第5話 ユニコーンの角②


 ヨゼフは数年前にこの街にやってきた。とは言ってもここからほど近い村に住んでおり、その村は霧魔に壊滅させられてもう誰もいない。彼の家族も皆霧魔に喰われてしまって、天涯孤独となった彼はそれからこの街で同年代の男たちとギルドを組んで、派遣所から細々した仕事を請け負い生計を立てている。

 近頃、派遣所で受付をしているステラと仲が良い。最近派遣所で働き始めたばかりで慣れないことに戸惑う彼女と、世話焼きの彼とが仲を深めるのはすぐで、お似合いだと言って背中を押した者がベルやラフの周りにも何人かいた。

 ラフは先ほど目を通したばかりの調書を思い出しながらヨゼフの背中を気づかれないよう静かに追った。彼は徐々に街の外れへと進んでいく。途中、年配の女性が彼に声をかけ、しばらく話し込んだ。ヨゼフは日頃から老人や子ども、かよわい女性の困りごとを引き受けているので、こうして声をかけられ礼を言われているところを見るのは珍しくない。

 彼は女性と別れてしばらく歩くと、ふいにぱっと後ろを振り返った。辺りをきょろきょろと見回した後、細い路地の方へ曲がって古い家に入っていった。

 ラフは家の反対側に入り込み、窓から中を覗き込んだ。

 ステラがいる。家に入っていったヨゼフをにこやかに出迎えて、彼が心配していたほど具合が悪いようには見えない。

「…………」

 二人はしばらくの間、抱き合ったり何事か囁きあったり、互いの唇を吸ったりしていた。―― と、愛し合う二人の邪魔をするように、誰かがせわしなく家の扉を叩いた。

「おい、いるんだろ!」

 ヨゼフはすぐに扉を開けた。ステラを後ろへやって、何か言い合いをしている。穏やかではなさそうだ。ともすれば、訪問してきた、体格のいい男の方がヨゼフたちを脅迫しているようにすら見える。話し声が聞こえないので、もう少し近くに寄ろうか、ラフがそう考えるとともに足を動かそうとした、そのときだった。

「うるさいうるさいうるさい!」

 男が視線を逸らした一瞬の隙に、ヨゼフが声を張り上げながら扉の脇に立てかけてあった斧を男の頭めがけて振り下ろした。

「何も知らないくせに……! 僕たちのことなんか、知ろうともしなかったくせに……!」

 男が動かなくなった後も幾度も斧を振り下ろし続けてから、ヨゼフははっと気がついたように手を止めた。

「あ…… ああ…… どうしよう、僕、また…………」

 自分の犯したことを目の前にして茫然とするヨゼフの横で起きた出来事に、ラフは目を見張った。後ろでその様子を見つめていたステラが、顔の忠臣からぱかりと割れた。そこからずるりと這い出た何かが、動かなくなった男にしゃぶりついた。ヨゼフがぼうっと空を見つめているそばで、霧魔は淡々とただ目の前にある肉塊を片付けていく。そうしてすっかり片付けてしまうと、静かに女の中へ戻った。

「―― あれ、今、何の話してたっけ……」

 ヨゼフがはっと我に返ったように言うと、隣でステラは何事もなかったかのように微笑んだ。

「私の様子を見に来てくれたんでしょう?」

「ああ、うん、そう。そうだったね」

「そんなに心配しないでって、いつも言ってるのに」

「好きでやってるんだ」

 二人はそんなやりとりを交わしながら、家の奥へと入っていった。



「ステラちゃん? ああ、最近派遣所で働き始めた子だろ?」

「大人しいけど、いい子だよな。街ですれ違うといつも挨拶してくれるよ」

 ランドールとドミニクが言って、互いに頷きあった。

 ステラはこの街に来たばかりなのに、ヨゼフとずいぶん親しげだ。彼が困っている人を放っておけない質だから、というのも理由としてあるのかもしれないが、ヨゼフには体の弱い妹がいたから、彼女と妹を無意識に重ねてしまっているのだろうか?

