第7話 竜の巣①
(三)竜の巣
先日の魔封じ薬がよほど強い作用をもたらすものだったらしい。弱っている相棒が珍しいのかどこか生き生きとしながら世話という名のちょっかいを出そうとするベルから逃げるようにラフが下宿の部屋を出られた時にはあの一件から丸二日が経過していた。
「よう、魔封じ受けて寝込んだって?」
街に出ると何人かからそんなふうに声をかけられた。ベルが外に出るたび誰かれ構わず言い回っていたに違いないと考えると、ラフのこめかみに青筋が立った。
派遣所に併設されている酒場に顔を出せばまた同じように声をかけられる。ベルから逃れるために特に何も考えず入ってしまったが、もっと落ち着ける場所にすればよかった。が、この街にそんな所があるだろうかという疑問が先立つ。…… ないんだろうな。とりあえずベルのことは後で〆ておこう、と思いつつカウンターの端に腰かけると、奥からニーナが出てきた。
「お疲れさまです、ラフさん。大変だったみたいですね」
彼女の気遣うような声にも、思わず顔が渋くなる。そんなラフの様子に首を傾げつつ、ニーナは封筒を差し出した。
「ラフさん宛てです。今朝、鳥文で届いてましたよ」
見覚えのある印璽に、ラフは封筒を手に取った。封蝋から知った匂いがする。手早く中身を開けて便箋にざっと目を通すと、ラフは再び丁寧に折りたたんで上着のポケットにしまった。
「―― 竜の鱗、か……」
弱っている友人の姿が珍しくてあれこれ世話を焼いたら「死ね」とひとこと言われて治るなり部屋を出ていかれてしまった。
元々、二人部屋のこの部屋をラフが一人で借りていて、そこへベルが転がりこんできた形になる。 お互い別々の仕事がある時の方が多く、部屋に二人揃って同じタイミングでベッドに入るのはまれだ。ベルがぼんやりと狭い隙間を隔ててある相方のベッドを見ていると、誰かが階段を上がってくる音がした。ラフの足音ではない。それから間もなく、部屋の薄い扉が三度、鳴らされる。来客の予定はないが、と疑問に思いつつ、ベルは扉を開ける。
「突然失礼します。八年前に帝国騎士団を辞されたノルベルト=バウアー殿でいらっしゃいますか。わたくし、帝国騎士団第六小隊所属、ジークリンデ=ヘンネフェルトと申します」
女性としてはかなり背が高い部類であろうがベルよりはいくらか低い位置にある双眸が、短く切りそろえられた赤茶色の髪の隙間からじっとこちらを見つめていた。
「…… えーと」
というより、睨んでいると言っても差し支えないほどの鋭い視線に、ベルは少々たじろぎながら扉の枠にもたれた。
「どこでその名前を? その様子じゃ、ヒルデちゃんに聞いたってわけでもなさそうだけど」
「―― 騎士団本部には、過去の団員の記録も残されています。殉職した者や辞任した者もすべて」
「なるほど」
「これくらいのことはご存じのはずですが」
ジークリンデは、眉間に皺を寄せて言った。苛立っているようだが、少し焦っているふうにも見える。
「八年前の、雪山での任務についていくつか聞きたいことがあって――」
「覚えてないな、悪いけど」
「四人も仲間が亡くなったのにですか?」
彼女は団服の内ポケットからメモのようなものを取り出した。
「シャルロッテ=アッセル、ローマン=フレーゲ、リヒャルト=キールストラ、マルセル=マウラー…… アイブラー隊長とあなたを含めたこの六人…… あっ、ちょっと!」
「へえ、ずいぶんよく調べたもんだ」
ベルがメモを取り上げるとすぐさま下から手が伸びてくるが、ベルはそれを腕を上げることでかわした。
「返してください! 返して!」
下から必死に手を伸ばし取り返そうとしてくる彼女を、ベルは軽快な足さばきであしらいながらメモに目を通す。
八年前に亡くなった団員の年齢から出身地から家族構成、恋人や配偶者の有無にいたるまでこれ以上ないほど調べ上げられている。ベルやヒルデガルドから十も離れていそうな、女性と呼ぶにはまだ若い彼女がこれほどの情報を得られるとはとても思えない。妙だ……。
「あっ」
と、その時だった。ジークリンデがよろめいた。ベルは素早く彼女へ手を差し伸べると、首と腰を支え落下の勢いを落としながらベッドの上に下ろした。
「大事なものなら誰にも見せずにしまっておくことだ。人前で出すもんじゃない」
