第12話 走りだしそうな想い

 私はときめいていた。

 まぎれもなく。

 目の前に見える彼と電話越しに話していること――

 不思議な感じだ。

 姿はそこにある。

 声は、受話器越しで。


「もしもし」


 思わず私の声が震えた。


「もしもし、ちりこさん。……良かった。電話してくれて嬉しいです。俺、嫌われたかと思いました」

「嫌うなんて。そっ、その……お家が近いんですね」


 前に私の泣いている姿を見たって。

 恥ずかしい。

 ちっとも気づかなかった。

 こんなに勝也先生が近くに住んでいただなんて。


 もう、変な格好できないな。

 これからゴミ出し一つでも洋服のチョイスすら気が抜けない、なんて思ってる。


 想いが走りだしそうな、予感がちりこに駆け巡る。


「勝也先生、洗濯物濡れちゃいましたね」

「ああ。はははっ。でも、おかげでこうしてちりこさんと話せてるから良いやって思います」


 勝也先生はベランダで傘をさしている。

 ワタシを見テイル。


「ちりこさん、お子さん達は空手教室を辞めちゃったんですね?」


 旦那からの生活費だけでは空手教室の月謝が払えず、辞めることにしたのだ。


 二人分の幼稚園代もきつい。

 ちりこは独身時代に貯めていた少しばかりの貯金を取り崩していた。


 前に学生時代の友達が離婚した時、「夫婦でもへそくりすべきだよ。なにがあるか分からないから」って言っていたのがなぜだが忘れられず、旦那には貯金のことは黙っていた。


 話さなくてつくづく良かった。


 なにか一大事があったら使おうと思っていたのだ。


 役に立っている。

 貯金は微々たるものであっても、精神的に余裕をくれている。


「俺があんなことしたから空手教室を辞めたのかと思いました。突然すいませんでした」

「えっ! ……違うの。恥ずかしいんだけどうち夫と別居してるんです。養育費だけじゃなかなか苦しくて。なのに私、まだ働き口がなかなか見つからないから。生活費を切り詰めなくちゃならなくって、空手教室を辞めたの。子供達は空手に通うのも、勝也先生も好きだったんです。あっ! ごめんなさい、こんな重たい話を仲良くないのにしてしまって……」


 ちりこは慌てふためく。


 そこでさらに雨が激しくなった。


 不意に抱きしめられたあの場面を思い出して、ちりこは恥ずかしくなる。

 勝也先生の腕の中の温かさ。

 抱きしめてくれたあの感覚を思い出していた。


「良いんです。俺はちりこさんが話してくれて嬉しい。ちりこさん、俺なんかで良ければ話、いくらでも聞きますよ」

 

 ちりこは勝也に今のちりこたちの事情を手短に話した。


 ゴロゴロと雷が鳴っている。


 時々ピシャッと稲光が光ってびっくりする。


 どしゃ降りの雨のなか、ひときわ大きく雷が鳴った。


「キャアッ!」


 ちりこは思わず叫んでしまった。


「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫です。ごめんなさい。臆病で」


 しばらく勝也先生が押し黙って、すうぅっと一瞬息を吸った。


「……あなたに直接会いたい」

「えっ?」

「駄目ですか?」


 ちりこの胸にとくんと鼓動が高鳴る。


「俺はあなたをまたこの腕に抱きしめたい」


 ちりこの体に痺れた様な甘さが広がっていた。

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