第32話 日歴122年 再会 上
ライアンとメルバコフの境界付近にある旧紡績工場にて、協議は開かれる。
この紡績工場は30年前の遺物である。メルバコフは、この建物を拠点にライアンを制圧した。アサム王国側からすれば、因縁の場所だ。
今は使われておらず、腰を据えて話し合える場としてメルバコフが指定した。
無用な争いを生まないためにも、お互いに連れて行ける付き人は2人まで。
ツァイリーはヤオとイズミを連れて、入り口に降り立った。
入り口にはメルバコフの使用人が2人。武装はしていない。一行へ一度礼をすると、「こちらへどうぞ」と先導する。
ツァイリーは歩みを進めながら、緊張で体がこわばるのを感じていた。これから先の決定次第で戦争が始まる。
この建物はメルバコフの兵に囲まれていて、さらにその外側をアサムの兵が囲んでいる。
ハイテン軍団長は近くの見通しの良い場所で控えていて、なにかあればツァイリー、もしくはヤオ、イズミが信号弾を打つことになっている。
赤の信号弾を打てば、即時戦闘が始まる。
戦闘が始まれば、戦場にいるツァイリーとて無事は保証できない。生きて帰れるかさえわからない。
ツァイリーは最悪の可能性を胸に置くと、大きく息を吐いた。
三役会議では、話し合いでの解決は絶望的として、戦争を前提に準備を進めていた。アイゼンと直接やりとりしたツァイリーも同じ考えで、そのように発言した。
しかし、ツァイリーは戦争を回避するためにやれることは全てやりたいと思っていた。
「アサム王国のアザミ・ルイ・アサム様がお見えです」
会議をする部屋に着いたらしい。目の前には白い両開きの扉がある。
なるべく粘る。穏便に済ます。俺はアザミ・ルイ・アサム。
ツァイリーは、そう心の中で唱え、覚悟を決めた。
「お通ししなさい」
そのアイゼンの言葉を受けて、使用人が扉を開ける。
扉の先には人が5人。付き人は2人までだったはず、話が違う、とツァイリーが訝しく思った時。
「リー……?」
聞き馴染みのある声が、その場に響いた。
こんなところにいるはずもない、1年以上も会っていない幼馴染の声……。
「ディア……」
ツァイリーは声の主に釘付けになった。
真っ白い肌、類を見ないほどの美貌、そして空色の瞳。ヤオの擬態ではない、本物のレイディアが、部屋の奥に佇んでいた。
2人はしばらく見つめ合った。
その間、ツァイリーはいろいろな気持ちと疑問が渦を巻き、混乱していた。
ディア、よかった。元気そうだ。もう十数年会ってなかったような気持ちだ。
だけど、どうしてこんなところにディアが? セゾンはどうなった? なんで神官服なんて着てるんだ?
「レイディア?」
静まり返った場に、女性の呟きが響いた。神官服を着ているので、レイディアの関係者だろう。
しかし当の本人はツァイリーを凝視したまま、返事をしない。
魂が抜けてしまったような様子である。
「あの時の奴……」
ヤオはレイディアを知っていたので、状況をいち早く理解した。レイディアを見たまま動かないツァイリーの服の袖を引っ張るが、ツァイリーは反応しない。
「なんで……死んだはずじゃ……?」
レイディアがこぼした言葉に、ツァイリーはいち早く反応した。
「死んだ……?」
死んだ? まさか自分が?
