第20話 不死鳥の灰燼①

(七)不死鳥の灰燼


 霧が自然現象では考えられないほどの速さで晴れていく。騎士たちからだいぶ離れられたところで、ラフは力尽きたように木の幹に手をついた。脇腹に刺さった矢に手をかけるが、ぴくりとも動かない。

 おもむろに、横から伸びてきた手が矢をつかみ、同時にラフの口元に男の腕が押しつけられる。

「―――― っ、う」

 矢が引き抜かれるのにあわせて、ラフは相棒の腕に歯を立てた。矢じりが体から抜けたそばから、穴の開いた服からのぞいていた傷痕に血の泡が立つ。ぐにゅぐにゅと肉が混ざり合っていく音を立てながらそこはやがて、まるではじめから何もなかったかのようになだらかな肌へと戻った。

「…… 異常だよ、その身体」

「…… おかげさまで」

 ラフは口についた血をぬぐいながら言った。そして大きく息を吐く。

「あとひとつ―― あとひとつだ」

 悲愴な覚悟のようで、執念すら感じられる男の横でベルは口を開いた。

「出直してもいいと思うけど。さっきまで自分の腹に穴が空いてたの、もう忘れた?」

「覚えてないな」

 皮肉で言ったにもかかわらずきっぱりとそう返され、ベルはため息とともに頭をかいた。

「あとこれ地味に消耗すんだけど、運搬方法これで合ってんの?」

 ベルが背中に背負ったケンタウロスの心臓は、この世のものとは思えないほど冷たく凍っている。日頃魔物との戦闘で使う魔術とは質が違うのか、それともこの冷たさのせいか先ほどからすこしずつ体力が奪われていくのを感じる。

「ああ…… 個数の指定はなかったんだよな。全部一個ずつでいいのかな」

「そこじゃないんだよな」

「基本的にこっちから連絡つかないからな、あのひと」

 相棒からの突っ込みを聞いているのかいないのか、ラフは木々の隙間を思案顔で歩いていく。ベルは後ろからついて行きながら、それで、と口にした。

「あとひとつってのは――」

「不死鳥の尾羽根。そうだろう?」

 突如降り注いだ声の主は、気配もないまま木々の間に立っていた。赤い髪は燃えるようで、その姿は非力な少女のようでも、幾度も死線をくぐり抜けた屈強な老戦士のようでもあった。

「すまないな。人の会話に割って入るのは本来趣味ではないのだが。―― 私は火を司る天使キキョウ。この世界を見守る者。我々が頼みごとをするのもこれが最後だ」

「頼み事……」

「頼み事ねえ……」

 二人そろって苦い顔をすると、天使は怪訝な顔をした。それを見て、ベルがやんわりと口を開く。

「あの、俺らあんたのお友達に特に何の説明もなく突然海に投げ飛ばされたり魔に染まった絶滅危惧種に命狙われたりしてるんだけど」

「………… 突然?」

「突然」

「何の説明もなく?」

「何の説明もなく」

 天使キキョウは頭を抱えた。

「くそっあいつら…… ツワブキはともかく、スイセンもエンジュもか…… いや、奴は絶対に面白がってるな……」

 彼はぶつくさと何事か呟いたあと「まあ、いい」と顔を上げた。

「説明は歩きながらしよう。ついてきてくれ」

「………… どうする、ラフくん」

 勝手に歩き始めてしまった天使を見ながらベルは、相棒に向かってたずねた。

「どうもこうもないだろ。不死鳥のあてがない以上」

 ラフは考えるまでもないといった様子で天使の後をついていこうとして、途中でベルをぱっと振り返る。

「別にお前は他所で待っていてもいいんだぞ。準備ができたら呼ぶ」

「…… いや、行きますよ……。俺がいないとあんたどっか俺の知らないところで死ぬだろ」

 ベルが言うと、ラフは高らかに笑った。そのらしくない様子にベルが眉根を寄せるとともに、天使キキョウが足を止めた。

 木々が生い茂っていたはずが、途中から更地になっている場所がある。土がむき出しになった地面には同心円状に跡がついており、中心にはカラスほどの大きさの鳥がいる。尾は長く、色は燃えるような、赤。

「あれだ。…… 可哀想にな。外から吸収して燃やせるだけの魔力が足りないんだ。多少少ないくらいなら、今まで蓄えたぶんを内から燃やして灰に戻ったのち生まれ変わることもできようが、その余裕もない。ああして中途半端に燃やしたところで残り少ない命数が気休め程度に延びるだけだ」

 キキョウが話す間にも不死鳥は苦しげに呼吸を繰り返しながら翼を動かそうとしている。けれどその動作に力はほとんどこもっておらず、今にも果てそうである。

「―― 気づいていると思うが、この世界はもう、おかしい。私たちも原因を探ってはいるが、原因が突き止められずにいる。この世界の責任者に会えないからな。こうやってひとつずつ可能性を潰していくしかないのだ」

「責任者?」

「神だ。この世界のな」

 ベルとラフは黙り込んだ。少しして、ベルが口を開く。

「…… 俺たちのことはどこで?」

「この世界で力の大きい存在から順に当たっていったら魔女を名乗る者に出会った。その魔女なる者に聞いたのだ、そなたたちなら必要な物さえ提供すれば相応の働きをするだろうと」

「あのやろ……」

 キキョウの答えを聞くなり、ラフは苦々しい顔で悪態を吐いた。が、すぐに不死鳥の方へ向き直ると

「で? 足りないってことは周りで火でも燃やせばいいのか」

と尋ねた。

「話が早くて助かる。―― ただ、強引に喰らわせることになるから、いくらか暴れるかもしれん」

「そこは俺の相棒が暴れ者担当だから、問題ない」

「初めて知ったわ」

 ベルは言いながら、辺りを見回した。

「やるなら急ごう。じゃないとまた騎士が集まってくる」

 相棒の言葉に、ラフはキキョウの方を見て言った。

「森の霧はあんたたちだろ? あれと同じのを作って邪魔なものは寄せ付けなきゃいいだけの話じゃないか」

 キキョウはためらいがちに口を開く。

「―― 我々は、この世界を見守る者。動かせるものには限界がある。特に大気は、何度も動かすには大きすぎる。スイセンとて、そなたたちを無傷で山から連れ出すので精一杯だったはずだ」

「…… めちゃくちゃ乱暴だったよな?」

「死ぬほど乱暴だった」

「…………」


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