第3話 エルフの棲み処③
妹との実力差はほとんどなかった。実際、単純な能力の差では判断が難しくて、次期歌い手を決めたのは一座の中での投票だった。
結果は途中まで半々で、当時の座長の一票で決まるという時に、座長である父は私の方に集まった票の束を払いのけて、言った。
「お前はもっと、大差をつけて勝たなきゃならなかった。こうなった時点でお前の負けだ」
当然だと思った。
悔しかった。
歌には、人生のすべてを賭けてきたから。
許せなかった。
次代の一座を担う者が決まった途端に手のひらを返す団員も、座長が亡くなってすぐ見計らったようにアメリアと一緒になったディルクも。
それでも、まだ歌が好きだったし、ほどなくして生まれた姪のエリーゼも彼とアメリアに似てかわいかった。
そのころまではまだ我慢ができた。
ディルクは大胆に一座の改革をしはじめた。ギルドに媚を売って、そのために―― ひいては少ない支出で多くの収入を得るために、昔から一座を盛り上げてくれていた団員を切った。
絵師に肖像画なんか頼んで、見目のいい団員のそれを売りさばいた。アメリアにまでそれを強要した。
奴の手が、エリーゼに及ぶまではまだよかった。そもそも奴は日頃から娘である彼女に対して冷たく、のけ者にし、怒鳴りつけることさえあった。実父に愛されないエリーゼを哀れに思うと同時に、ディルクに強い憎しみを感じはじめた頃だった。
奴が、娘をどこかに売り飛ばそうとしていることがわかった。
許せなかった。彼のすべてが。かつて私を捨て、アメリアを選んだ彼が、あんなにかわいい娘を捨てようとしていることが。
父の遺志を、一座の歴史をないがしろにしていることが。許せない、許せない、許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許さない許せない許せない許せない許せない許せない許せない…………
びちゃびちゃと血の滴る音が響き渡る街のはずれにある林の中で、ベルは足を止めた。
「探しましたよ」
座長だったものは、もう単なる肉塊と化していた。
「特定は早い段階で済んだんですけどね。思わぬ足止めを喰らってしまって」
霧魔は、かつて想い人だったはずの男の血肉を一心に喰らっている。
「座長さんはもとは一座の人じゃなかったんですね。ギルド連合に加盟する件にしたって、良くも悪くも考え方が違って一座と馴染めなかった。…… 団員たちは言っていましたよ。歌い手の夫というだけで座長に成り上がって威張り散らすような男じゃなく、あなたが長になった方がいいと…… 前座長が老いてから実質一座を率いていたのはあなただからと」
ベルの頬に数滴、人の血と人のではないそれが返り血となって飛んだ。
「…… もう、聞こえないか」
林をでて街に戻ると、ちょうどラフが街に戻ってきたところだった。
「遅いよ、ラフくん、もう全部終わっちゃったよ?」
「悪い、ちょっと寄り道してた。一個確認したくて」
話しつつ歩いていると、反対側から子どもを連れた女性が歩いてきた。連れられているのはエリーゼだ。
「違ったらすみません、あの……」
「あ、もしかして――」
ためらいがちに女性が尋ねてきて、ベルが反応すると彼女はええ、そうです、と顔をほころばせた。
「喉が治ったんです。きっと夫があれこれ手を尽くしてくれたおかげですわ。夫に報告してお礼を言いたいんです。夫を知りませんか?」
ベルは、確認するように「アメリアさん」と口にした。
「たったさっき、俺たちも任務を完了したところで、報告に行くところだったんです」
「それじゃあ……」
「ええ、もう魔物に怯えて夜を過ごすことはありませんよ。安心してください」
ベルが言うなり、アメリアはそんな、と口を覆った。
「いったい誰が、魔に染まっていたんですか? 私の一座の中の、いったい誰が……」
「アメリアさん」
ベルは静かに言った。
「俺は、ただ魔物としか言っていませんよ。霧魔だなんて言ってないし、まして一座の中になんて一言も」
アメリアは黙った。それから、娘を広場で遊んでくるように促し、再びベルたちに向き直った。
「騎士団に突き出しますか? 私のこと」
彼女の問いかけに、ベルはいいえ、と答えた。
「義務も証拠もないので。騎士は嫌いだし」
「そう。よかった」
胸をなでおろすアメリアに、今度はラフが口を開く。
「エルフの呪いなんて、最初からなかったんですね。あなたは喉を痛めてなんかなくて、あるとしたら、そう、加護とか祝福の方…… 推測ですが、初代歌い手のロジーナの頃からそれがあって…… だからあなたは、あの森であの怪物に遭遇しても擦り傷程度で済んだ」
