第21話 不死鳥の灰燼②

 森から引き揚げた第六小隊は、森からほど近い村で休息を取っていた。

「結局見つかりませんでしたね」

 ジークリンデは、ヒルデガルドの足の手当てを終えた隊員が去るのを見送ってから言った。

「彼らなら、保護の必要もないだろう」

「あの霧は魔術でしょうか?」

 ジークリンデの問いかけに、ヒルデガルドはさあな、と答えた。

「気になるのか」

「いえ、ただ……」

 魔術をあつかう人間には一度だけ会ったことがある。

 もう十年以上前。闇につつまれた森の中。

「ただ?」

 上官に聞き返されて、ジークリンデははっと我に返った。

「いえ、なんでも―― なんでもありません……。ただ、あれだけの傷を負いながらそんなに遠いところまで行けるものだろうかと」

「それこそ魔術でも使ったんだろうさ」

 ヒルデガルドが部下の置いていった紅茶の入ったポットに手を伸ばすと、ジークリンデはあわてて立ち上がった。

「上からも、今はこの先の地には手を付けるなと言われているんだ。…… 私も関わらない方がいいと思う」

「この先というと、たしか……」

 紅茶をカップに注ぎながらジークリンデが言えば、ヒルデガルドは頷いた。

「南の地―― かつて聖都があった場所だ。今は見る影もない」

「なくなった聖地の話なら、資料室で読んだので知っています。どうして今も立ち入りを禁止されているかまでは書いていませんでしたが」

「禁足地の由来は知らずとも、こんな噂話は知っているだろう?」

 ヒルデガルドは、どこか自嘲気味に微笑んだ。

「大陸の北と南には、国が作った化け物がいる、とな」




「いけそう?」

 ベルが問いかけると、更地に術式を描いていたラフはむっとした顔で睨んできた。

「誰に聞いてんだ」

「だってラフくん、あんまりいっぱい火があるの嫌いだろ」

「………… べつに、嫌いじゃない。多少気分が落ち着かなくなるだけだ」

「そういうのを一般には嫌いって言うんだって」

「いいから、さっさとやるぞ」

 言うなり、ラフは自身の右手親指の腹を噛み切った。ぷくりと血が浮き出るそれを相棒の額に伸ばせば、彼はびくりとおののいた。

「じっとしてろ。丸焦げになりたいなら別だけど」

「あ、ああ、火除けか」

 びっくりした、と口にするベルの額に、ラフは手早く印を描いた。よし、とラフが呟くとともにベルはラフに背を向け、不死鳥に―― つまりは、術式の中心に近寄る。間もなく、いくぞ、とラフが口に出せば、たちまち火は燃え上がり不死鳥とベルを包み込む。

 ベルの腕の中で不死鳥が暴れ出す。ラフは少しためらったのち、火の勢いを上げた。

「………… ッ」

 相棒の顔色が刻一刻と悪くなっていく。最後まで持たないかもしれない。

「おい――――!」

 ラフが天使に向かって声を上げかけた瞬間だった。

 ひゅう、と。炎が燃え盛るその場におよそ似つかわしくない、軽やかな風の音色が聞こえた。風と共に現れたその人物は、少女のようにも老人のようにも見える。

「苦戦してるね、キキョウ。手を貸そうか」

「遅すぎる。どこで油を売っていたんだ」

「せっかく来てあげたのに、そういうこと言う?」

 二人は言い合いながら、互いの手を取った。彼らは恋人のように、あるいは兄弟のように。もしくは、無二の親友であるかのように指を絡め合う。

 ひとたび風が吹けば、ごう、とかつて見たことのないような猛烈な勢いで火が燃え盛る。それでいて周囲の木々に燃え移る様子はない。激しくもどこか柔らかで、儚げな炎だった。

 ラフは黙ってそれを見つめていた。

 ベルの腕の中にいた不死鳥が、羽の先から燃え、そして灰燼へと帰していく。抱えていたものがすっかりなくなると、ベルは地面にくずおれた。ラフもまた、意識をやっとのことで保ちながら立っていた。

「そら、持っていくといい。入用なのだろう」

 尾羽根を差し出しながら言ってくるキキョウからそれを受け取りながらラフは口を開いた。

「世界がおかしくなっていると言ったな」

「ああ」

「それはあの人が原因なのか」

「…………」

 黙る天使に、ラフは畳みかける。

「わからないとは言わせないぞ。これだけ何度も人の行く先行く先で現れておいて、偶然のはずがない。だったらどうして俺に協力をした? そこにあんたたちの利があるからだ」

 天使キキョウはしばらく何も言わずにいたが、やがて口を開くと

「たまたまさ」

と答えた。

「た――!」

 たまたまのはずがない。そう言いかけたラフの前へ、キキョウが距離を詰めてくる。

「知りたいか、この世界の真実が」

 耳の奥がじわりと熱くなり、天使の声が頭に直接響いてくる。

「ならば来い。天の導く処迄」

 途端、意識が一気に遠のきラフはその場に倒れ込んだ。

 あーあ、という声が横合いから聞こえて、キキョウはあからさまに顔をしかめた。睨みつけるだけにとどめておくと、エンジュは唇にからかいの色をのせたまま言った。

「可哀想に。ろくに説明もされないで、利用するだけ利用されて」

「…… ろくな説明をしなかったのはどこの誰だかわかっているんだろうな、もちろん」

「人間嫌いのツワブキと、人間贔屓のスイセンだろ」

 わかってるさ、もちろん、と返すエンジュにキキョウは冷たい視線を投げかけるが、彼に響く様子はない。エンジュはにやりと笑んだ。

「不確定要素は、多い方が愉しめる」

「悪いが俺はお前のような享楽主義じゃない。いくら管轄外とはいっても、ひとつの世界やそこにある生命を軽々しく扱うようなことはするな」

「生まれてからたった八千年ぽっちの世界を? ―― 冗談。こと世界や命の扱いに関してだけいうなら、本当の享楽主義者はほかにいると思うけどね、僕は」

 エンジュが微笑みつつ言うと、キキョウは眉間の皺をさらに深めた。

「………… くだらん。合流するぞ。ツワブキとスイセンも回収して説教する」

「大変だね」

「お前も来るんだ」

 早く来い、という声とともに、二人が体をひるがえす。長い髪が幻想のようになびいて、二人はそのまま、ゆらりと消えた。

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