第17話 ケンタウロスの心臓②


「いない」

 ラフはしかめ面のまま、樹の根元に座り込んで言った。そしておもむろに立ち上がると、一本の樹に向かって手を突き出す。手は樹をまるでないものかのようにすり抜けて、少し離れた空間からラフの手の断片が反対の向きに浮かび上がった。魔術の類に思えるが、ラフが使うそれとは違う気がする。心当たりが、ないこともない……。

 周囲からは集団の足音がするもどこから聞こえるものかはわからない。闇雲に進んだところで相方が見つかるはずもないが、じっとしていても霧が晴れるとも思えない。ラフは足を進めた。

「あ」

 その瞬間、辺りの空気が切り替わったような感覚があり、目の前に何者かが現れる。その人物は前につんのめるようにして、ラフの方へと倒れ込んだ。

 とっさに倒れてきた相手を支えようとするがしかし、その勢いと重みに耐えきれずにラフはその人物の下敷きとなって背中を地面に打ちつけた。痛みに耐えながらも自身に覆いかぶさるようにして同じように痛みに悶えている人物を見て、ラフは眉をひそめる。

 数日前、ベルのところへ押しかけてきた騎士。

「すみません、私――」

 ようやく顔を上げた彼女もまた、ラフの顔を見て驚きに目を見開く。あきらかにこちらの顔をわかっている顔だ。下手を打てば捕らえられかねないが、かといってここで慣れ合ったりしたところでそれほどの旨味もないように思える。

 ―― と、ラフが思案しかけたとき、先ほど聞こえた足音が再び聞こえてくる。今度は近い。ラフは急いで彼女の頭を地面に押さえ、自身も草むらのなかに伏せた。

「………………」

「…… ゴブリンです」

 目線を動かして足音の主を探すラフの横で、騎士が言った。間もなく、足音がさらに迫ってくるのがわかる。

「数日前、騎士団に近隣の村から相談が持ち込まれて。活動時期も活動区域も違うのに、こんな時期にこんな場所に密集してるのはおかしいって」

 彼女の説明を聞きながら、ラフは先日自分の元へ届いた手紙を思い出した。


 ―― 以前より伝えている素材、収穫するなら今が好機。再度記すが、竜の鱗、ケンタウロスの心臓、不死鳥の尾羽根、過不足なく揃えよ。


(今が好機って、どういうことだ?)

 知っていたのか。ラフがベルとどこへ行き、何を見、何を手にするか。…… あの天使とやらのことも。

「あの、よければ一緒に行かせてもらえせんか。森を抜けるまで、あくまで一時的に。…… うちの隊長も、誰かといるとすればあなたの相方といると思うし、彼と遭遇したら放っておかないと思うんです」

「…………」

 悪い提案じゃない。ただでさえ霧で視界が悪い中、目が二人ぶんあるというだけでずいぶん有利になるだろうし、この先もし他の騎士と遭遇した時に騎士である彼女といれば怪しまれることもなくなるだろう。万が一の時に囮にして逃げることも容易そうだ。

「相棒と合流するまでなら」

 ラフが答えると、彼女は「よかった、ありがとうございます」と口にしながら、流れるような仕草で剣を腰に戻した。ラフは一瞬、その動きに目を奪われる。ひらりと舞うような、剣舞にも似たあの動きを、昔どこかで見たことがある。

「申し遅れました。私はジークリンデといいます。ジークリンデ=ヘンネフェルトです」

「………… ジーク?」

 聞き返したラフに、ジークリンデは眉根を寄せる。

「子どもの頃は、そのように呼ばれていましたが。でも、好きな呼ばれ方ではないので、できればジークリンデと」

「………… ああ、悪い。………… 知り合いと同じ名だったんだ」



 ケイロンは歴代でも名君と呼ばれたケンタウロスの王にいる二人の王子のうちの弟である。父の血を色濃く受け継ぎ、俊英と名高い兄は次の王と目されていたが、父が亡くなったその日に発狂し、弟ケイロンの持つ父の形見でもある王の証を力ずくで奪った。弟の反乱をおそれた兄は、武力をもって強引に王の座を勝ち取るつもりでいる……。



