第31話 日歴122年 話し合い 下
「このこと、なんで言わなかったんだ」
ツァイリーは指でこつこつと首輪を叩きながらそう言った。会議後まっすぐツァイリーは、ギオザと執務室に向かった。今この場にいるのは2人だけである。
「何か問題が?」
「すっげえびっくりしたんだけど」
「そうか」
場が沈黙に包まれる。本当にギオザとは会話が続かないのである。
「戦争に、なるよな」
「おそらく」
三役会議で決まった内容はこうだった。
アサムの姿勢としては、ライアン返還には応じない。その代わり、賠償金で手を打つ。向こうがそれに納得せず、かつ攻め込んでくるなら、応戦する。
あくまで平和的解決を望むが、メルバコフの様子から実現は難しそうだというのは百も承知だ。なので、戦争を見越して23日までに追加で軍を配備する手筈になっている。
「街、いつも通りだな」
「そうだな」
春月2日に、ギオザは国民へライアン奪還作戦について公表した。ツァイリーは、国が戦争をするのだから、市民はもっと怯えたり騒いだりしているかと思っていたのだが、街はいつも通りの光景だった。
今日は春月15日。発表から13日も経つと、こうなるのだろうか。まだ何ひとつ終わっていないというのに。
「国民が危機感を覚えたら、終わりだ」
ギオザが一言呟いた。その声は自分に言い聞かせるような静けさがあり、ツァイリーはただその言葉の意味を考えた。
ギオザは若くして王になった。先王の死は突然だったので、本人もまさかそんなに早く王になるなんて、思っていなかっただろう。
ギオザは王位についてまだ2年も経っていない。それなのに、彼は王としての風格がある。なぜなのか。
きっと、支配者としての覚悟や信念があるのだろう。それが彼の原動力なのだ。
ツァイリーはギオザに命を握られているが、毎日ギオザを見ていて、彼のそういうところは尊敬していた。生まれる順番が違えば、自分がその立場になっていた可能性もあるのだ。
アザミ・ルイ・アサムとして人前で話すのに、ツァイリーはものすごく労力をかけている。ギオザのように厳然な王として、常日頃から人に接するなんて、考えただけで発狂しそうだ。
ツァイリーはギオザと話す時、素の状態だが、ギオザが気を抜いているところは見たことがない。
「ギオザは何を目指してるんだ?」
突然の問いかけに、ギオザはツァイリーと視線を合わせた。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味。なんでそんなに頑張れるんだろうって思って」
ギオザは目を伏せるとしばらく考えた。そして、振り返って窓の先を見つめる。
「やり遂げること、だ」
「やり遂げる……?」
押し黙ってしまったギオザに、「何を?」と聞くのは憚られた。
「やり遂げられそうなことなのか?」
ツァイリーは自分でもなんでそんなことを聞いたのかわからなかった。まさに口をついて出たという感じだ。
ギオザの濡羽色の瞳がツァイリーをとらえる。
「お前は自分の心配をしろ」
心配、という言葉にツァイリーは虚を突かれた。自分はギオザの心配をしているのだろうか。自分を脅しているこの男の……?
「向こうでは、相手に隙を与えるな」
答えを出す前に、これから自分が果たさなければならない大仕事を思い出す。
これからまたライアンへ戻り、しかもメルバコフと交渉しなければならないのだ。
前回は台本が決まっていて、その通りにことが進んでいたが、今回は相手の反応が予測しづらく、それによって対応も変えなければならない。不安しかない。
「そういえば、ヤオ、あいつ部屋で寝てるだけだったんだけど。俺の影武者になるんじゃなかったのか?」
「有事の時、と言っただろう。ヤオはいざというときにしか動かない」
「……なるほど」
途中からそんな気がしていたツァイリーは心の中でため息をついた。
トントン
「ギオザ様、よろしいでしょうか」
その時、扉が叩かれた。ギオザが入室を許可すると、あらわれたのはイズミだった。
「仕立屋が参りました。アザミ様の採寸をしたいと」
「わかった。連れて行け」
「はい。アザミ様、こちらへ」
ツァイリーはわけもわからぬままイズミの後に続いた。
着いた部屋で待っていたのは、恰幅のいい中年の女性とその付き人と思われる2人の若い女性たちだった。
「お初にお目にかかります。王家の指定を受けている仕立て屋のハルエ・ケイシイと申します。本日は、アザミ様の御礼服の件で参りました。まずはじめに、お体周りを測らせていただいてもよろしいでしょうか」
「は、はい」
付き人の2人があれよあれよという間にツァイリーの採寸をしていく。ツァイリーは年頃の女性とこんなにも接近したことがないので緊張したが、2人は手慣れていて、全くの躊躇いがなかった。
ツァイリーは礼服を持っていない。月宴会等で着ていたのは誰かのおさがりで、少し大きさが合っていなかった。
というのも、ツァイリーは牢から出た時、痩せ細っていて、その後リズガードによる鍛錬や食生活の変化によって体型がどんどん変わっていった。その最中に採寸して服を作っても、また合わなくなってしまうだろうということで、見送っていたのだ。
ツァイリーがアザミ・ルイ・アサムになってもうすぐ80日になる。そろそろ体つきも安定してきたということで、ライアン奪還作戦後の式典に間に合うよう、急遽服を作る運びとなったのだった。
ツァイリーが部屋から出て行き、ギオザは1人になった。
ツァイリーの言動は、いつもどこか自分の予想とずれる。ギオザは、無意識に右手にはまる指輪に触れた。
ギオザは窓の外を眺めた。白い鳥が悠々と飛んでいる。
ツァイリーを見ていると、幼き日を思い出す。あの時は何も知らなかった。好きなことを好きと言い、嫌いなことを嫌いと言う。父に持ち上げられて無邪気に笑い、母との茶会をつまらないと抜け出す。
首輪をつけられ、命を脅かされていても、ツァイリーは自由だった。
一国の王で、自国民からも恐れられている自分は、どうだろうか。そんなことを、考えてしまう。
「やり遂げることが、務めだ」
そう、それが自分に課された務めだ。それをやり終えたら、どうしようか。何ができるのだろう。
小さい頃のように、ツァイリーのように……。
『やり遂げられそうなことなのか?』
その言葉は、ギオザの考えないようにしていたことを、突いていた。
やり遂げられるかは、わからない。そもそも終わりがどこなのかもわからない。
それでも、呪いのように絡みつく。「報いたい」という気持ちが、父が死んでしまったことによって、義務に変わってしまった。
しかし、ギオザはその事実に目を向けない。
今ギオザに残されているのは、彼の思いだけだ。
ギオザは考えるのをやめる。
いつのまにか鳥は見えなくなっていた。
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