第35話 日歴122年 薬師 下
「王城の裏山を?」
「はい。このあたりでしか自生しない植物があるのです」
ツァイリーは馬車の中で女性の話を聞いていた。落ち着いて話せる場所がここしかなかったのだ。イズミも同席している。
女性の名前はシイラ・カスタム。職業は薬師で、大陸を旅して植物を調査しているのだという。アサム王国にも調査を目的に訪れた。情報を集めていく中で、王城の裏山に何種類か貴重な薬草が自生しているという噂を聞き、ここまでやってきたそうだ。
しかし、王城の裏庭は立ち入り禁止。
さらにアサム王国は異国人に厳しいため、許可を得ようと国軍基地に行っても門前払いだったそうだ。それでも諦められず、どうしようかと途方に暮れていたときに、偶然ツァイリーに会ったということだった。
「聞いてみても良いですが……」
ツァイリーは悩んだ。ギオザに話すことはできるが、普通に考えて、異国の一介の薬師を王城の敷地内に入らせるとは思えない。
「お願いします! どうしても調査したいんです」
「どうしてそこまでして調査したいんですか?」
ツァイリーは純粋に疑問に思った。
この場所ではよそ者というだけでいい顔はされないし、一度門前払いされたのだから、その時点で心が折れてもおかしくはない。
ツァイリーは植物に詳しくないが、嫌な思いをしてまでここに固執するのではなく、違う場所を調査した方がいいのではないかと思ってしまう。
「私は、すべての病を治せるようにしたいのです。病によって人が生を諦める、そんなことがない世界を作りたい」
シイラは曇りのない目でそう語った。ツァイリーはその迫力に気圧された。
「無謀と思われますか?」
シイラの言葉は突飛だ。
しかし、不思議とツァイリーは無謀とは感じなかった。彼女の意志の強さを感じ、この人なら本当にできるかもしれないと、無意識に思ったのかもしれない。
「いえ……とりあえず、話してみましょう」
「ありがとうございます!」
シイラは勢いあまってツァイリーの手を両手でとって、礼を言った。綺麗な女性とこんなにも近づいた経験が無いツァイリーは状況を理解すると一気に緊張した。
「離れてください」
そこにイズミの鋭い一言が投じられた。
「あっ、ごめんなさい。つい」
シイラはぱっと手を離すと、イズミを一瞥して苦笑いを浮かべた。
「どう思う? 許可してくれるかな」
シイラが帰った後、ツァイリーとイズミは屋台で買った肉を馬車の中で食べていた。イズミは断ったが、ツァイリーが一緒に食べようと駄々をこねたのである。イズミは咀嚼して飲み込むと、返答した。
「ギオザ様なら許可なさると思います」
「ほんとか!?」
イズミが嘘をつくはずもないと思いながらも、ツァイリーは聞き返さずにはいられなかった。ツァイリーは、きっと難しいだろうと諦めモードだったのだ。
「はい」
イズミは頷くと、また一口串焼きを囓った。日頃ツァイリーに礼儀作法を教えているイズミが串焼きを食べている構図が珍しく、かといって違和感もなく、ツァイリーは不思議な気持ちでそれを眺める。
それにしても、イズミがそう言うなら許可される可能性は高い。ツァイリーはシイラの期待に応えられそうだと思うと、口元を綻ばせた。
「で、なんであたしが呼ばれたわけ?」
シイラの件があったその日の夜、夕食時にツァイリーはギオザに話をした。すると、イズミの予想通り、ギオザはあっさりと許可を出したのだった。なんとかして彼女の熱意を伝えようと言葉を考えていたツァイリーは拍子抜けした。
そしてその翌日、リズガードとツァイリー、ギオザの3人が執務室に介していた。
「アザミ、事情を話せ」
リズガードが呼ばれた理由はさっぱりわからなかったツァイリーだったが、きっと昨日の件だろうとあたりをつけ、シイラのことを話す。
すると、リズガードはそれだけで自分が呼ばれた理由まで把握したようだった。
「その薬師の世話をあたしにしろって?」
「客人として対応してほしい」
「そんなの、話を持ってきたアザミがやればいいでしょうが」
「調査と言っても野放しにすることはできない。軍との連携が必要だ。得意だろ」
「得意ってあんたねえ……」
リズガードは深々とため息をつくと踵を返した。
「わかったわよ、やればいいんでしょ」
そう言って部屋を出て行く。
ツァイリーはこの状況に既視感を感じた。リズガードはなんだかんだ言いつつ、最後にはギオザの命令に従うのだ。
「あんたが裏山を調べたいっていう薬師?」
「はい……」
リズガードは王城でシイラと対面していた。
シイラはリズガードを見ると目を僅かに見開き、さっと顔をそらした。
彼にとってこの反応は珍しくない。リズガードは恐ろしく美しいので、多くの人は彼を見ると驚き、次に恥じて赤面するか、俯くのである。
リズガードは、この子もそうなのだろうと意に介さず、質問を続けた。
「それで、時間はどれくらいほしいの?」
「できれば10日ほど」
「10日ねえ……」
リズガードは片手を顎にあてて考える。
「いいわ。ただし、午前中だけ。あんたには2人見張りをつけるから、変なことは考えないように」
明るい時間帯だったら手元も見えやすく監視しやすい。一日中監視するとなると交代人員も増やさなければならないし、これが最適解だとリズガードは思った。
「はい。この度はご協力ありがとうございます」
頭を下げたシイラを、リズガードは見下ろした。最初から思っていたが、彼女にはぼんやりと既視感がある。しかし、どこで会ったのかは覚えていない。
「礼ならギオザに言って……それじゃあ、明日、準備ができたら基地を尋ねなさい。話は通しとくわ」
リズガードはそう言うと、部屋を後にした。
数日後。リズガードはシイラの監視役から報告を受けていた。特に変わった様子はなく、実直に植物を調査しているとのこと。
「何か、変わったことは言ってた?」
「いえ、特には……そういえば、出身はエドベス帝国だそうですよ。リズ様もご留学されていましたよね」
リズガードはその言葉を聞いて、前に抱いた既視感の正体を少し掴んだ気がした。
アザミの話では、シイラは植物を調査しに旅しているとのことだったので、アサム王国に来たのはきっと初めてなのだろう。自分がシイラと以前に会っていたのだとしたら、それはエドベス帝国でのことだ。
「それだけ? なら、下がっていいわ」
監視役が部屋から出た後、リズガードは1人茶を嗜みながら考えた。エドベスのどこで会ったのだろうか、と。
リズガードはおもむろに机の引き出しを開け、一番下にしまわれていた一冊の本を取り出した。
ある頁を開くとじっと見つめる。その視線が捉えているのは文字ではなく、挿絵である。髪の長い女性が勝ち気な笑みを浮かべて盃を持ち上げる場面。
『私の勝ちだ。私は光となる。国民をあまねく照らし、永遠に失われることはない。そんな光に』
これは勝利の盃だ。すくなくともこの本では。女性は女王として歩み続けるはずだった。
しかし、倒れてしまうのだ。盃をあおぎ、その雫が彼女の体を流れると、足の指先まで動きを止めてしまった。
リズガードは長くて綺麗な指を挿絵に滑らせると、回想にふけった。
あれはもう19年も前。リズガードが14歳の頃の話だ。
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