第18話 ケンタウロスの心臓③


 霧で視界が悪い。

 あまり、いい気分じゃない。雪山でのことを思い出すから。

 地面に生い茂る草が足にまとわりついてやや歩きにくくはあるが、天使エンジュの業だろうか、先ほどから同じ方向から一定の強さで風が吹き続けているため迷うことはない。

「あっ――」

 背後で靴と地面が滑る音がして、ベルは反射で振り返りジークリンデの首元をつかんだ。ベルと比較すれば小柄だがしかし、女性としてはかなり長身の部類であるはずの体が一瞬宙に浮き、ジークリンデは目を白黒させた。それから地面に下ろされるとすぐさま荒々しい手つきで頭を押さえられた。ジークリンデはあまりにも不条理な言動に抗議しかけるも

「いた」

という一言にそれらは喉奥へ沈み込んだ。ケンタウロスの集団は、森の中の小高い丘のような場所に集まっていた。丘のもっとも高い位置にいたケンタウロスはベルの視線にすぐに気づいて振り返る。

「―― 来たか」

 配下の者たちがすぐさま弓をつがえようとするのを、彼が片手をあげて制した。

「人の子か? 道に迷いでもしたか」

 言葉は親切に聞こえるが、その佇まいからは一切の隙もない。この場限りの嘘をでっち上げたところで、自分の立ち位置を危うくするだけのように思える。ベルはゆっくりと立ち上がった。ジークリンデが同時に立ち上がろうとするのを頭を上から押さえることで封じた。

「…… 迷っているといえばそうだが、実は、ある人物にあんたたち兄弟が起こしてる内乱を鎮めない限りはこの霧が晴れないと、ひいては森からも出られないと言われて、それでここまで来たんだ。弟の方へは、さっき行って話を聞いてきたところで、あんたの方の話も聞きたいと思って、こっちへ来た」

 ベルが慎重に言葉を選びながら告げると、ケンタウロスの王はそうかと頷いた。

「そうは言っても、弟に話を聞いたのなら俺から話すことはない」

「しかし――」

「違っていたとしても、俺はあれがこちらへ向かってくるのをただ迎え討つのみ」

 ケンタウロスの王ののらくらとした態度にジークリンデは歯噛みした。彼の態度だけじゃない。頭を押さえられているせいで、ケンタウロスたちがどんな様子でいるのかさっぱりわからない。傍に立つ男の隙のない立ち姿から、いざとなれば彼についていけばとりあえずは問題ないだろうとわかるが、自分の非力を思い知らされるようで腹が立つ。

 前にもこんなふうに守られていたことがある。こんなふうに隠されて、小さくなって。

 ジークリンデは立ち上がった。

「迎え討つって、無責任じゃないですか。どうして自分から向かって行こうとしないんですか。あなたの弟でしょう。管理責任はあなたにあるはずだ」

「ざんねんだが、ここは帝都とは違うんだよ、騎士のお嬢さん」

「帝都とか騎士とか、そういう段階を超えてるでしょう! 霧が晴れたところで許されない、あんなの!」

「俺はずっと待っている。反逆者ではない彼を。たったひとりの弟を」

「だから、待つとか、反逆とかっ―― そんな話をしている場合じゃないって言ってるんだ! だって」

 立て板に水といった調子でいる王の前で興奮ぎみになりながら、ジークリンデは言った。

「―― だって、ゴブリンじゃないですか、あなたの弟が連れてるのは! 狂ってるんだ、もうとっくに!」

 叫ぶジークリンデの腕を、ベルがつかんだ。

「彼らの今の進路のままだと、地中にあるドワーフたちの棲み処の真上で戦うことになるんだ。戦いが避けられないならせめて、よけてやってほしいんだが」

 内戦自体を止めさせるのは不可能とみてベルが言うと、ケンタウロスは「小人か」と口にした。

「小人は好かん。俺たちとも、奴らとも違う」

「違う?」

「においが違う―― いや」

 説明を重ねられてなお首をひねるベルに、ケンタウロスの王は続ける。

「しないのだ。そなたたち人間のような、食いもののにおいが」




「おかしい?」

 ケイロンからつかずはなれずの距離にある木の根元に腰をおろしたヒルデガルドが言った言葉に、ラフは片眉を上げた。

「出来の良い兄と比べられ続けて気が狂った弟が、父王を殺して証を奪うも、兄に取り戻されるとともに国を追われた――。この方が、話としてしっくりくる」

 ラフはへえ、と言いながら唇の端を持ち上げた。

「さすが、女だてらに騎士団の小隊長にまで上り詰めただけある。馬鹿じゃないってわけだ」

「…… それとこれとは別だ。どれだけ実力をつけても、つけただけ妬んでくる相手も増える」

「俺は好きだけどね、頭が切れて腕っぷしの強い女」

「悪いが私は興味がない。見目の良い男はとくに」

 ヒルデガルドに突っぱねるように言われ、ラフは肩をすくめた。ケイロンたちは、彼が率いるゴブリンらも含めて、異様なほど静かだ。

「ゴブリンだけならまとめて焼けるんだけどな」

「…… 魔法を使ったなら、あいつに負担がいくんだろう」

「――…… まあ、何割かはな」

 質問されて答えると、彼女はじっとラフを見つめてきた。それから、ぎゅっと眉間に皺を寄せる。

「………… 私はあなたを許せない。二人の間でどういう制約があったにしろ、彼をあんなふうにしたのだから」

「別に頼んじゃいない」

 ラフの返答に、ヒルデガルドの表情が一層険しくなる。ラフは構わず続けた。

「俺の目的なら、もうすぐ終わる。そうしたら、あんたの好きにすればいい」

 そう言うとラフはベルとジークリンデの行った方向へと目をやった。

「―― 遅いな」

「…… 何もないといいんだが」

「ないだろ。ケンタウロスは人間を除いた種族の中じゃとりわけ知性、が……」

 そこまで口にして、ラフははっと何かに気がついたように顔色を変えて立ち上がった。

「何かあったか?」

 怪訝な顔で言ってくるヒルデガルドに、ラフはゆっくりと振り返り言った。

「俺たちはとんでもない勘違いをしていたかもしれない」




 ベルは呼吸が荒くなるのを感じていた。

 視界を狭める霧。自分たちを囲う魔物たち。

 八年前を思い出させる。

「食いもの……?」

 横でジークリンデが眉をひそめ呟いた。

(ああ、どうして気がつかなかったんだろう)

 果たしてどちらが魔に染まっているのか、どちらの軍に助力すべきか、それだけに気が行って、もうひとつの可能性にはまったく思い至らなかった。

 もうひとつの可能性―― つまり、ケンタウロスの兄と弟、双方が狂ってしまっている場合。

 確かに思い返してみれば、あのエンジュと名乗った天使も、どちらかをどう始末しろとは言っていなかった。

 ベルはくそ、と短く悪態をついた。山にいた竜の時と同じだ。天使を名乗る彼らに、またはそれ以上の大いなる存在に、その思惑に。それを叶えるために利用される。利用されて、それで。

(あの、雪山と同じ…………)

 困惑したままのジークリンデと、黙っているベルの前で、ケンタウロスの王だった者は再び口を開いた。

「わかっている。俺とて。自分がとうにおかしくなっていることくらいは」

 それでも、と彼は続けた。

「―― それでも、弟に生きていてほしいと思ってしまったのだ、俺は」


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