病院にさえ行けないわたし
萩野 最段
病院にさえいけないわたし
大人になると怖いものが増えていくらしい。
仕事のミス。上司からの呼び出し。あまり仲良くもなかった隣のクラスの人からの久しぶりの連絡。居酒屋のキャッチ。ナンパ。結婚。老後の年金問題。
怖いものと括るには少し難しいそれは、恐らく不安から来るものなのだと思う。
そんな不安に襲われる日々で、私は最近怖いものが増えた。
電車だ。満員だったりガラガラだったり、各駅だったり、急行だったり。
別に電車自体は怖いものではない。見たって逃げ出したくなるわけでもないし、昔は意味もなくずっと乗っているのが好きだったから、本当に大人になってから苦手になった。
乗っているだけで息切れや、胸がドキドキと不安そうに鳴る。それから、何故かお腹が痛くなり、トイレに駆け込みたくなる気持ちになる。実際にお腹を壊していることもあれば、なんでもない時もある。このせいで、通勤が辛くてたまらなくなった。
ただ、帰りの電車は比較的に大丈夫な時が多い。それが不思議でたまらなく、そして、きっと会社に行きたくないだけなんだろうなあという言い訳になった。
仕事には行きたくない。それよりも電車の方が怖い。
ぼんやりとコンビニで買ったガパオライスをオフィスの自席で食べながら、時々パソコンを眺めては少し仕事をする。昼休みではなく、ほとんどご飯とお仕事のお時間と言った感じだが、それよりも家に帰るのが遅くなる方が嫌な私は、つい昼休みに甘えることができなかった。
今日は上司からの引き留めもなく、定時から十五分過ぎてから帰ることができた。嬉しい、これだけで嬉しいとヒールを鳴らしながら帰る道。突然、生きてて楽しいのだろうかと考えだしてしまった。
ビルのガラスに映る自分を見ると、これが私の夢だったっけと首を傾げてしまう。心に穴が空いたような感覚を胸に、苦手な電車に乗る。今日の帰りは大丈夫だった。
ソワソワとした不安感と、落ち着かない気持ちはあったが、なんとか片道三十分の電車を乗り越えられた。
電車に乗っている間、祈るような気持ちでいつも居た。今日は何もありませんように。電車が怖い乗り物じゃないと早く分かりますように。怖いと思うことがもう増えませんように。
ビルに反射した自分を見たせいか、悲しくて寂しくて仕方がなかったため、今日は駅ビルの高級スーパーで総菜を買って帰った。それでも、割引のシールが貼っているものを手に取ってしまう自分が恨めしかったが、お得な気持ちは少しだけ自分を元気にさせる。
お酒もひと缶だけ。おしゃれなカタカナで名づけられたカクテルを買って、甘えた気持ちで甘いスイーツも買う。これにも割引シールが付いているのだから許してほしい。
こんな瞬間は幸せだった。大人になってよかったと思う瞬間だった。
好きなものを食べて、お酒が飲めて、帰ったらひとりの時間があって、誰も片付けろとも怒らない。
もちろん、帰ったら風呂が沸いているわけでも、食事が用意されている訳ではないが、今はそんなことは考えない。帰りの電車が大丈夫だったから、今日は良い日なのだ。
ただいま、と言っても返事がない家に帰り、買ったお惣菜を温めている間に着ていた服を全部脱いで部屋着に着替える。ストッキング、こいつが私は苦手だ。
開放感に溢れた優しい色のスウェットに着替えて、サラダと生ハムとスイーツを机に並べる。チンとなったレンジから出てきたのはパッタイだ。最近のタイ料理ブームが自分のなかで来ている。
ひとりになっても「いただきます」だけは欠かさない。両手を合わせてからご飯たちに挨拶をしてから、缶のカクテルを開ける。プシュっと言う軽快な音が疲れを上辺だけ吹き飛ばす。
テレビを見るのは最近していない。もっぱら配信サイトで好きなドラマを見るので、最近のニュースや世間には恐らくついていけていない。自覚がないぐらいには、今何が起こっているか何も分かっていない。
それでもドラマを見ている方が良かった。特に料理ドラマが好きだ。美味しそうな絵面と、優しい話が自分を癒してくれる。
そう。いやなことがあっても、料理が、美味しいものが結局癒してくれるのだ。今日だってそう。だから私は大丈夫。自分の癒し方も知っているし、うまく休めている。
