「狙いは私だ。お前は隙を見て逃げろ」

 その言葉にツァイリーはすべてを察した。300もの敵に手負いのギオザが敵うわけがない。今も立ち歩くのがやっとのはずだ。神力シエロも十分に回復していない。


 ギオザは覚悟を決めたのだ。その鋭い視線は扉の先にいる敵へ向けられている。


「そこから出て、とにかく川に沿って下れ」

 ギオザが指すのは説教台の先にある裏口だ。段差があるのでこちらから扉は見えないが、足音は正面口の方から聞こえるので、裏口の存在はまだ気づかれていないのかもしれない。

「城下町に入れば」

「ギオザ、俺は行かない」

 ツァイリーはギオザの言葉を遮った。そのはっきりとした言葉にギオザは振り返る。


「……私が死ねば、その首輪は外れる」

「だから安心しろって?」

 黙って自分をじっと見つめるギオザに、ああこいつ焦ってるな、とツァイリーは思った。

 そんな姿を見て、置いていけるわけもないのに。


 第一、ここで逃げたとしても無事でいられるとは限らない。ヤオによれば、離れたところにも敵はいるらしいし、相手がメルバコフなら、ライアン奪還作戦の責任者である自分も狙われている可能性は十分にある。

「お前はもっと人を頼った方がいい」

「今はそんなことを言っている場合」

 ギィと音を立てて、ゆっくりと正面口の扉が開いていく。

 ツァイリーはギオザの前に立った。

「それに」

 扉が完全に開く。そこには10人弱の男達がいた。その中で、唯一武装していない1人と目が合う。


「頼まれてるんだ。お前をよろしくって」


 その約束の相手、イズミをツァイリーは強く見据えた。



 イズミは険しい表情でこちらを見ている。

 やはり裏切ったのはイズミだったのだ。自分とギオザを人気のないこの場所へ誘導し、敵を引き連れてきた。いくら信じ難くとも、この状況でイズミが無実であると考えるのは到底無理だ。


「俺が足止めをする。お前は逃げろ」

 ツァイリーは振り返らずにそう呟いた。

 この場を上手く切り抜ける方法などツァイリーは思い浮かばなかった。ただ、ギオザを死なすわけにはいかない。ギオザが生き残る可能性がより高い選択をする。

 幸いにも逃げる道はある。走って裏口から出て上手く森の中に紛れ込むことができれば、逃げ切れるかもしれない。


「アザミ」

 なおも動こうとしないギオザに、ツァイリーは振り返ると、がっとギオザの腰に腕を回した。そのまま荷物のように抱え上げ、説教台の方向へ走る。

「おい、アザミ!」

 ギオザが身じろぎをするが、ツァイリーはがっちりとギオザを抱えていて、離す気配はない。


 ややして、男が叫んだ。

「追え!」

 一気に場が動き出す。

 裏口の前まで来たツァイリーは扉を開けて、その先にギオザを投げるように下ろした。


「上手くやれよ!」

 そう叫ぶと扉を閉めて鍵をかける。

 それとほぼ同時に男たちがツァイリーに追いついた。


 扉を背にツァイリーは臨戦態勢に入る。多数に無勢。しかもツァイリーは丸腰。


 男達はさっさとツァイリーを倒してしまおうと、一斉に襲いかかった。

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