「………… ん?」

 二人について歩いていたベルはふと気づいて、辺りを見回した。

「ユニコーンのいる森はこっちじゃないだろ。―― ランド?」

 ランドールとドミニク、二人は無言で森への道を外れると、見晴らしの良い丘の方へと上がっていった。丘の下には荒廃した村が広がっている。

「…… 綺麗な村だった」

 ヨゼフのいた村だ。人一人どころか、生き物の姿すら見つからない。

 ランドールはぽつりと溢すと、かつて村があった場所を見つめたまま言った。

「任務、あいつのことなんだろう」

 ベルは少しばかりの沈黙ののち、

「うん、そうだよ」

と答えた。

「殺すのか?」

「まだわからない。今ラフくんが調べてるから、結果次第になるかな」

 ランドールはそうか、と口にするとまた村に視線を落として黙り込んだ。

「お前らが所長になんて言われて引き受けた任務か知らないけど、俺たちあいつにここに連れてきて事情を聞くつもりだったんだ」

 来なかったけど、とドミニクがどこかやりきれないながらもどこか、冷淡な様子で言った。

「ここのところ、あいつの動向がおかしいのは皆知ってたし、ランドだって何度も警告してた。…… それでも変わらなかったんだ。あいつも覚悟くらいしてるだろう」

「ってことは……」

「今日の夜が期限なんだ。俺達がヨゼフの潔白を証明できなきゃ、あいつはギルド連合の規則に則って裁かれる。…… せめて騎士に渡さないでおいてくれと頼み込むくらいしか、俺らにはできなかった」

 ベルは黙った。二人の友が、彼らの友のかつての故郷を見下ろす姿を、ただじっと見つめていた。

 ―― と、その時だった。にわかに森の中がざわめいた。不穏を感じて、ではおそらくなく、けれど確かに、森は普段はない気配を感じ取って震えていた。

 ベルは森を振り返り、静かに長剣の柄に手をやった。後ろの二人もそれぞれ武器に手を置くが、ベル同様、身に迫るような危険を感じられないのだろう、手をかけたきり、構えることはしない。

 三人が周囲に気を配るなか、はたしてそれは姿を現した。

 大きな、けれどしなやかなカーブを描いた身体は生き物としては不思議なほど白く、背中を流れるたてがみは金でも銀でもない、例えるなら月の光のような色をしていた。額から、馬面と一言で言い切るにはあまりにも美しい輪郭の中にある、たてがみと同じ色合いの瞳が、三人の向こうにある寂れた景色を見るやすっと細められた。

「そなたたちは人間か?」

 ぼんやりしていると、心を奪われそうですらあった。

「…… あんたは?」

 やっとのことでベルが問うと、彼は一瞬、何かを憂うような顔を見せた。

「我は、―― 我は、神の遺作。一角獣と呼ばれた者」

 その者の一挙手一投足のあまりの美しさに視線を逸らせずにいる彼らに、一角獣は言った。

「ユニコーンといった方が、通りが良いか」



 ステラもヨゼフも、完全に黒だ。ステラは霧魔だから始末するとして、ヨゼフは? 見たままを報告するなら逃げられない。最悪騎士団に捕まって処刑される。最低でも、ギルド連合本部で捕らえて牢に入れることになる。ランドールやドミニクは悲しむかもしれない。ラフの知ったことじゃないが、この先もこの街でベルと一緒に暮らしていく以上、確執や軋轢が生まれると面倒だ。どうにか、ヨゼフの目を盗んでステラを始末し、ヨゼフをランドールたちの手に渡すことはできないだろうか。

 ラフは家の周りを注意深く観察しながらぐるりと一周した。寝室らしき場所が見える窓を覗くと、ステラが一人でいた。ヨゼフは別の部屋か、あるいはどこかに出かけたのか――。そこまで考えたところで、後ろから強い衝撃が加わった。頭の中がぐらぐらと揺れ、霞む視界の中膝をつくと同時に、髪を掴まれ、口に何かが注ぎ込まれる。

「―― ッ」

 そしてそのまま、ラフは地面に体を横たえた。




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