第33話 日歴122年 再会 下
協議を行なっていた部屋で、ツァイリーとレイディアは2人きりになった。
ギオザに後から怒られたとしても、事情を伝えたいと思ったのだ。
いくらアザミ・ルイ・アサムを演じていたとしても、物心つく前から一緒に育ったレイディアを欺くことなんてできるはずもない。
「2人で話したい」とツァイリーが言うと、何かを察したらしいハレル司教は「後で説明しろ」と言い残して部屋を後にし、難色を示すイズミはヤオが引っ張って行った。
「ディア、その、なにから説明すればいいか……」
自分がアサム王国先王の隠し子だったこと。あの日、誘拐されて、1年間監禁されていたこと。
言わなければいけないことがたくさんある。
セゾンの園はどうなったのか。どうしてディアまでこんなところにいるのか。なんで自分が死んだと思っていたのか。
聞きたいこともたくさんある。
ツァイリーが言い淀んでいると、レイディアはおもむろにツァイリーに近づき、両手で彼の頬に触れた。
親指の先で目元をなぞり、頬を撫でると、手を首筋に沿わせていく。
手のひらでツァイリーの温もりを感じ、首筋から鼓動を感じたレイディアは、音もなく涙を溢れさせた。
されるがままになっていたツァイリーは、レイディアが泣き出したのにぎょっとすると、おろおろと焦って、レイディアの両肩に手を置いた。
「生きてた……よかった……」
声を震わせるレイディアに、ツァイリーは言葉もなかった。
そうだ、心配させてしまったのだ。悲しませてしまったのだ。
もし自分が逆の立場だったらどうだろう。
レイディアが死んだと知らされたら。
ツァイリーはぞっとした。そんなの、受け入れられるわけがない。
「俺は生きてる」
しっかりと目を合わせて、ツァイリーはそう言った。
「うん……」
レイディアはどんどん溢れていく涙を両手で拭いながら、口元を綻ばせた。
信者が見たら、鼻血を出して倒れるのではないかというくらいの光景だが、彼を見慣れてるツァイリーは、やっと表情が和らいだレイディアの様子にほっとするだけだった。
「それで、どういうこと?」
しばらくツァイリーに背をさすられて、落ち着いたレイディアは、そう切り出した。2人は今向き合って座っている。
「あの日、王都行きの馬車の中で睡眠薬を盛られて、アサム王国まで連れてこられたんだ。それから1年投獄されてた」
「投獄!?」
ツァイリーは全てを打ち明けるつもりだ。詳しく説明をしようと言葉を続ける。
「そう。俺、言ってなかったんだけど……」
「ギュンター・ルイ・アサムの隠し子なんでしょ?」
「なんでそれを!?」
レイディアが驚き、かと思えばツァイリーが驚く。
ツァイリーが誘拐されるまで、お互いに知らないことなんてほとんどない関係だったので、ツァイリーはなんだか新鮮に思った。同時に、自分とレイディアの距離は物理的なものにとどまらないのだということを感じると、もの寂しくもなる。
「先生に教えてもらった」
「先生……そういえば、セゾンはどうなった!?」
ツァイリーは最も重要なことを思い出した。
レイディアを宥めるのに必死で頭から抜け落ちていたが、セゾンにいるはずのレイディアがどうして神官になってこんなところにいるのだろう。
まさか、自分の最悪の想像があたっていたのか……。
「先生が戻ってきて、メリッサと一緒に子供たちの世話をしてくれてる」
「先生が?」
「うん、だいぶ回復したからって」
一気に心臓が忙しなくなっていたツァイリーは、その言葉を聞いて深く安堵した。
大きく息を吐き、机に突っ伏す。
「よかった……」
セゾンは無事だった。
「子どもたち、リーがいなくなって寂しがってる」
ツァイリーは子どもたちの顔を思い出した。言葉も足らない時から世話をしてきた子も、途中から入ってきてなかなか心を開いてくれなかった子もいる。
ツァイリーは子どもたちの笑顔を見るのが好きだった。きっと1年以上もたてば見違えるほど成長していることだろう。
会いたい。
セゾンの庭で子どもたちと追いかけっこをして、疲れ果てたところにレイディアが飲み物を持ってきて、休みながらレイディアの読み聞かせを聞いて、子どもたちをからかって……。
あの日常を取り戻したい。
しかし、そんなことできるはずもないことは、ツァイリーが1番よくわかっていた。
「ディア、なんで俺が死んだと?」
「……リーが王都にたった次の日の夜に、馬車会社の人が、リーの遺体を運んできた」
「遺体……?」
「事故に遭ったって」
レイディアはその時の状況を思い出したのか、不安そうにツァイリーを見つめた。
あの時見たツァイリーの遺体は本物だったはず。
だからこそ、どんなにツァイリーの死が信じられなくとも、認めるしかなかったのだ。
しかし、ここにいるツァイリーもまた本物なのである。最初目にした時は、自分が幻覚を見ているのか、あるいはツァイリーに双子がいたのかと思ったほどだ。しかし、会議中彼をずっと観察していて、どうやら紛うことなく本物のツァイリーらしいことに気づいた。