「あら、わざわざ調べに行ってくれたんですね。もしかしておじいちゃんに会いましたか? 喉を傷めたふりなんて子ども騙しみたいで通用するか不安でしたけど、彼が目標とする資金が集まるまでに間に合ってよかった。彼、エリーゼが歌い手に向かないだのと文句をつけて施設に入れようとしてたんです。喉が弱いのなんて、これからの娘の頑張り次第でどうとでもなるのに、大事な娘を手放そうとするなんて、本当にありえない。そう思いません?」
「…… 思いません。が、他人の決めたことに口を出す気もありません」
ベルが答えると、アメリアはそうですか、と冷たく言った。
「こっちも、他人の意見なんてどうでもいいですけど。私はこれからも、私の一座を守っていくので。姉の分まで」
派遣所に戻る途中、ラフがふいにくっと笑って、ベルは怪訝そうに首を傾げた。
「何」
ラフはいや、と口にしてから
「他人の決めたことに…… ねぇ。いつの間に趣旨替えしたのかと思ってね」
からかうように言った。相方の口調に、ベルはうるさいなと眉をしかめる。
「ヘラさんとこに行く時に、あの子に引き留められて。どうせもう間に合わないから、二人の邪魔をしないでやってくれって」
「やっぱり元々姉妹で計画してたんだろうな」
うん、と相槌を打ちながらベルは続けた。だからヘラは狂い、魔に浸食されたのかもしれない。
「思わずさ、いいのって聞いちゃったんだよ。そしたら、それでも歌が好きだからいいって。…… そんなふうに言われたら、こっちにはもう何もできないだろ」
「…………」
どこか遠くを見つめて言うベルの横顔を、ラフはじっと見つめた。
「人騙して金巻き上げてた奴が何言ってんだよ」
「あれは騙していい人だったじゃん。ていうか巻き上げてはないし」
「騙していいっていうか…… まあ、そうだな」
「悪い奴にしか噓つかないよ」
「初耳だな」
ラフが言うと、ベルは
「ラフくんには嘘ついたことないだろ?」
と本気か冗談かわからない口調で言った。
「そんなの確かめようないし…… ていうか嘘つかれてもいいし」
「冷たいなぁ」
ラフは微苦笑を浮かべつつ街を見渡した。すっかり日が暮れ街は朱く染まっている。しばしの間沈黙が訪れたのち、ラフは口を開く。
「じゃあ、お前は俺に真実だけを話してくれるわけだ。たとえそれで、俺やお前が破滅に追いやられたとしても」
先ほどの自身と同じように本気か冗談かわからない様子の相方の言葉にベルは少し黙った後、
「いいよ、友達だろ」
と言った。
「…… 別に友達ではない」
「ひどいな」
リウノは耳を澄ませていた。知った男の笑い声と、祖父がいつも聞いていた女性の歌声が聞こえてくる。
「…… ああ」
歌に耳を傾けていてふと理解して、リウノは目を開いた。
「―― ノ、リウノったら、おい!」
木の下から呼ばれて、リウノは枝を手に地面に降りた。シーニャは呆れ顔でため息を漏らした。
「リウノのじいちゃんの棺、とっくに流されちゃったぞ。何してんだよ、こんなとこで」
「じいちゃんが好きだった木の枝、一緒に流そうと思って。じいちゃん、花とかあまり好きじゃないし」
「木の枝って」
幼馴染の言葉に、シーニャは言った。
「花が咲いてる枝ならともかく、そんなぼうきれみたいの流すなんて」
「あ」
「どうした?」
不意に声を上げた友にシーニャが尋ねる傍ら、リウノが耳をそばだてた。
「歌が終わった」
「歌? 歌ってお前、まさか……」
途端に険しい顔をする彼に、リウノが振り返る。
「人間の歌なんか聞いてもろくなことないからやめろって、シーニャも思う?」
問いかけられて、シーニャは言葉を詰まらせる。
「…… 思うけど、お前がどんな気持ちで聞いてるかだいたいわかってるつもりだから言わねーよ」
「言ってんじゃん」
もう、と嘆息しながらリウノは枝を川下へと流した。その様子を見ながらシーニャはだってと口を開く。
「人間だぞ。実際、リウノのじいちゃんの話じゃ、男が歌い手を突き飛ばして魔物に……」
川上から歌が聞こえてくる。弔いの歌だ。仲間たちの歌声に、リウノは行こうと友を促した。
「おい、リウノ。聞いて――」
「知らないよ、向こうの詳しい事情なんか。皆も知らないでしょ。…… 知ろうとしなかったでしょ」
めずらしくはっきりした口調の彼に、シーニャは黙った。
「同じだよ。人も、エルフも」
暮れなずむ夕日のなか、二人は歌声のする方へ、エルフの棲み処へ帰っていった。
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