第36話 日歴103年 リズガードとセイラ 上
「じろじろ見てんじゃねーよ」
リズガードは自分に好奇の視線を向ける野次馬を睨みつけてそう吐き捨てると、無意識に舌打ちをした。
来たくもない場所に連れてこられ、まるで珍獣かのように無遠慮に見られ、食も口に合わない。最悪だ。
リズガードは15歳になるこの年に、無理やり隣国エドベス帝国に留学させられていた。留学というのは表向きのもので、両親の目的は粗暴な振る舞いをする彼を行儀見習いに行かせることだった。
リズガードは神から祝福されたような外見を持つが、自由気ままで人の言うことを一切聞かない、口も悪い、いわゆる問題児だった。
アサム王国では、王位継承権第2位にあたるリズガードを咎められるものなどいないし、大体何でもそつなくこなせる彼は挫折を知らない。
全く違う環境で揉まれることで何かが変わるんじゃないか、とリズガードの母は期待して、一人息子を送り出した。
そして、その全く違う環境、に選ばれたのがエドベス帝国にある劇団シャオレー座であった。
シャオレー座は世界最高峰と呼び声高い劇団で、公演はいつも売り切れ、他国からも観客が来るほどの人気を誇っている。
リズガードはこの劇団の練習生として、2ヶ月(180日)を過ごすことになっていた。
シャオレー座はたくさんの練習生を抱えていて、寮も完備されている。
リズガードにも部屋が与えられていた。アサムの自室の4分の1にも満たない手狭な部屋である。他の練習生が2人部屋であることを考えると、他国の王族ということで多少優遇はされたのであろうが、リズガードを特別扱いはしないつもりらしい。
実際、シャオレー座の中でリズガードが王族であると知っているのは担当者のマリウス・ポワレだけであり、他の指導員や練習生はアサム王国からの留学生とだけ聞かされていた。
不機嫌を丸出しに歩いていても、リズガードは類い稀なる美貌を持っているので、周囲はついつい彼の姿を見ようとしてしまうのだ。
リズガードは与えられた部屋に入り、鬱憤を晴らすように勢いよく扉を閉めると、寝台に寝転んだ。そして留学期間中のスケジュールが書かれた資料に目を通し始めた。
最初の30日は裏方作業の手伝い。劇ができるまでの過程を知り、実際に劇に使われる道具を制作したり、演者の世話をしたりする。
31日目から60日目は基礎練習。体づくりや発声練習をひたすら行う。
61日目から90日目はオーディションに向けた練習。練習生は30日ごとに行われるオーディションに参加でき、そこで次の公演の役を勝ち取る。基礎練習も継続しながら、オーディションのために役に応じた練習をする。
91日目から120日目はオーディションの結果による。受かっていれば、役の練習やリハーサル等大忙し。落ちた場合はまた次のオーディションに向けた練習をする。
121日目から150日目は、1回目のオーディションに受かっていた場合、前半は通し稽古、後半は実際に演目に出演することになる。公演は15日間、1日に2回毎日行われる。
151日目から180日目は2回目のオーディションの結果による。
リズガードは資料を睨みつけると、ぽいっと放った。
当たり前だが、リズガードに演技の経験などない。他の練習生に混じってオーディションに参加して受かるわけもないので、2ヶ月の間、ただ雑用と練習をさせられる日々になるだろうと思った。
「はあ」
リズガードはため息をつくと目を瞑った。寝ればこの苛立ちも多少は収まるはずだ。
翌日、リズガードはシャオレー座の劇を見学していた。そして、出会ったのである。
世界最高峰シャオレー座の、不動のトップスター。セイラ・マーガレットに。
彼女は舞台の真ん中で輝いていた。
その圧倒的な美貌もさることながら、一挙一動全てが人の視線を引きつける。目が離せない。まさにそんな人物だった。
リズガードはただただ圧倒された。こんな人が世の中にいるのかと驚き、生き生きと演じるその姿に唯一無二を感じた。
この時、リズガードは思った。
この世界へもう少し興味を持ってもいいかもしれない、と。
それから90日間、リズガードは反抗心を捨てて、シャオレー座の日々を邁進した。
このひとつひとつの作業や練習が、あの劇へ、セイラ・マーガレットが輝く舞台へ繋がっているのだと思うと、楽しくなってきたのだ。リズガードは少しずつ他の練習生とも交流しながら、演技の方にも力を入れていった。
