第30話 日歴122年 話し合い 上
「民間人の解放を条件に我々はライアンの領有権を放棄しましたが、その直後、アサム王国は民間人を殺めました。我々メルバコフ王国は、この残虐な行為を決して許すことはできません」
アイゼンがやってきたのは、春月13日。争いが起こってから3日後のことだった。
あらかた予想をしていたツァイリーは、アイゼンのつらつらと紡がれる声を聞きながら、うんざりしていた。なんだこの茶番は。
「私が受けている報告では、最初に襲いかかってきたのはメルバコフの民であり、その際にはこちらの兵が2名死亡したということです。相手が民間人だったとしても、武器を手に躊躇いなく仲間の命を奪う姿を見たら、危険を感じ、自衛をするのは当然ではありませんか?」
「果たしてそれは本当でしょうか。私は、『突然アサム兵が拘束しようとしてきたので抵抗した』と聞いています。あなたの理論ならば、武装した兵が強引に押さえつけようとしてきたので、恐怖を感じ、自衛するのは当然と言えますよね」
一応ツァイリーは反論を試みたが、すぐに返される。しかも嫌みたっぷりだ。メルバコフは弁の立つ人間を選んで送ってきたらしい。
「どちらの主張が正しいかは置いておくとして、我々の被害も甚大です。アイゼン殿の口ぶりでは、まるで我々が一方的にメルバコフの民を殺害したようですが、そうではないということははっきりさせておきます。あの場で起こったのは虐殺ではなく戦闘です」
「軍人が民間人を殺めたのです。そちらの被害は、民が必死に抵抗した結果です。そちらがどのように考えようとも、我々は虐殺と捉えます」
やっぱりだめか、とツァイリーはため息をつきたくなった。
メルバコフは最初からそのつもりなのである。こっちがどれだけ正論を言おうが、メルバコフの姿勢は変わらないだろう。彼らの主張を覆すためには証拠が必要だが、そんなもの戦場であるわけもない。厄介なことに、残っているのは『アサム王国兵がメルバコフの民間人を殺した』という事実のみである。
ツァイリーは『俺は、アザミ・ルイ・アサム』と魔法の言葉を心の中で唱えると、嫌みったらしいアイゼンに対する苛立ちを綺麗に覆い隠し、にっこり笑った。嫌みには嫌みを返すに限る。
「そうですか。それでは、先制攻撃をして無駄な争いを生み出した挙げ句、変な言いがかりをつけ、話を聞く耳も持たない駄々っ子メルバコフの皆様は、これ以上何を求めるつもりなのでしょうか」
一息に言い切ったツァイリーに、アイゼンの頬がぴくりと動いた。さすがに苛ついたようだ。ツァイリーは心の中で大笑いする。
「アザミ殿は争いをお望みですか」
「まさか。争いは無いに越したことはありません」
「そうですか……我々はライアンの返還を望みます。争いは望みません」
つまり、戦争にしたくなかったらライアンを返せということらしい。メルバコフも随分大きく出たものである。虚勢か、大国アサムに勝てる見込みがあるのか。
ツァイリーはギオザとの会話を思い出していた。
『おそらくメルバコフはライアンの返還を求めてくるだろう。その場で判断を下すことはない。向こうからの使いが来たら、一度城へ戻って来い』
『わかった……でも、メルバコフは全面戦争になったら困るんだろ? そんなに強く出れるのか』
『30年前のやり方を見ても、まず正攻法では仕掛けてこない。何かしらの策があるのか、あるいは他国へ協力を仰ぐ可能性もある』
『他国?』
『メルバコフは神守国の一角だ。他の神守国や|エルザイアン〈白の国〉が出てきてもおかしくはない』
ツァイリーは故郷の名前が出てきたことに、驚きを隠せなかった。エルザイアンがシエロ教を崇拝し、自らを神座地としていることは知っている。だが、神守国という言葉は初めて聞いたし、メルバコフがその一角だなんて、寝耳に水である。
ツァイリーはギオザに詳しいことを聞こうとしたが、誰かが部屋にやってきたようで、空間は閉ざされてしまった。
「この場で何かを決めることはできません。一度、国に持ち帰ります」
「わかりました」
それからツァイリーとアイゼンは次の協議の詳細を決めた。
場所は、争いのあったメルバコフとライアンの境界の地。
日は春月23日。10日後である。
「どうもこうも、ライアンを返還するなんてもってのほかです!メルバコフの奸計に屈するなどあってはならないことです!」
