第11話 偶然

 ――分かってる。


 収入がちゃんと安定していないのに離婚すべきじゃないのは充分にわかっている。


 だけど早く名字変えたい。


 裏切った夫から離れたい。


 もう二度とかかわりたくない。


 あんな男を選んだアンタが悪いと言われるかもしれないけれど、……やっぱり好きだったのだ。

 私は、慶一郎に恋してた。


 私を好きだと言ってくれる慶一郎が、これでも好きだったのだ。

 現在はこんな関係になってしまったけれど。

 慶一郎の心はとっくのとうに、まさひこの方に行ってしまっているのだと分かったのに。


 男を見る目がないかもしれない。

 だけど、私のことを他に誰が好きになってくれたんだろうか。


 慶一郎以外、いなかった。


 それにだ。


 私と慶一郎との子どもが二人も生まれてきてくれたことは、本当に嬉しくて。

 子ども達がいない世界は考えられない。存在を否定するようなことは考えられない。

 本性はズルくて自分の事しか考えてない最低な男だったけど。

 私には、あんな慶一郎でも必要だったのだ。

 必要じゃなくなっただけ。

 お互い。


 そう割り切ろうとした、けど。


「ぐちゃぐちゃだ。かなしい。くやしい……寂しい。虚しい、ムカつく。腹立つ!」


 ご近所に聞こえたらと気になり、控えめに叫んでみた。


「かわいそう」

「辛かったね」


 自分で声に出して慰めてみた。


 私はどこに面接に行っても正社員ではなかなか雇ってはもらえない。

 社員登用有りのパートとかを狙っていくしかない。


 慶一郎には三人目の子供が生まれるのに、私との子供ではない。


 無責任だ。

 最悪最低だ。


 まだ離婚もしてないのに。

 

 子供たちに会いたいとも言わない。

 父親として最低じゃんか。


 現実問題から、逃げたい気持ち。

 弱気なダメな自分。


 いくら心で罵しっても、現実は私はなにも救われない。


 惨めなだけだ。

 

 頭の中もぐちゃぐちゃで。

 考えがまとまらない。


 心もザワザワしている。


 急にザーッと大粒の雨が降ってきた。

 追い打ちをかけるように。




 ちりこは、干していた布団を慌てて取り込みにベランダに出た。


「セーフ」


 ちょっと濡れてしまったが、これぐらいなら扇風機で乾きそうだ。


「夕方から降るって言ってたのに」


 まあ、大丈夫。

 乾かせば良いんだから。


 ふと、窓を閉めようと視線を上げた時だ。

 ちりこはドキッとした。


「あっ」


 その視線に気付く。


 こんなことって。


「勝也先生」


 ちりこの視線の先に。


 瞳に映る人――


 家の向かいのアパートのベランダに、勝也がいた。

 

 勝也の方も、ちりこに気付いていた。


 じっとこっちを見ている。


 勝也の手から洗濯物が落ちた。


 雨に濡れているのにかまわず、切なげにちりこを見ている。


『電話してください』


 勝也は「電話して」とジェスチャーをしながら口を動かした。


 自分の声は聞こえるはずはないけれど、ちりこに伝わって欲しい。


 ――声が聞きたい。


 ちりこは電話を慌てて取りに行った。


(勝也先生に、……本当に電話しても良いの?)


 そう心に問いかけながら。



 


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