第6話 ユニコーンの角③
ユニコーンがいたのは、村からほど近い森の奥だった。人の生活する気配に引かれて、丘から村を見下ろしていたある夜、彼女と出会った。
不思議な少女だった。生まれて見たこともないであろう生き物を見ても悲鳴ひとつ上げず、嫌悪の顔さえ見せず。言葉を重ねるうち、彼女が病を患っていることを知った。
「この頃は比較的体調は良い方なんだけど、昼間は家に居なさいって兄さんがうるさいから、暇でつい寝てしまうのよ。そうすると今度は夜に眠れなくって」
少女はふと顔を上げ、異形の生物を見て少し笑った。
「あなたも、夜に眠れないからここにいるんでしょう?」
「…… 我々は夜行性だ。日が昇れば眠る。…… そなたを心配する家族のこと、そのように言うものではないだろう。…… 我には身内はおらぬゆえわからぬが」
ユニコーンが言うと、そこへしばらくの沈黙が訪れた。夜風に木の葉が擦れ合う音が響く中、少女は
「重荷なの」
とひとこと口にした。
「母も兄も一生懸命働いてくれてるけど、全然私の治療費には足りてないの。私がいるせいで、兄さんは行き遅れるどころか、一生結婚できない」
多分私も、と付け足す彼女は、どこか自嘲気味に笑った。
ある夕暮れだった。森の中で声がした。
「シュロートさんとこの治療費がずいぶん溜まってるそうじゃないか」
「いやなに、毎度律義に持ってきてくれるもんだからね、少し多めにいただいているというわけさ」
「そりゃ、いい商売だな。それこそ、ユニコーンの角でもなきゃ払いきれないと噂だぞ」
「何度も仕様もないことで呼び出されているんだ。それくらいもらってもよかろう」
渇きに餓えていた。抑えようのない、生理的な衝動だった。
気づいた時には、目のまえの肉塊を骨の髄までしゃぶりつくしていた。枯葉を踏む音に振り返ると、彼女がその場に茫然と立ち尽くしていた。
「怖いか」
ユニコーンは思ったよりも冷静だった。
「それが我々に対する正常な反応だ。―― もう、ここへは来るな。村の中で、まっとうな人として暮らせ」
それだけ言って、振り返ることはしなかった。
「…… 馬鹿なことをした。あんな姿になる運命だったなら、あんな男より、彼女をこの角で刺し、この手で喰らって、我が血肉にしたかった」
「―― あんな姿?」
ベルが問いかけるとユニコーンはわずかに笑んだ、気がした。
「過ぎたことなれば、同じこと。―― 我はもう行く。ここまで歩いてくるのは、老体には重すぎた」
ではな、とユニコーンが去っていく。
「あんな姿―― あんな姿か」
「…… ドミニク」
皮肉っぽく笑みを浮かべながら言ったドミニクを、ランドールが制した。
「なあ、ベル。あいつさ、前に」
「言うな、ドミニク!」
友の声にドミニクはためらう様子もなく続けた。
「ランドを殺そうとした。―― ほんの、会話のはずみで。言い争いになって、馬乗りになって首を……」
「未遂だ! だって……」
「俺がいなきゃ死んでた。身内を平気で殺すような奴だぞ。まともな人間のすることじゃない。治らないんだよ。ああいう、子どもの時に植え付けられたようなもんは、一生」
「お前がそう思い込みたいだけだろう! お前は最初っから、ヨゼフのことが気に入らなかったんだから」
「それを言うなら、お前はあいつがやってないって思い込みたいだけだ。あいつの悲愴めいた話を鵜呑みにしてたんだもんな」
「―― 落ち着けよ。ふたりとも」
言い争うランドールとドミニクを引き剝がしながら、ベルは考えを巡らせた。確かに、霧魔に喰われたのだとしたら骨ひとつ残らないのだから、ユニコーンの『あんな姿』という言葉はおかしい。
「まずは確認だろ。憶測だけで話したって仕方ない。…… 確かに、ドミニクの言う通りヨゼフが行方不明事件の犯人だったら辻褄は合うけど――」
でも、じゃあ死体はどこに?