どういうことだ。
ツァイリーはやっと服が引っ張られていることに気がついて、その犯人を見た。
ヤオである。ヤオは誘拐犯でもあって……まさか。
ツァイリーはキッとヤオを睨んだ。ヤオはツァイリーの考えに気づき、にやにや笑いながら両手を合わせて謝る素振りをした。
間違いない。こいつが噛んでる。
ツァイリーは今すぐにでもレイディアに駆け寄って両手で頬を叩き、「俺は死んでない!」と叫びたい気持ちだったが、今はそんなことできる立場と状況にないこともしっかりと理解していた。
「どうかしましたか」
痺れを切らしたアイゼンが立ち上がったことで、ツァイリーは一旦レイディアのことは後回しにしようと決める。
「そちらの方が旧友でして。久しぶりに会ったので、驚いてしまいました」
「旧友? アザミ様はエルザイアンにいたのですか?」
「はい……それよりも、どうしてエルザイアンの神官がここにいるのです? 前回、そのような話は上がっていなかったと記憶していますが」
レイディアは依然として、ツァイリーを見つめたまま動かない。
ツァイリーはレイディアの前でアザミ・ルイ・アサムを演じることに猛烈なやりづらさを感じながらも、言うべきことは言った。
エルザイアン、ツァイリーの母国はメルバコフ側の国である。話し合いの場にいていい存在ではないはずだ。
「公正な話し合いのためにも、第三者が必要かと思いまして。もちろん、エルザイアンのお二方が話し合いに参加することはありませんよ。あくまで見届け人としてお呼びしたのです」
もっともらしく言っているが、要はエルザイアンを呼んでこちらに圧力をかけ、話し合いを都合の良い方向に持っていきたいのである。
「そうですか。では、公正な話し合いを始めましょうか」
ツァイリーは『公正』に力を込めてそう返答すると、席に着いた。
「こちらが我々の決定です」
隣に控えていたイズミが丸められて筒状になっていた文書を開き、机の上に広げた。
『メルバコフ市民とアサム王国軍で起こった戦闘に関して、メルバコフ市民に甚大な被害が出たことは、こちらの本意ではない。よって、厳正なる話し合いの結果、相当額の賠償金の支払いに応じることとする。金額については、日歴122年春月23日に行われる協議にて検討することとする。
日歴122年春月15日
アサム王国国王 ギオザ・ルイ・アサム』
アイゼンは一通り目を通すと、「つまり」と口を開いた。
「ライアンの返還には応じない、ということでしょうか」
「そうなります」
「我々の要求はあくまでライアンの返還です」
「承知しています」
アイゼンとツァイリーの無言の睨み合いが続く。とは言っても、2人とも表情に険しさは出していない。
「残念ですが、この問題は金銭的なもので解決できません。そちらがそのような姿勢をとるのであれば、我々も相応の手段をとるまでです」
「相応な手段とは?」
「そちらが武力によってライアンを奪ったように、我々も力づくでライアンを取り返します」
「力づく……ライアンはアサム王国の領土です。侵攻するというのなら、国をもって応戦します」
アサム王国は大陸3番手の大国。メルバコフが真っ向勝負しても勝てるはずもない。ツァイリーは揺さぶりをかけるためにも強気で言葉を続ける。
「ライアンだけでの話に止まらない可能性もありますが、その覚悟はおありですか」
「……それはこちらのセリフです。たしかに我がメルバコフは小国。しかし古くから近隣国とは良好な関係を築いています。そちらとは違う」
それはお前らのせいだろうが、という言葉を飲み込んで、ツァイリーは黙って続きを聞く。
「5カ国の神守国、それを束ねるエルザイアン。切っても切れない関係にあるのです。国同士ではありますが、家族のような絆があると私は考えています。実際、我々の危機にエルザイアンはすぐに駆けつけてくれました。そうですよね、ハレル司教」
話を振られた神官服の女性、ハレル司教は俯きがちに沈黙を貫いた。どんどん饒舌になっていくアイゼンはそれを気にする素振りもなく、話し続ける。
「メルバコフとアサム王国ではもちろん戦力差があるでしょう。しかし、力を合わせればそうとも限りません。油断が敗北を生み出すのです」
最後には立ち上がったアイゼンに、ツァイリーは若干引いた。まるで大衆に演説しているような話しぶりだ。本人は大層楽しそうである。
何はともあれ、この様子だとメルバコフはアサム王国に勝つ算段が大いにあるらしい。
ツァイリーは以前見た大陸地図を思い出していた。神守国はアサム王国と比較するとすべて小国。エルザイアンも国土的にはそこまで大きくない。しかし、アイゼンの言うとおり、6カ国同盟対アサム王国では分が悪いのかもしれない。