メモを持ったベルの手が服の上に伸びてくると彼女はびくりと体を震わせた。
「ま、隊長殿が教えてくれなかったなら、仕方ないか」
ジークリンデの頬にかっと赤みがさす。彼女がベルの手からメモをひったくるようにして奪い返すと同時に、部屋の扉が開いた。
「…………」
「…………」
「…… あー……」
ベルがこの状況をどう説明すべきか言いよどんでいるうちに、ラフの表情はさあっと冷えたものへと変わっていく。
「えっ、ちょっ――」
相棒を押しのけ、自室への闖入者の腕をつかむと、強引に部屋の外へ押し出した。そして扉をしっかりと閉め鍵までかけ、さらには窓まで封じてしまうと、鬼の形相で同居人を振り返る。
「俺、嫌だって言ったよな。他人に部屋の中に入られるのも、部屋を見られるのも!」
彼にしては珍しく、あからさまに苛立ったような足取りでいまだベッドの上のベルの前まで歩いてくる。
「最初っからずっとそう言ってんのにまだわからないならお前、この部屋から出てけ! 本気だからな、俺は!」
「わーるかったって……」
ベルは謝罪の言葉を口にしながら、言い訳はせずぼりぼりと後頭部をかきむしった。とはいえ、あの様子だと二度目の突撃があってもおかしくないような気がする。
「…… ラフくんどっか行くの」
「お前に関係ない」
激しく憤った様子のまま懐剣やら携帯食料やらを準備する同居人の姿に聞けば、素っ気ない返事が返ってくる。
「仕事?」
「違う。違うし来るな」
「なんでさ。俺とラフくんの仲じゃん、友達じゃん」
「そこまでの仲じゃないし友達でもない。ついてくるな」
竜が棲むと言われる山の麓を、男二人が進んでいた。
「なんでついてくるんだよ」
「心配だからに決まってるだろ」
後ろから鳴りやまない足音にランドールが苛々としながら振り返ると、ドミニクがはっきりと言った。
「今のお前放っておいたら、馬鹿なことしでかしそうだ」
「なんだそれ」
ランドールは吐き捨てるように言った。
「迷惑」
「こっちが迷惑」
「おせっかい」
「こっちのセリフ」
「ひとでなし」
「…………」
ドミニクが黙った。
「………… ごめんな」
長い沈黙の後、そんな言葉が返ってきた。ランドールは何も返さずに、山道を進んでいった。
五百年生きた竜がいるはずの山は、空を見上げてもその姿はない。ただ、彼らを乗せる風だけが時折木と木の間を吹き抜けている。
「竜の鱗ぉ?」
ベルが突風に髪をなびかせながら声を上げた。
「何すんの、そんなもん」
「なんでもいいだろ」
素っ気なく返すラフの後ろで、ベルは一瞬、口ごもった。
「…… 後悔してる? ヨゼフのこと」
「なんで」
「なんでって――」
「俺は殺す気だったよ、最初から。霧魔になってくれてほっとした。人間を殺さなくて済んだから」
ベルは何か言いたそうにしていたが、ふと顔を上げると「げっ」と表情を歪ませた。ラフは突然の相棒の反応に片眉を上げるが、彼の視線の先にある集団を見て舌打ちする。騎士だ。ちょうど山頂へ向かう道中に、小隊が周囲の様子を窺いながら分散している。避けることはできそうにない。
「まずいな」
「なんでいるんだろ……」
「先月の議会で、竜が天然保護動物に制定されたからじゃないか? 密猟者を警戒してるんだろ」
「まさに俺たちじゃん」
「迂回するぞ」
ベルとラフが茂みの陰に身をかがめながら移動を始めると、少し先の茂みに知った顔を見つける。
「…… ランド? ドミニクもいる」
なんで、とその大きな体躯を茂みからはみ出さんばかりに乗り出してくるベルを、ラフがしっ、と唇に指を立てて押さえた。向こうもベルたちと同じように、騎士を警戒しつつ山頂を目指しているように見える。辺りを気にしながら先に進む彼らを追いかけようとラフが静かに足を踏み出すと、二人がぱっと振り向いた。
「なんだ、お前たちか」
足音は出さなかった、他の音だって、一切。ラフはベルと顔を見合わせた。
「お前たちも、竜の鱗を?」
「お前たちもってことは――」
ドミニクに問われてベルが言えば、ランドールが肩をすくめた。
「あの伝承とやらがある限りは密猟者はいなくならないだろうさ」
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