第13話 雨はやんで

「私」


 もっと近くであなたと話したい。

 あなたに抱きしめられたい。


 本当はそう思っていたのに。


 来てほしいとは言えなくて。

 あなたに来てほしいのに言えない。


 そのあとが取り返しがつかない気がしてる。


 だめだ。

 そんな恋愛してる余裕はないはずだよ。


 まず定職につくこと。


 それ以外は優先させるべきじゃない。


「ごめんなさい」

「……すいません。そうですよね。迷惑ですよね。でも俺、ちりこさんのそばで、ちりこさんの力になりたいと思ってます」


 ――ちりこさんの役に立ちたい。


 勝也はちりこのためになにかしてやりたいと純粋に思うのだ。


 戸惑う。

 好意は嬉しいし、すごくドキドキする。

 でも勝也先生と恋を始めちゃいけない気がした。


 ううん。

 もう恋は始まってる。


 だけど。

 私に遊びとか軽い恋は無理だ。


 きっと夢中になってしまう。

 のめりこんでしまう。


 これ以上は深入りしちゃいけないんだ。


 たとえ、籍を抜いてあの夫と別れたとしても。


 心に罪悪感が広がる。過ちをおかしたような気持ちがある。

 私は母親としての自分を優先させたかった。


「ありがとう。そんな風に言ってくれる男の人は初めてです」

「……話をするだけでも駄目ですか? 何かあったら電話して下さい。もし、もしもちりこさんがどうしようもなく辛くなったら、俺に話して下さい」


 あんなに激しかった雨は嘘のようにやんでいた。


 真実ほんとうはどうすれば良かったのかは自分では分からない。

 自分が子を持つ母でもなく、独り身だったら勢いのまま、勝也先生の胸に飛び込みたかったと願うのだろう。


 勝也先生に好きだと言われて、頼って欲しいと言われて。

 ――そして、抱きしめたいと言われて。

 寒かった冷たく寂しい心があたたかくなった。


 私はどうしてしまったんだろう。


 向かいのアパートに勝也先生はすぐそばにいるというのに、急に遠くに感じた。


 自分で遠ざけておいて、こんな気持ちになるなんて。


 宙ぶらりんに出来なかった。


 勝也先生の気持ちを弄ぶような、そんなこと出来なかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る