第39話 日歴122年 ヤオ 下
長い間、ヤオはひとり旅を続けた。1番長くいた街でも1年間。何かの弾みで正体がばれぬように、住処を転々としていた。
ヴィラーの情報を探し続けたが、一向に成果は上がらなかった。いろんな人間を見て思ったが、ヴィラーの容姿は目立つ。普通に歩いていたら絶対に人々の記憶に残るはずなので、ヤオと森で過ごしていたように隠居しているのかもしれなかった。
ヤオは、もしかしたら戻っているかもしれないと、ヴィラーと過ごした森に一度戻ってみたが、結局彼の姿はなかった。そして、手がかりを求めて、苦い思い出のある最初の街にも足を運んでみた。
かなり時間が経ったからか、街は発展していた。それでもおおまかな作りは変わっておらず、ヤオは一時滞在したシアトルの家に行ってみた。一度騒ぎを起こしているので、別の人間の姿に化けていた。
呼び鈴を鳴らすと、出てきたのは中年の女性だった。
「どちらさまですか?」
「シアトルさんはいますか?」
「うちの父です。今呼んできますね」
女性は家の中へぱたぱたと入っていくと「おとうさーん、お客さんよ」と叫んだ。
そして程なくして、男性が出てくる。顔がしわしわで腰が曲がり、杖をついたその男は、訝しそうにヤオを見ると「どちら様で?」と聞いた。
「シアトルさんに用が……」
「シアトルは私だが」
ヤオは目を丸くした。
シアトル……? この男が?
かつての姿と全然違うのだ。よく見れば、顔つきはなんとなく彼に似ているような気もするが……。
「シアトル……? 姿が……」
「……? ええと、私には覚えがないが、どちらで会った方ですか? この通り、私も年老いてしまって……記憶までとは、本当に老いには困ったものです」
はは、と笑うシアトルに、ヤオは黙り込んだ。
不思議そうにヤオを見るシアトルに、ヤオは「間違えました」とだけ言って、逃げるように家を後にした。
ヤオはそこではじめて老いというものを知ったのだった。
ヤオとて成長は知っていた。赤ちゃんはすぐに大きくなるし、自分だってどんどん背が伸びていった。
しかし、成長しきったあともあんな風に人の見た目が変化していくとは知らなかったのだ。確かにこれまでいろんな人間を見て、ああいう見た目の人もたくさんいたが、なんとなく全然ご飯を食べれていないとか、病気とかで衰弱してるのかと思っていた。
何より、自分も、10年以上一緒に過ごしたヴィラーも、見た目は一切変わらなかった。
それからヤオはより一層注意を払うようになった。
自分は特別な存在だ。普通の人間は他のものに姿を変えられないし、老いて100年ほどで死んでしまう。
そしてきっとヴィラーも特別だったのだ。ヴィラーはそれを知っていたから、自分を森から出さないようにしていたのだろうと思った。
ヤオは母親が死んだということだけ知らされていて、自分の出自はよくわからなかった。しかしヴィラーは知っているはずだ。ヤオは、やっぱりヴィラーを探さなければと思った。
見つけて聞くのだ。自分は何者なのか、他にも同じような人はいるのか、と。
そう決意を固めたヤオは、前のように短い期間で場所を転々とするやり方ではなく、同じ場所に長期間滞在し、ヴィラーを探しつつ、自分と同じような普通でない人の情報を集めるようになった。
そしてしばらく時が過ぎ、ヤオは『金髪金眼の大層美しい人を見た』という、何十回かは聞いたような目撃情報を得て、アサム王国に猫の姿で潜り込んでいた。
猫は愛玩動物としてみなされる時代なので、その姿の方が上手くことが運ぶことも多く、最近は猫の姿でいることが多かった。
そんなある日、アサムの城下町を猫の姿で闊歩していたヤオは、やんちゃな子どもたちのターゲットになり、追いかけられた。子どもたちは無邪気に、ヤオに石を投げつけ、誰が当てられるかという勝負をしていたのだった。