「ほら、ベルの方が冷静だ」
ドミニクが勝ち誇ったように言った。
「なあ、俺が本当にヨゼフを助けてやる話をするためだけにここへ誘ったと思うのか?」
ランドールはさっと蒼褪めた。
「駄目だ。そんなの駄目だ。仲間だぞ」
「仲間だから、せめて俺たちで始末をつけようと思ってるんだろ。殺さないにしても、ヨゼフはここで切る」
「…… っ」
唇を嚙みしめるランドールの肩に、ベルは手を置いた。
「ともかく、いったん街に戻ろう。真偽を本人なり周囲なりに確かめて、処遇はそれから決めればいい」
扉が開閉する音がして、ラフはゆっくりと目を開けた。目を覚ましても逃げられないようにだろう、両手両足が縄で縛られているうえに、猿ぐつわまでされている。さっき嗅がされたのは魔力を封じるための薬だろうが、用意周到なことだなと思いつつ腕を動かしてみる。そんなに時間はかけずとも外せそうだ。武器は奪われている。周囲を見渡すも武器のようなものは見当たらない。扉の先に見えるかまど付近まで行けばナイフくらいはありそうだが、
あいにくそちらは人の気配がして安易に近づけそうにない。魔封じはまだ効いている……。
「あら、解いちゃったんですか? せっかく彼が縛っておいてくれたのに」
「―― ああ。緩かったもんで」
「もう一度縛られてくれます? この頃お腹が空いて、さっきの食事だけじゃ足りないんです」
「大変だな、そりゃ。…… まあ、巨人族が絶滅したのも食糧不足かららしいから、仕方ないんじゃないか?」
「…… それ、私に死ねって言ってます?」
「…… 悪いけど」
答えるなり、ステラがその手に持っていた包丁を突き出した。ラフはすんでのところで避けると、再び襲ってくる刃を近くにあった桶を使って受け流した。中に入っていた水が床に飛び散る。それを利用してステラを転ばせながら、積まれた木材を手にし振りかぶり―― そこでラフは動きを止めた。
瞬間、起き上がりざまにステラがラフのみぞおちを蹴り飛ばす。
「―― ぐっ」
およそ女性とは思えない力にラフはうめきを上げて倒れ込んだ。包丁を拾い上げた彼女が再び襲い掛かってくる。
「この通りのはずだけど……」
ベルがランドールとドミニクは細い路地に入っていくと、ちょうど反対側からヨゼフが歩いてくるところだった。
「おかえり。ユニコーンの角は見つかったの?」
「…… ラフくんを知らないか?」
彼の問いかけを無視してベルが問うと、ヨゼフはさあと答えた。
「知らないな。どうして?」
「…………」
ベルが少し考え込んだその時、どこかから声が聞こえた。
「―― ベル! ベルっ!」
「ラフくん?」
「無駄ですよ。万が一あなたの仲間が来ても彼がここへは入れないし、あなたの相棒はともかく、彼の仲間は彼に無理強いしないので」
残念でしたね、と言うステラに、ラフは思わず笑みを浮かべた。
「俺があんたらの家の周りを歩いてたのは、別に正体を暴くためだけじゃない。―― 気づかないか? 自分の家の変化に」
言われて、ステラはようやく辺りを見回した。どこからともなく湧いた炎が、家を蹂躙し始めている。
「結界術の応用だから、術者が中にいないと発動できないんだが、あんたの恋人のおかげで入れたよ。魔力を封じられるのは大方予測がついたから、あとは相方が俺の名前を呼ぶのをトリガーにして術が発動するよう術式をかけておいた」
「…… 待ってたんですか? 彼が家を出るのを」
「個人的には面倒だからまとめて燃やそうと思ったけど、でも奴なら外を警戒して出ていくだろうとは思ってたよ」
「彼のことも殺すんですか?」
「そっちの方が後々楽そうだけど、多分止められるだろうな」
「…… 最期にもうひとついいですか?」
ステラの手から包丁が音を立てて滑り落ちる。
「もし、あなたの相棒がここへ来なかったら、どうするつもりだったんですか?」
「…… さあ、考えてなかったな」
瞬間、家が一気に燃え盛った。
相棒の声がしてから間もなく、家が一瞬にして炎の塊となって燃え上がった。不思議なことに、周囲の住宅から草木に至るまで、炎が燃え移る気配はまるでない。
「ステラ、ステラっ――!」
取り乱して火の海にその身を投じようとするヨゼフをランドールとドミニクが押さえている。周囲には火の粉ひとつ降りかかっていないとはいえ、たった一軒、赤々と燃え上がる家の姿に人間が少しずつ集まってきた頃、みるみるうちに火は小さくなっていった。火が完全に消える前に、ヨゼフは友の手を振りほどいて走り出した。その表情は、哀しみでも、怒りですら、もはやなく。確実に人ではない形相で、ラフに襲い掛かった。
一瞬だった。
ヨゼフの状態から自身のすべきことを悟ると、すぐさまラフは、先ほど拾った包丁を振り上げ、彼の首に突き立てた。
「あ……」
誰かのか細く漏れる声がした。ラフはかつては人間だったそれを手放しながら、立ち上がった。去り際、ドミニクがありがとう、と囁いてくるのには答えず、ラフはその場を去った。
「隊長」
ヒルデガルドが書類作業をひと段落させて駐屯基地の食堂に入ると、背の高い女性騎士が声をかけてきた。
「ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか」
「ジークリンデか」
構わないと承諾して向かいの席に腰かけると、こちらから問いかけるより先に彼女の方が口を開いた。
「昼間にお話しされていた方、以前騎士団にいたと聞きました」
唐突な話題に眉をひそめつつ、ヒルデガルドはああ、と頷いた。
「それが?」
「八年前の、雪山での任務にも彼がいたとか」
ヒルデガルドは食事の手を止め、部下の探るような視線を厳しく見つめ返した。
「ジークリンデ」
数少ない女性の仲間の名を口にすると、ヒルデガルドは声のトーンを周りに聞こえないほどに落とした。
「それ以上詮索するのはよせ。己が身を―― 己と家名を大切に思うのなら、これ以上踏み込むな」
きっぱりと言われて、ジークリンデはそれきり口を閉ざしたのだった。
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