第8話 竜の巣②


「伝承ですか?」

 一応知っていますが、とジークリンデは辺りへの警戒を緩めないまま上官の問いかけに答えた。

「竜の鱗には死んだ者をこの世に蘇らせることができる力があるという、あの話ですよね? 幼い頃、乳母によく聞かせられました。…… 個人的には、その前の竜が人間を喰ってしまうくだりの方が恐ろしくて印象的ですが」

 ヒルデガルドはそうか、と口にした。自分から聞いておいて、なんだか上の空だ。

「…… だれか、蘇らせたいと思う方が?」

「お前、今朝ノルベルトのところへ行ったな」

 自身の問いを無視してなかば糾弾するような口調を向けられ、ジークリンデはどきりと肩を震わせた。

「………… 行きました。申し訳ありません」

「なぜ謝る」

 ジークリンデが素直に謝罪するとヒルデガルドはより厳しく彼女を見つめた。

「簡単に謝ったりなどするな。己が真に正しいと思ってやっていることなら、尚更」

「は……」

 想定外の反応に戸惑うジークリンデを前に、ヒルデガルドは続けた。

「死人は、人の手などでは蘇ることはないのだろうな。…… 錬金術師や、あるいは千年も生きた魔女ならできるのかもしれないが」

「―― 意外です。隊長はそういう、魔女だの昔話だのはあまり信じていないものとばかり」

「そうでもないさ。実際、そういうものには――」

 と、その時だった。



 山の頂上から竜の雄叫びが鳴り響いた。雄叫びというより、どこか苦しげで、悲鳴のようにも聞こえる。

 ベルとラフ、そしてランドールとドミニクはそろって空を見上げた。ランドールはどこか、険しい表情をしている。後ろでベルが、ランドールに聞こえないようこそりと言った。

「ドミニクがこんなとこまでついてくるとは思わなかった。別にギルドからの依頼ってわけでもないんだろ?」

 ドミニクはそうだけど、と歯切れ悪く言った。

「ランドールが心配だからさ。あいつの気が済んだら帰るよ」

 ベルはちらりとラフを見た。頂上間近になればなるほど、騎士の姿が増えてくる。これ以上進むのは危険そうだ。

「どうする?」

 ベルが尋ねるも、ランドールもドミニクもそこへ突っ立ったまま何も返さない。妙な二人に不気味ささえ感じはじめた頃だった。

「いいや、ここでいい」

 ランドールがぽつりと口にした。こちらへ背を向けて頂上を見つめて立っている彼の横へ、ドミニクが並んだ。

「もう一度問おう。竜の鱗が欲しいのか?」

 ランドールの問いかけに、ラフは間を置かずにああ、と頷いた。

「そうだ」

「…… そうか」

 彼は悲しげに呟きながらマントを脱ぎ捨てた。マントは風に流されて、海の向こうへ飛んでいく。

「じゃあ、消えてもらうしかないな」

 男がそう言うと同時に、地面が動き出した。滑るように動いた大地は、崖の際までベルとラフを押し出し、海へと二人を投げ出そうとする。地面に必死にしがみつこうともがくが、あまり意味がない。膝をついたままベルは、友の顔をした二人を見上げた。

「―― あんたたち……“何”だ?」

 一人は怜悧な瞳で、もう一人は何かを憂うような瞳でこちらを見ていた。ラフの問いに、二人はわずかに首を傾げる。

「何、とは」

「ランドはな、自分の名前が嫌いなんだよ。どうやって調べたか知らないが、あいつは自分でその名を名乗るのも嫌がるし呼ばれるのなんか論外だ」

「…………」

 友の姿をした彼らは黙りこんだ。ラフは「もう一度聞く」とかろうじて木の枝につかまりながら言った。

「あんたたちは何だ? 魔か? 妖か? それとも――」

 ふいに、片方が―― ドミニクの姿をした方がくすりと笑い出した。何かを馬鹿にした風ではけしてなく、人を癒すような雰囲気さえあった。けれど、普段の仏頂面のドミニクとはあまりにも違いすぎて、違和感を感じるとともに不気味でもあった。

「ほら、だから言ったのに。人間は君が思ってる以上に複雑なんだよ」

 からかうように、しかし嫌味を感じさせない声で言いながら、彼はランドールの姿をした方を見た。ランドールによく似た、それでも確実に本人ではないことを伝えてくるそれは、ゆっくりとまばたきをして、そして言った。