生まれた時から強い
何度も劇場に足を運び、セイラを見て技術を吸収していった彼の演技は、たった数十日で指導員さえもうならせるほどになった。
そして、90日目、リズガードはオーディションの合格を告げられた。演目『朱色のアガネー』の主人公の息子役である。
主役を演じるのはセイラ・マーガレット。リズガードの演じる役は登場シーン自体こそ少ないが、セイラと共演する部分がある。
リズガードは期待と緊張でいっぱいだった。
セイラと初めて顔を合わせたのは、通し稽古の時だった。セイラは多忙なので、公演の準備に集中できるのは通し稽古中の公演前15日間だけなのである。
劇の冒頭、セイラ演じるアガネーは弱冠15歳で産んだ息子に別れを告げる。
そのシーンを前に、2人は舞台の袖で待機していた。
観客席から見ていたスターが目の前にいる、ということで、リズガードはらしくもなく緊張していた。そのため、まともに挨拶もできず、いつもよりも表情が険しい。
セイラはそんなリズガードを一瞥すると、口を開いた。
「あらあんた、せっかく綺麗な顔してるのに、そんなに無愛想じゃもったいないわねえ」
「……は?」
舞台上のセイラは誰もが憧れるような美しい女性である。特にリズガードが足繁く通った公演でセイラが演じていた役は、知性と慈愛に満ち溢れた聖母のような女性だった。
リズガードはセイラの口から出てきた言葉をなかなか理解することができず、固まっていた。
「ああ、驚いた? 舞台から降りたら、あたしもひとりの人間なの。それも、口が回る方のね」
一時驚いてしまったリズガードだったが、少し考えれば、彼女は女優であり、役と本人は別人なのである。本来のセイラがそういう人なんだとわかると、案外すんなりと切り替えて彼女の最初の言葉に返答した。
「……外見なんて、どうでもいいだろ」
リズガードは外見を褒められることが多い。自分の姿を見た途端態度の変わる者、取り入ろうとしてくる者、逆に妬んで敵意を向けてくる者。
リズガードは外見だけで自分を推し測ろうとしてくる者の多さにうんざりしていた。
「あらあ? 本当にそう思ってんなら……ぶん殴るわよ?」
どすのきいた声に、リズガードは息を呑んだ。本気でやりそうな迫力があった。
「言葉には気をつけなさって? 会ったばっかりのぼっちゃんに説教かますほどあたし暇じゃないのよ」
怯んだリズガードに、セイラはニッと笑ってみせた。その笑みは美しく、リズガードは自分の失言に気がついた。
「……ほら、もうすぐだって」
セイラが親指でさした方では、裏方が両手を大きく上げて丸を作っていた。
どうやら舞台の準備ができたらしい。リズガードは一度会話のことは忘れ、役に集中することにした。
セイラはさばさばした女性だった。好き嫌いがはっきりしていて、話し振りも豪快。美しさを保つために日々自分を磨き、演技に関して常に真剣。一本芯がある人物である。
リズガードは劇の練習で彼女を見かけたり、実際に話したりする機会が多くなった。
彼女の性格を知っても、憧れが消えるわけでもなく、リズガードは1ファンとして、彼女のことをもっと知りたいと、よく目で追っていた。
それに気づいたセイラはある日、リズガードとすれ違い際にからかった。
「あんた、あたしのこと好き過ぎじゃない? そんなに見られたら、減っちゃうわ」
「減るわけない」
「減るわよ」
セイラは勝ち気に笑うと、リズガードの頭をガシっと掴んだ。
セイラはもともと身長が高い女性であり、さらにいつも踵の高い靴を履いている。リズガードも成長期にして高身長だが、並び立つとセイラの方が背が高い。
「やめろ」
リズガードは不満そうにそう呟くが、抵抗する素振りはない。
「セイラさん、時間を気にしてください」
セイラの斜め後ろに控えていた人物がそう声をかけた。頭まですっぽりと外套で覆った女性である。セイラで死角になってリズガードから彼女の顔は見えなかった。
セイラはいつもこの女性を連れているが、リズガードは2人の関係性を知らない。声は若く、自分と同年代のように思える。
「あら? 行かなくちゃね」
セイラはリズガードの頭から手を離すと、彼に向けてごく自然にウインクをしながら去っていった。
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