「そちらの考えが変わらないようでしたら、この協議はもう終わりです」
ツァイリーを見下ろしたアイゼンはにこっと笑って見せた。
ツァイリーは漠然と、この男は最初から戦争を望んでいたのではないかと思った。
なんとかして、戦争は避けたかった。でも、やはり無理だった。
イズミと視線を合わせる。赤の信号弾を打たなければ。
「行きましょう、エルザイアンのお二方」
アイゼンが扉に身体を向けたとき、声が響いた。
「待ってください」
ハレル司教である。彼女はまっすぐにアイゼンを見つめていた。その真っ赤な瞳からは意志の強さがうかがえる。
ちなみに見ないようにしていたが、その隣にいるレイディアは物言いたげに始終ツァイリーを見ていた。
「協議が終わったのであれば、発言させていただきます。アザミ殿、メルバコフ市民とアザム王国軍が衝突した日の、そちら側の被害をお聞きしても?」
「……死者が19名、負傷者が63名です」
ツァイリーは三役会議の資料を思い出すと、正確な数字を答えた。
「ハレル司教?」
アイゼンは彼女の意図を探ろうとするが、ハレル司教は黙って考え込んだ。
「アイゼン殿、我々が聞いてたのは、アサム王国軍が民間人に一方的に手を上げ、殺したという話です」
「ええ、もちろん。それが真実です」
「その日、その場にいたというメルバコフ市民に話を聞きました。彼によると、自分たちが到着したときに戦闘は始まっていて、血まみれになった人が倒れていたのだと。それを見て多くの人が加勢するため戦闘に参加し、彼は倒れている人物を助けるために駆け寄ったそうです。しかし、倒れていたのはメルバコフ市民ではなくアサムの兵だった、と」
「……それがどうかしましたか。我が国民が懸命に抵抗した証拠ではないでしょうか」
「ええ、そうかもしれません。しかし、私たちは一方的に虐げられたという話を聞いて参上したのです。アサム王国にそれだけの被害が出ていた、というのは想定と異なります」
「つまり、何が言いたいのです」
アイゼンの表情がわずかに曇る。当然だが、エルザイアンにも被害者ぶっていたらしい。
「シエロ教の教義に【力は守るために使いなさい】とあります。アイゼン殿の言う通り、エルザイアンとメルバコフ王国は強い絆で結ばれています。しかし、私が派遣されたのはあくまでも【アサム王国から守るため】です」
話の雲行きが怪しくなってきて、アイゼンは表情を険しくした。
「話を聞いていて、アサム王国にこれ以上の侵攻の意志はなく、平和的解決を望んでいることがわかりました。我々エルザイアンがこの件にどのような形で関わっていくべきか、私の独断では決めかねます。私たちは一度エルザイアンに戻ります」
「なっ……!」
アイゼンの顔にはありありと焦りが見えた。「力づくでライアンを取り返す」などと宣言して協議が終われば、そこからはすぐに戦闘が始まるだろう。
まずは今外にいるアサム王国軍を叩きのめさなければならない。しかし、数は互角。さらにすぐに援軍が駆けつけることだろうことを考えると、高い軍事力を持つエルザイアンの助力がなければ、勝てる戦ではない。
アサム王国は大国なので、戦争が長引いて準備の時間を与えてしまえば、数の差でメルバコフが負ける。なので協議の日にちを10日後と設定して、あまり時間は与えなかった。この協議が終わってすぐにエルザイアンと協力してライアンを占拠し、籠城戦に持ち込むのがアイゼンの想定だったのだ。
つまり、この計画はエルザイアンあってのもの。ハレル司教が軍を動かさなければ、メルバコフに勝ち筋はない。
アイゼンは深くため息をつき、席に着いた。
「賠償金の話をしましょう」
アイゼンは勝てぬ戦に身を投じるような人間ではなかった。
ツァイリーはアイゼンのあまりの変わり身の速さにいっそ感心さえした。それから、どうやら戦争は免れられそうだと気づくと、背筋を正す。
まだ終わってはいない。アイゼンの気が変わらないうちに話をまとめなければ。
「では、そういうことで、よろしくお願いします」
「はい、平和的に解決ができてよかったです」
ツァイリーの嫌味にアイゼンは笑みを深める。
「こちらこそ」
アイゼンは席を立つと、出口に向かった。その後ろ姿を眺めながら、ツァイリーは彼の演説を思い出していた。
「油断が敗北を生み出す、名言でしたね」
アイゼンは痛烈なツァイリーの言葉に、一瞬歩みを止める。しかし、振り返ることもなく、部屋を出ていったのだった。
室内にメルバコフの者がいなくなり、ツァイリーは肩の力を抜くと、レイディアに向き直った。
これでやっと話せる。
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