「どう思う」

「どうとは」

 ベルの短い問いに、ヒルデガルドもまた短く返した。ベルはケイロンたちのいる方向を一瞥したのち、声のトーンを落とした。

「…… 彼の兄とかいう、もうひとりのケンタウロスの一団のいる方へも、行ってみるべきかなと思う」

「ああ」

 天使の話も全面的に信用できるものかわからないし、というベルの言葉に、ヒルデガルドも頷く。

「私もそう思う。…… 行くか?」

「ここを空けることになる。目を離した隙にケイロン軍が侵攻して、森を抜けて…… ということにならないとも限らない」

「一人が残ればいいじゃないか。片方がここで見張りをして、片方が偵察を。と言っても、お前の方が歩くのが早いから役割は決まっているようなものだが」

「………… 俺が、偵察に行くって言ってそのままお前を置いて逃げるとは思わないわけ?」

「逃げるつもりだったのか?」

「―― 逃げるかもしんない」

 あの時みたいに。

 辺りに沈黙が訪れた。

 ややあって、ヒルデガルドが再び口を開いた。

「…… 私は、今でも誰も疑ってはいない。当然、お前のことも」

 今度はベルが黙った。

「………… 勘弁しろよ」

 自身が目を逸らしてもなお、こちらをまっすぐ見つめてくる視線にベルは居心地悪そうに頭をかいた。

「必要なのは事実の究明であって仲間の糾弾や粗探しじゃないだろう」

「仲間ね」

 ベルはヒルデガルドの方を見ないまま吐き捨てるように言った。

「自分の身の安全が脅かされてもまだそんなこと言ってられるんなら、企てた本人かまたはその息がかかってるか、そうじゃなきゃとんでもない馬鹿だってことになるな」

「それは…………」

 ヒルデガルドが言いよどむと、ベルは「まあいいけど」と嘆息した。

「お前とこの話してると永遠に終わんないし、いいよ、俺ひとりで行ってくる」

 ベルはしゃがみこんで自身の靴を履き直し、それから立ち上がるかと思われたその瞬間、ヒルデガルドの左足首に手を伸ばした。ブーツ越しに力を込めると、不意打ちに驚いていた顔が一瞬にして歪んだ。さっき、ケンタウロスの群れから隠れた時か。

(気付かなかった)

 ベルは顔をしかめて立ち上がるとそのまま身をひるがえした。

「お前、昔っから全然変わってないのな。俺が戻るまでそこ動くなよ。群れの近くにいりゃ襲われることはないだろ。………… まさか、もっと重大な怪我隠してないよな」

 ヒルデガルドは痛みに耐えていた表情を少しだけ緩め、おかしそうに唇をゆがめた。

「…… まさかノルベルトに心配される日がくるとは。大丈夫、足首だけだ。何なら全部脱いでみせようか」

「怯えてんだよ。お前は自分がばかでかい爆弾だってこと自覚しろ。お前俺が今すぐ脱げっつったらほんとに脱ぎそうで――」

 と、その時だった。

 ベルの背後で茂みが鳴る。振り返り相棒の姿を確認するより先に、嫌悪に顔を歪ませながら突進してくる女の姿が目に入る。

「―― あ、ありえない、本当にありえない、信じられない。こんな…… ひとに向かってい、今すぐ脱…… 危険すぎる、この男!」

「いや、違うんだジークリンデ。私が先に脱ごうとして」

「ヒルデちゃんちょっと一旦黙ろうな!」

「落ち着け、ベル」

 せわしなく顔を青くさせたり赤くさせたりする部下をなだめるヒルデガルドに向かって声を上げるベルの肩を、ラフが押さえた。

「俺だってこんな状況だったらそういう気持ちにもなる。大丈夫だ、みんなわかってくれる」

「ものすごくムカつく上に誤解のあるフォローの仕方!」



 事のあらましを聞くと、ジークリンデはいまだ納得いかないといった顔をしながらベルを横目でにらんだ。天使エンジュのことは伏せて説明した手前、ベルは自身の表情に後ろめたさが浮かんでくるのがわかる。

「森に霧が満ちているわけはわかりましたけど。実際にこの身に起きてなきゃ信じられない、こんなこと。この男がいるから余計に―― その足だって、全面的にこの男のせいに決まってる」

「…… それに関しては間違いない。俺の過失であんたんとこの隊長に怪我をさせた。申し訳なく思ってる」

 部下の言葉に口を開きかけたヒルデガルドを制してベルが言うと、ジークリンデは面食らったような顔をして顔をそむけた。

「そこまで信用できないならお前がノルベルトについて行って来ればいい。ひとりずつ、お互いにお互いの信頼する相手をつければ片方が裏切る心配もないだろう?」

 くっと笑いをこぼしたのはラフだった。信頼ね、と口にすると

「いいけどね。―― それじゃ、ベル、俺はここで美人の騎士様と待ってるから、そっちは頼んだ」

 ベルはおう、と答えて後ろから慌ててためらいがちについてくる者の気配を感じつつ足を踏み出した。



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