「魔の血持て生まれども、妖の瞳持て生まれども、大いなる神の御名においてすべての肉体は水より出でて地に帰りしに」

 ゆっくりと、土に雨が染み込んでいくように静かに、二人の姿が変わっていく。

「我は地を司る天使ツワブキ。この世界を見守る者」

「同じく、水を司る天使スイセン」

 二人とも、男とも女とも言い難く、老人のようにも、年端もいかない少年のようにも見えた。

「人の子よ。何のためにあれを求む? 誰が為にここまで来た? ―― 私利私欲のためならば、我はここを退くわけには行かぬ。去るが良い」

 ラフは、何も答えずに黙っていた。答えに窮するわけでもなく、ただじっと何かを待つようにその身をひそめて、

「………… 来る」

 呟いた瞬間、人間と天使の間を何かがひゅっと閃光のごとく駆け抜けた。それは天使の眼前を横切ったのち、細い木の枝に突き刺さり、熟れた木の実をいくつか地面に落とした。同時にラフが素早く詠唱するとともに木の実が燃え上がり毒々しい色の煙が立ちのぼる。天使たちが怯んだ一瞬の隙に、ラフとベルは頂上へと駆け上がった。

 矢が飛んできた方向へ目をやった水の天使スイセンは射手を認めるなり、ああ、と得心したように微笑んだ。

「なるほど。ちょっと運が悪かったかな」

 そう言う彼に、ランドールとドミニクはそろって眉をひそめた。

「―― なんなんだ、あんたら」

 弓を構えたままランドールが言うと、天使は言った。

「さっき言った通りさ。僕らは、この世界を見守る者」

 飄々とした態度にあからさまに不満気な顔をしたランドールを見るや、天使スイセンはくすりと笑った。

「そんなことを聞いてるんじゃない、って顔だね。困ったな。とりあえずその物騒なものをしまってくれると嬉しいんだけど―― 無理そうだね」

 途端、ランドールとドミニクの足元にあった水たまりが、あろうことか上空に向かって逆巻いた。水流は細く長く伸びていき、あっという間に二人の体を拘束した。

「話、聞いてくれるかな」



 声が聞こえたにもかかわらず、頂上には誰もいなかった。しかし立ち並ぶ樹木の中心に大きな泉のようなものがあって、かすかに生き物の気配を感じる。

「…… 鱗だ。竜の」

 水面に浮かぶそれを見てラフが手に取るが、それはたちまち砕け散った。

「ラフくん!」

 ぱらぱらと落ちていく細かい破片を見つめるラフの後ろで、ベルが焦ったような声を上げた。刹那、どぼん、と激しい音がして自身が水の中に沈められたのがわかった。もがきながら横を見ると、同じようにベルも水中に沈んでいる。

「言ってもわからぬなら、手を下すまで」

 どこかから声が聞こえてくる。ごぼごぼと水面に浮かぶ泡が減り、意識が遠のいた頃、ようやく体が引き上げられる。

「竜はもう、ここにはおらぬよ。彼はたった今、この世界の神の導きでこの世を去った」

 天使ツワブキの口調は淡々としていた。

「不意を突き、卑怯かつ強引な手段となったこと、謝ろう。ほんの二百年ほどだったが、幼い時分から見ていたからか情が湧いてしまってな。せめて死ぬ時くらいは安らかであってほしかったのだ。―― 結局、安らかにとはいかなかったが……」

 天使の話を聞いているのかいないのか、ラフは呼吸を整えて立ち上がった。

「竜の鱗を持ち帰るにはどうすればいい?」

「…… 人の手で持つのは不可能だ。肌の温度が違いすぎる。―― 人でない…… この世界で魔と呼ばれるものになれば話は別かもしれぬが」

「なら、そうなる方法を教えてくれ」

「ラフくん」

 本人も本気では言っていないであろう言葉に一も二もなく食いついたラフを、ベルがいさめるように呼んだ。しかし、ラフは天使を縋るように見つめたまま目を逸らさない。

「なぜ、そこまであれを欲しがる? 例の伝承を知るなら、それがどれだけ重い罪になるかも知っていよう。どんな天罰を下されるかも」

「歓迎だね。正当に罰されるなら、本望だ」

 いくら諭そうとも変わらぬ男の態度に、天使はため息を吐いた。

「人ならざるものとなる術は知らぬ。初めに申したとおり、我はこの世界を見守る者。―― ただ、あれに近い物は知っている。この山から見て西の……」

 その時だった。先ほどと同じ、否、それ以上の悲痛な竜の叫びが、山全体に響き渡った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る