それなのにどうして、とつい、電車のことを思い出してしまう。
寝て、起きたら、また電車に乗らなくてはいけない。そう思うと、生ハムの塩気も少し控えめに感じてしまう。
でも、誰に相談すればいいか分からなかった。ただ、仕事が嫌なだけでしょ、と言われてしまえばそれで終わりだから。あー、そうかも、としか言えなくなってしまうから。その銃弾を撃ち込まれるのが怖くて、誰にも相談できず、私はこの生活を三ヶ月続けている。
何度かネット調べたこともある。急性なんたらかんたら胃腸炎みたいなワードが出てきて、やはりストレスが原因とあった。ストレスとは偉大だ。どんな病気にも直結する。
そのためのパッタイだ。これでストレスを緩和して、せめて仕事以外はストレスがないようにしていた。
けれど、仕事は嫌だが、ストレスを過剰に感じるほど大変な業務をしている自覚はなかった。ほどほどの責任とほどほどの業務量しか与えられていないと感じていた。やりがいはそこまで感じていないが、ストレスを感じるほどの何かはなかった。だからこそ不思議で堪らなかった。
私のストレスってなんだ、と考えると、何も分からない。強いて言えば、生きてて楽しいか疑問に思っていることぐらいことだろうか。それってストレスなのか。きっと違う。
そうして私は、今日も風呂に入って、スマートフォンをいじってから寝た。
私の異変は少しずつ、自分の生活を蝕んでいった。
まずは外出はなるべく控えるようになった。特に電車を使うようなものだ。友人と行くにしても、途中下車しては申し訳ない、というか怖くて堪らないからだ。
それから、そのうちレジに並べなくなった。
スーパーの混んでいる時間帯に買い物をした日だった。前には四人ぐらい並んでいる、この時間帯であれば普通のレジ待ちの列。それなのに、それが怖くて堪らなくなった。
電車と同じだ。
動悸、息切れ、その場に居られなくなるようなソワソワ感。眩暈さえ覚え始めたころ、私は急いでレジから外れてカゴの中の商品を元の棚に戻し、急いでスーパーを出た。まだ動悸が治まらない。どこかに座り込みたいが、そんな場所はないため、ゆっくりゆっくり、いや、少し早足気味に家へと帰った。
家に帰ってまず向かったのはトイレだった。なぜかお腹が痛い気がしてならず、トイレへ直行し呼吸を整えた。脈が速いのが腕に親指を当てずとも分かる。
苦しくてたまらない、死ぬかと思った。あの時、地面に足が着いていないような感覚が、今も脳裏に焼き付いて離れない。
当然のようにお腹を壊しており、今日はご飯抜きが確定した。別にご飯を炊けば、ふりかけぐらいかけて口に入れることはできるが、今日はそれさえも面倒だ。というより、あの恐怖体験がまだ肩を震わせて何もしたくなくなった。
ベッドに横になり、スマートフォンを眺める。
レジ、並べない、と検索すると、いくつか病気の名前が出てきた。それをぼんやりと眺めながら、目の端からスッと涙が出た。
本来なら医者に行くべきなのだと思う。しかし、怖かった。
理由はひとつ。原因が分からないのだ。
心療内科に言って、何を話せばいいのか。仕事も生活も、他の人より重く圧し掛かるほどのストレスらしいストレスはない。
まず、心療内科なんて、行く勇気がない。それでもし、何でもないですと言われるのも怖い。しかし、病気ですと言われるのも怖かった。
途方もない治療が待っているのだろうか。治せない病気だったらどうしようか。熱なら解熱剤で簡単に下がるのに、これは薬を飲めば突然解決するものなのだろうか。
考えれば考えるほど、私は病院に行きたくなくなった。
良くなりたくない訳ではなく、ただ怖いのだ。診療室だって、まともに待てるか分からない。
もし混んでいたら?
きっと私はその時点で死んでしまうだろう。そう考えるとたまらなく怖くなる。先ほどの浮遊感と腹痛が戻ってくるようだ。
こうして、病院にさえ行けない私は、明日は仕事に向かう。これが現実だった。
病院にさえ行けないわたし 萩野 最段 @modamoda6969
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