第40話 日歴122年 ゾイ・マツライ 上

 ギオザがヤオを治癒した現場に、居合わせた者がいた。


 ゾイ・マツライ、24歳。当時、宰相補佐として働いていた男である。


 ゾイは昼休憩をもらい、気晴らしに庭を散歩していた。日は高く日差しは強いが、風があるので心地よい陽気だ。

 城の庭園は普段あまり人がいない。

 自由に出入りできる王族はわざわざ5階6階から降りてこないし、使用人たちには『城内で仕事と関係のないところを出歩かない』という暗黙の了解がある。下手にうろついて貴族や王族と鉢合わせないようにするための配慮だろう。気に触るようなことをして問題になったら大変だ。

 ゾイの父は現役のアサム王国軍軍団長のカブキ・マツライである。カブキの功績もあり、マツライ家は今では御三家の次に続くほどの名家であるため、ゾイは気負うことなく庭を散策していた。


 そして見てしまったのだった。


 王位継承権第一位のギュンター・ルイ・アサムの嫡子、ギオザ・ルイ・アサムが、使えるはずもない緑の神力シエロを使っている様子を。


 勘違いだと思うことができればよかった。しかし、ゾイはまるまる一部始終を見ていたのだ。足を痛めたらしい猫が立ち上がろうとして臥せり、その猫の体にギオザが手をかざした。

 するとそこから緑の光が放たれ、最後には猫が自由に歩き回れるようになった。

 ゾイは木の影に隠れてじっと息を潜めていた。心臓が荒く脈打つ。

見てはいけないものを見てしまった、と強く思った。

 ギオザの父、ギュンターは黒の神力シエロ持ち。そして母のミイヒは神力無しただびとだ。

 そんな2人から、緑の神力シエロを持った子どもが生まれるわけがない。さらに、現在では白の国以外、神力シエロ持ちは王族か、王族にルーツを持つ家系の人間しかいない。

 そういう意味で、ギオザが緑の神力シエロを持つというのは、国同士の問題になってくるのだ。仮にギオザが緑の国の要人の子だった場合、アサム王国内だけの話にはとどまらない。

 緑の神力シエロを持っているのならこちらに寄越せ、と言われかねないのである。


 ゾイは決して自分の存在を気取られぬように努めた。もしここでバレたら、殺されるかもしれない。

 今のところ、この場にはギオザと猫と自分しかいないようだが、王の孫が1人で行動してるとも思えなかった。

 結局ゾイに気づくことなくギオザは去り、ゾイは急死に一生を得た。そして何食わぬ顔で仕事に戻った。昼休憩について何かを言及されることもなく、落ち着かないまま退勤の時間を迎え、家に帰った。