ヨコバ家当主セダルは、強い語気でそう言い切った。
現在、アサム王国王城にて開かれているのは三役会議。全員が席についたのを認めたギオザは、開口一番に「それぞれどう思っているのか、意見を聞かせてほしい」と言ったのだった。
「そう焦るんでない、ヨコバ殿。メルバコフは決してあなどれない国。勢いで物事を進めてはいけない」
カサイ家当主クアトロがセダルをたしなめる。
「しかしっ……!」
憤懣やるかたないという様子のセダルにかぶせるように、イイヅカ家当主ヒナタが発言する。
「気持ちとしては私も同じです。メルバコフは我々を舐めくさっています。1度完膚なきまでに打ちのめさないと、ライアンの奪い合いは永遠に続くでしょう」
ツァイリーは、ヒナタの言葉に、たしかにと思った。1度ライアンを渡すと書面で約束したにもかかわらず、その数日後には「返せ」などと言ってくる国だ。簡単に諦めるとは思えない。
「あたしは反対。向こうの要求なんて無茶苦茶なんだから無視しとけばいいのよ。もし襲いかかってきたら迎え撃てばいい。それなら正当防衛でしょ」
リズガードがあっさりとそう言うと、その場が一瞬静まった。
「それはできない。理由は2つ。
1つ目はメルバコフがエルザイアンに救援を求めた場合、戦力差は縮まる。先手を許すと、負ける可能性も出てくる。
2つ目は交渉に応じないというのは、他国のみならず自国からの不信感も買う。一方的な言い分を許してしまうことになる。正義がこちらにあることをはっきりと示さなければ、必ず失敗する」
ギオザが淡々とそう言い切り、リズガードが「それもそうかもね」と同意すると、場は再び沈黙に包まれた。
国の命運を左右する重要な会議だ。いつもよりもいっそう、発言には気をつけなければならない。
「アザミ様のご意見も伺いたく存じます」
クアトロの一言で全員の視線がツァイリーへ向けられる。軍団長ハイテンはライアンで指揮をとっているため、この場でメルバコフの使者アイゼンと対面したのはツァイリーだけだ。
「……メルバコフの使者は、頑なに自分達が被害者であると主張し、話し合いの余地はありませんでした。陛下のおっしゃる通り、我々が黙っていれば彼らはその機会を逃さず、私たちを悪者と吹聴し、自分達に有利な地盤を作り上げると思います」
「……わかりました。我々には対話の道は残されていないということですね」
クアトロの言葉に、ツァイリーは口を結んだ。
アイゼンと対話し、感じたことをそのまま言った。しかし、ツァイリー自身が戦争を望むわけではない。
クアトロの言葉で、自分の発言ひとつが戦争につながるということを、まざまざと感じた。
会議が終わり、皆が席を立つ中、リズガードがツァイリーに声をかけた。
「あんたちょっとやつれたんじゃない?」
「リズ様……」
久々に目の当たりにしたリズガードは相変わらず神々しい美しさである。ツァイリーはその姿にどこか安心感を覚え、ほっと息をついた。
ライアンは殺伐とした雰囲気で、常に緊張感もあり、実際ツァイリーは精神的に疲弊していた。
「あんた何もしてないはずでしょうが」
リズガードは物事をはっきり言う。たしかに、ツァイリーは特にこれといったことはしていない。大部分は部屋に引きこもり、最後の方にアイゼンの対応をしたくらいである。
「そうなんだけど、気も抜けなくて」
ツァイリーは周囲を確認し、小声で返した。アザミ・ルイ・アサムは品行方正、ツァイリーとはまるで別人なので、素で話しているのを聞かれるわけにはいかない。
「また戻ったらちゃんと体鍛えなさいよ。あんた素材は良いんだから。それから、ご飯はしっかり食べなさい」
「うん……」
褒められてるんだか、貶されてるんだか、心配されてるんだかわからないリズガードの言葉に相槌を打つと、「じゃ、もうちょっとがんばんなさい」と一言かけてリズガードは去って行った。
ツァイリーは8日後の23日にはアサムの代表者としてライアンにて協議に参加することになる。現地にはハイテン軍団長がいるとはいえ、責任者が長期留守にするのも問題なので、明日にはアサムを立つ予定だった。
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