第11話 フェンリルの牙②

「裏切り者……」

 ぽつりとシャルロッテが言うそばでヒルデガルドが「馬鹿なことを」と口にした。

「何を根拠に、そんな……」

「国がヴィルダー教授にやらせてることを知ってる」

「は……?」

 ヒルデガルドの顔は、困惑しているかのようにノルベルトには見えた。そしてすぐにはっとしてノルベルトを見た。

「…… ちなみに聞くけど、お前的には誰が一番怪しいと思ってるわけ?」

 キールストラが尋ねると、マウラーはもう一度仲間たちの顔を順に見やった。マウラーの顔は裏切り者がいることを不安がるようでも恐れるようでもなく、むしろどこか面白がるかのように薄く笑みを浮かべていた。

「キールストラ、あんたみたいな軽薄そうで口の上手いやつはすごく怪しく見えるよ」

 その言葉にキールストラは一瞬眉をひそめるが、マウラーは構わず続ける。

「逆に、フレーゲみたいな無口で何を考えてるかわからないやつは信用できないし、バウアーやアッセルみたいな貧乏人は金さえ積まれれば何でもやりそうだし」

「マウラー! いい加減にしろ」

 ヒルデガルドが制止するもマウラーは無視して、それから彼女に指先を向けた。

「でも特に怪しいのはあんただ、アイブラー。伯爵は教授の研究に関わってた貴族のうちのひとりで、そうじゃなくてもアイブラー家は昔から国の政治と深く関わってる。そんな古式ゆかしいアイブラー家の娘を疑わない理由はない――」

「マウラー!」

 次にヒルデガルドが叫んだのは、制止のためではなかった。

 洞穴の入り口を丸々覆い隠すほどの大きさの魔物は低く唸りながら穴の中へ入ってきた。

「皆――、」

 ヒルデガルドが口を開くより、フェンリルが爪牙を振り下ろす方が速かった。マウラーが倒れる。

「―― ッ、下がれ! 皆下がれ!」

「下がれったって……」

「行き止まりだったらどうすんだよ?」

「とにかく下がれ!」

 五人はひたすらに奥へと駆けた。が、奥へ行くほど洞穴は広くなっていき、フェンリルとの距離が徐々に狭まっていく。

「行き止まりだよ!」

 先頭を走っていたシャルロッテが叫んだ。もはやここまでか、とそれぞれが剣に手をかけた時だった。

「こっちだ!」

 フレーゲが声を上げた方を見ると、人が屈んでようやく入れそうなほどの穴がある。最初にキールストラが入った。内部をすばやく確認して頷いたので、ノルベルトは女性二人を先に入るよう促したのち自分も穴の奥へ進んだ。途中から急勾配の坂になっており、最後はもうほとんどよじ登るようにして外へ出た。キールストラに引き上げられて脱出したシャルロッテは、膝を小刻みに震わせながら両手をついて倒れ込んだ。

「無理だよ…… 無理だよ、こんなの」

「―― シャルロッテ?」

 同じようにキールストラに引き上げられて外に出たヒルデガルドが気遣うように親友へと伸ばした手に視線のひとつも寄越さないまま、彼女は続けた。

「ヒルデちゃんだけだもん、この作戦の詳しい話を分隊長に最初から聞いてたの……。私とキールストラたちはただあの村に来いって指示されただけだった。だっておかしいもん、こんな、」

「…… 待て、シャル――」

「フェンリルは普通、単独行動はしない。確実な獲物が目の前にある時以外は」

「違う! 私じゃない!」

 ヒルデガルドが叫んだ。シャルロッテは潤んだ瞳で親友を見つめた。

「ヒルデちゃん、最近変だった。ぼーっとしてうわのそらで、ずっと考え事してた」

「…… そんなこと」

「わかるよ!」

 らしくなく声を荒げる姿にヒルデガルドは一瞬怯んだ。

「ヒルデちゃんのことだもん、わかるよ……。なんで? なんで、私……」

 ぼろぼろと涙を零しはじめたシャルロッテの肩に、キールストラがぽんと手を置いた。

「どっか見晴らしのいいところで、作戦を立て直そう。先に来たはずの小隊がいるならいるで、それまでどうするか考えないとだし、いないならいないで、やっぱりどうするか考えないと。今度はちゃんと、火を焚いて、魔物が寄ってこないようにして」

 な、と同意を求めるように振り返ってきたキールストラにノルベルトは頷いた。



「フレーゲは?」

「あっち」

 火をつけ終えて辺りを見回すと、一人足りないので尋ねればキールストラが顎で林の方を指しながらそう返した。

「そのへんの様子窺ってる。松明持ってったから大丈夫とは思うけど」

 キールストラはそこで言葉を切って、女性二人の方へ目をやった。ヒルデガルドとシャルロッテは、それぞれ焚き火の反対方向へ立って、視線を合わせようとしない。

「俺、アッセルの話聞いてくるわ。アイブラーの方、頼む」

「うん……」

 シャルロッテの方へ歩いていくキールストラを横目に、ノルベルトはヒルデガルドの方へ足を向けた。

「もうちょっと火の近く来れば? ―― アイブラー?」

 声をかけるも、ヒルデガルドは反応を見せない。

「おーい」

 返事はない。

「ヒルデちゃーん」

 返事はない。普段ならば、すぐさま肩をいからせるなり嫌悪やら侮蔑の視線を向けてくるはずなのだが。

「―― お前はどう思う」

「どうって?」

 ヒルデガルドの唐突な問いかけに、ノルベルトは短く聞き返した。彼女の喉が上下する。迷うようにかさついた唇を動かした後、おかしいんだよ、と呟いた。

「シャルロッテの言う通りだ。この作戦はおかしい。最初からずっと。私たちだけでこんなところまで来させるのも、成獣のフェンリルが襲ってくるのも――」

 ヒルデガルドはそこで口をつぐんだ。

「さっきのマウラーの言葉が、ずっと頭の中を巡ってるんだ。もしこれが真実なら、私たちの中に裏切り者がいるのなら。………… それは、父を疑うことにほかならない。あの正義を尊び悪をけしてゆるさないあの父をだ。…… 私には、信じられない。あの父が自身の邪魔になるとはいえ騎士を、ひいては民を、それも魔物を使って排除するなど」

 そう言うと彼女は手を固く握りしめたまま、ぎゅっと目をつむった。

「…… それは?」

「母が作った魔除けだ。…… いや、単なる匂い袋だから、魔除けでもなんでもないんだが」

 ヒルデガルドの手の隙間からのぞく小さな布袋を疑問に思って指摘すれば、そんな答えが返ってくる。へえ、と呟いて鼻先を近づけてみると、確かに香草のような爽やかな香りがする。

「…………」

 どこかで嗅いだことがあるような気がする。いったいどこで嗅いだ匂いだっただろうかと考えていると、ヒルデガルドが不意にノルベルトから距離を取るように下がった。

「突然間合いに入ってくるな」

「あ、ごめん」

 間合いて、とは思いつつキールストラの方へと目をやると、シャルロッテと話し込んでいるようだった。会話は聞こえないが、あまり楽しそうではない。当然といえば当然なのだが。少しするとキールストラが立ち上がり、シャルロッテに手を伸ばした。が、シャルロッテは首を振ってそれを拒否した。キールストラは首をすくめ、「だめだった」とでも言うようにしながらこちらへ歩いてきた。

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