 そして、数日たった頃。1人で抱えきれなくなったゾイは、最も信頼している父に打ち明けたのである。


「それは本当か」

 父、カブキ・マツライはゾイの話を黙って最後まで聞いた。そして一言、ゾイの目を真っ直ぐに見据えてそう尋ねたのである。

 ゾイは深く頷いた。

「わかった」

 カブキはゾイの話を信じた。その話が真実ならば、ギオザはミイヒの不義の子ということになる。


 現王ドナードと親交の深いカブキはゾイに他言を禁じ、自らも決して口外することはなかった。

 ギオザはギュンターのたった1人の子である。未来の王として育てられ、民衆からもそのように認識されている。

 ギオザに王位継承権がなかったとしても、彼はたった8歳の少年だ。今真実を暴いたら、母ミイヒとギオザは窮地に立たされ、城から追われることになるだろう。

 カブキはギュンターが幼い頃から彼を見てきた。間違いなく、ギュンターは良い王となる。そして、ギュンターはギオザを我が子として心を尽くして育ててきたのだ。

 彼自身が、ギオザが自分の子でないことを知っているのかはわからない。しかし、彼はギオザを愛している。ゾイが見たことを公にすれば2人は引き裂かれる。

 カブキはそれを是としなかった。

 ギュンターとミイヒの間に第二子ができる可能性もある。ことは急を要しない。しばらくは静観する、というのがカブキの判断だった。


 しかし、ゾイはそれに納得しなかった。自分の目で見たのだ。間違いなくギオザはギュンターの子じゃない。

 王位継承権はないのだ。

次期王と結婚しておきながら他の男との子を産み、あまつさえギュンターとの子として育てているミイヒに対して強烈な嫌悪感を抱いた。

 子は親を選べない。それはわかっているが、不義あやまりの子でありながら、悠々と城で暮らし、王族としての待遇を甘受しているギオザにも良い気はしなかった。

 納得はしなかった。しかし、父の言は強力だった。

 ゾイは不満を持ちつつも、庭で見たことは心に秘めながらすごした。


 そして、ギオザの10歳の誕生日。

 神力シエロは発現に個人差はあるが、10歳までには使えるようになることが知られている。故に王族は10歳の誕生祭にて、自らの神力シエロについて発表する慣例だ。

 昔は神力シエロを受け継ぐために近親婚が繰り返されていたが、各国で健康上の問題が指摘され、現在は近親婚は禁忌となった。

 そして、神力シエロ持ちの各国が独立したことで、王族は神力無しただびとと結婚することが増え、たとえ王族の子だとしても神力シエロが発現しない例も増えた。

アサム王国では王の条件の一つに「黒の神力シエロを持つ」というものがあり、ギオザが黒の神力シエロ持ちでなかった場合、自動的に王位継承権が失われる。

 その意味で、ギオザの10歳の誕生祭は貴族からも民衆からも大きな注目を集めていた。


 そして、ゾイは『ギオザは神力無しただびとだった』と発表するのだろうと踏んでいた。神力シエロ持ちだった場合、その証明として黒の神力シエロを使って儀式をこなさなければならない。さすがにそれは欺けない。


「今日、我が息子ギオザの10歳の誕生日に、多くの人が集まってくれたこと、とても嬉しく思う」

 式典はギュンターの挨拶から始まった。場所は城前。王族やそれに連なる御三家は城の入り口のほど近くに並び、その下には貴族たち、さらに下段には場を埋め尽くさんばかりの民衆が集まっていた。

 ギュンターは民衆達付近の複数の場所と空間を繋ぎ、自らの声を届けていた。稀代の神力シエロ持ちである彼だからこそできる力業である。

 ギュンターの甥にあたるリズガードも強力な神力シエロ持ちであることがわかっているが、彼はそれ以上なのだ。ゆえに、その息子であるギオザへの期待は高い。


「ギオザはこうして無事に健やかに育ってくれた。平素よりあたたかく見守ってくれたすべての人に感謝を伝えたい」

 柔らかいギュンターの声にすべての民衆が聞き惚れた。厳格で逞しく強さを感じる現王ドナードとは対照的に、ギュンターは物腰が柔らかく安心感を与える王子だった。

 もう三十半ばという歳にもかかわらず、ギュンターは若々しく、その隔てなく優しい性格からも彼のファンは多い。結婚した時には貴賤を問わず多くの娘が涙したものである。


「そして、ギオザは今日をもって、正式に王位継承権を与えられる」

 その一言に場がどよめいた。期待に揺れたのである。

 王位継承権が与えられるということは、ギオザがその条件を満たしているということ。

 一方、貴族席に身を連ねていたゾイは自分の耳を疑った。 

 そんなはずはない。ギオザの神力シエロは緑なのだ。あの少年に王位を継ぐ資格などあるわけがない。

「今後はよりいっそう王族としての自覚を持ち、いずれこの国の礎となれるよう、成長していってほしい」 

 ギュンターはギオザと向かい合って、そう言った。

「陛下や父上を手本とし、不断の努力をもって、期待に応えると誓います」

 ギオザははっきりと宣言した。10歳の子どもの誓いでも、ギオザの年不相応な落ち着きようから、民衆は漠然とこの国は将来安泰だと思った。

 次期王のギュンターも、その子であるギオザも、これまで何も問題を起こさず、性格上の欠点も特にない。ライアン略奪以降のアサム王国は平和だった。

 それもこれもドナードやギュンターの尽力があってこそ。国民は王族に絶対の信頼を置いていた。


「では、その手で、権利を掴んでみせなさい」

 その声を合図にするように、空は白に包まれた。儀式の始まりである。民衆たちは8年ぶりの光景に見入った。

 空から降ってくるのは国旗にも描かれる国鳥ウィドルの羽。ウィドルはアサムの気候を好み、1年を通して生息する鳥だ。体色は純白で、大きくて柔らかい羽を持つ。ウィドルの羽は幸運を呼ぶと信じられており、拾ったら近くにいる王国軍兵に届けるのが慣例になっている。

 そうして集められた大量の羽は、王位継承権付与の儀式で使われるのである。

 王城の上層階からばらまかれた大量の羽の中に、1枚だけ黒い羽がある。ウィドルはごく稀に黒い個体が生まれることがあり、『黒のウィドルは神の使いである』という伝説がアサム王国にはあった。

 神力シエロを使ってその黒い羽を掴み取るというのが、この儀式の内容だった。掴んだ羽はのちに授与される王位継承権保持者の冠に装飾される。

 民衆はギオザに注目した。どうやって黒い羽を掴むのだろうと。

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