こういう状況には慣れっことはいえ、石を当てられたら怪我をするし、その場で姿を変えるというのも騒ぎを起こしそうなので、ヤオはひたすらに逃げていた。
何個か石をあてられながらも、子ども達よりも速い足で走り続けたヤオは、痛みを我慢して立ち入り禁止の森の中に逃げ込んだのだった。
走り疲れて、どこか水を飲んで休める場所がないかと探していると、城の庭にたどり着いた。怪我は大したことないとはいえ、痛い。ヤオはふらふらと日当たりのない場所まで歩みを進めると、その場で丸まって寝てしまった。
目を覚ますと、近くに人の気配がした。頭を上げて見回すと、すぐそばのベンチで子どもが座って本を読んでいる。猫が起きたことに気づいたその少年は、ふとヤオに視線を移した。
ヤオはその少年にどこか既視感を感じた。真っ黒い髪と目、年齢にしては成熟した雰囲気、印象的ではあるが、会った記憶はない。
ヤオは彼にもう少し近寄ろうと立ち上がるが、怪我の痛みでまたすぐに伏せってしまった。
少年はヤオのその一連の動きを見ると、本を置いて立ち上がり、そばまで来てしゃがんだ。
少年はヤオをじっくりと観察し、怪我の位置を把握すると、そこへそっと手をかざした。少年が何をしようとしてるのか、ヤオにはわからなかったが、されるがままになる。長年生きてきて、人の悪意には敏感なのだ。少年に悪意は感じられなかった。
少年が手をかざしたところが、ぼうっと緑に光った。ヤオはその場所に心地よい温かさを感じると、次の瞬間、怪我の痛みがなくなったことに気がついた。
そして、何度かそれが続き、最後にはヤオの体にはひとつも怪我がなくなっていた。
「もう歩ける」
少年がそう呟いた。ヤオはその言葉を確認するように立ち上がって少年の周りを歩いた。痛みは全くない。どうやらこの少年が治してくれたようだ。
ヤオは感謝の意を込めて少年の膝に頭をこすりつけた。
「よかった」
その時、はじめて少年が笑みを浮かべた。
それから、ヤオは城の庭に入り浸るようになった。そして、少年の名前がギオザであり、この国の王子だということも知った。
ギオザは庭が好きなようで、よく庭に出ては本を読んだり昼寝をしたりして過ごしている。ヤオは気まぐれにギオザのそばに行ったり、遠くから見守ったりした。なんとなく、彼の成長を見たいと思ったのだ。
それに、野良猫とはいえ特に悪さをしないので、城の人たちはヤオを追い出そうとはしない。それどころか、いつからか決まった場所に餌が置かれるようになり、ヤオは食に困らなくなった。庭は広い、出入り自由な小屋もあり、森からいつでも街へ抜けられる。ヤオにとって庭は、とても居心地の良い住処になったのだ。
「この前、お前の名前を聞かれた」
ある日、いつものようにヤオがギオザの足元で丸くなると、そう声がかけられた。ヤオは頭を持ち上げてギオザを見上げる。ギオザはじっとヤオを見つめた。
「お前の色は夜の王様みたいだから、ヤオウはどうかな」
ヤオは一瞬きょとんとした。前にも同じようなことを言った人がいたのだ。そして、その人がヤオという名を自分に与えた。
『なんでって? お前が生まれたのが、夜歴1年の1月1日だから。夜の王様でヤオ。かっこいいでしょ』
ヤオはギオザにその男の影を重ねた。もうずっと会っていない、
「にゃあ」
ヤオは是の気持ちを込めて鳴いた。その意味を正しく理解したギオザは笑みを浮かべる。
「よろしく、ヤオウ」
それからヤオはギオザの飼い猫として扱われるようになり、寒い季節になるとなし崩し的に城の出入りもできるようになった。
ヤオがギオザに正体をバラしたのは、ひとえに感情の起伏があまりないギオザを驚かせようとしただけであり、それは成功するのだが、もう少し後の話である。
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