いくら話し方が変わっていても、声、動き、すべてがレイディアの知るツァイリーだった。
「偽の死体だったのかもな」
ツァイリーは、おそらくヤオが擬態していたのだろうと思った。しかし、死体になんて擬態できるものなのだろうか。
レイディアには本当のことを話したいが、ヤオのことはギオザに口止めされている。
レイディアを巻き込まないためにも、話してはいけない。
「レイディア、そろそろ帰るぞ。長居は無用だ。アサム側も痺れを切らしてる」
扉の外から声がかかる。ハレル司教の声だ。
協議は終わり、アイゼンは帰って行った。メルバコフの兵も撤退していることだろう。
アサムの兵は、ツァイリーが戻らないことには、協議でどんな決定がなされたのか知る由もない。メルバコフが撤退する中、悶々と指示を待っているはずだ。
早く戻らなければならない。
レイディアには、まだまだ話さなきゃいけないことがたくさんある。聞きたいこともたくさんある。
ここで別れてしまえば次いつ会えるかもわからない。生きて会えるとも限らない。
しかし、現実は容赦なく、2人の逢瀬の終わりを告げる。
レイディアは扉の方を一瞥すると、ツァイリーに向き直り、真剣な表情で告げた。
「リー、一緒に帰ろう」
ツァイリーは少しの間その言葉を噛み締めると、レイディアの視線を逃れるように俯いた。
「ごめん、できない」
「どうして……!」
レイディアが声を荒げる。彼もまた焦っているのだ。
ツァイリーはいろいろなものを飲み込んで、言葉を紡いだ。
「俺は今、アザミ・ルイ・アサムだ。そっちには行けない」
レイディアは絶句した。ツァイリーはツァイリーだ。アザミなんて名前じゃない。
「リーはリーだ! 子どもたちも先生も待ってる! セゾンで暮らそう」
レイディアもわかってはいた。
ツァイリーは戻ってこれない。少なくとも今は無理だ。
ツァイリーにも付き人がいたし、周りにはたくさんのアサム兵。その全てを欺いて、ツァイリーを連れ帰ることなんてできるわけがない。
エルザイアンの代表として来ている自分の立場としても、許されない行為だ。
それでも、レイディアはツァイリーと離れたくなかった。ゆえにレイディアは必死だった。
やっと会えたのだ。ここで別れたら次いつ会えるともしれない。
今度会うときには、本物の死体になってしまっているかもしれない。いや、死体さえ見ることはかなわないかもしれない。
ツァイリーの事情はよくわからない。でも、厄介なことに巻き込まれていることは確かだ。
どうにかして連れて帰りたい……!
「ディア」
ツァイリーはレイディアの両頬を両手で挟んだ。2人の視線がまっすぐ合う。
「大丈夫だ。俺は絶対生きて、またセゾンのみんなに会いに行く。ディアにも会いに行く。でも、今はできないんだ」
ツァイリーはレイディアを落ち着かせようと、力強く言葉を発する。
レイディアは静かに聞いていた。
彼の瞳が少しずつ穏やかになっていくのをツァイリーは感じた。
長い付き合いだと、相手の心情に機敏になるのだ。
「だから、今日は帰れ。先生にも伝えてくれ。俺は大丈夫だって」
大丈夫、その言葉にツァイリーは力を込めた。
少し時間を置いてレイディアは「はあ」と深くため息をつくと、そっとツァイリーの手首を掴み、両手を頬から下ろさせた。
それから、服の下からあるものを取り出し、ツァイリーの手に乗せる。
それは、あの日ツァイリーが預けた、ペンダントだった。
「これ……」
「大切なものなんでしょ。自分で持ってて」
ツァイリーはそっとペンダントをひと撫ですると、首にかけた。昔から肌身離さずつけていたものだ。懐かしさと安心感を覚えて、ツァイリーは自然と笑みがこぼれた。
レイディアは席を立って扉へ向かう。ツァイリーも倣って立ち上がるとレイディアを追った。
扉のノブに手をかけたレイディアは、動きを止めて、振り返る。
そして、一歩二歩とツァイリーに近づくと、彼の体を強く抱きしめた。
「ディア……?」
「絶対」
2人の身長はそう変わらない。レイディアはツァイリーの耳元に口を近づけると、囁いた。
「絶対、帰ってきて」
「……うん」
ツァイリーの返事に満足したレイディアは、そっと離れると、そのまま背を向けて、部屋を出て行った。
春月23日の協議により、メルバコフ王国とアサム王国のライアンをめぐる争いは、アサム王国の賠償金の支払いをもって終結する運びとなった。
アサム王国は30年前の雪辱を晴らし、ライアン奪還を成功させた。その作戦の責任者であり、立役者となったのは、現王ギオザ・ルイ・アサムの義弟、アザミ・ルイ・アサムである。彼はこの件を持って、名実ともに準王族として認められたのである。
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