18:目的と迷い


「ゲホッ……!!」


「ッ……!! 紫土しどくん!!!!」


 大量の血を吐いて地面に倒れ込む紫土くんを前に、思考が停止していた私は慌てて駆け寄る。

 藍白あいしろの隣に立つ彼は、間違いなく紫黒しこくというあやかしなのだろう。それは、紫土くんの反応が証明している。


 攻撃を放つところは見えなかったが、紫黒さんの手に握られた大鎌からは、赤い血が滴り落ちている。

 つまり、兄である紫黒さんが何の躊躇もなく自分の弟を攻撃したのだ。


「な、によ……これ……?」


淡紅あわべに……っ」


「紫土……? それ、アンタがやったの? 紫黒」


 そこに追いついてきた淡紅が、この場の状況を前に混乱しているのがわかる。

 見るからに重傷の紫土くんと、血まみれの武器を持つ紫黒さん。それらを見て事態を理解した淡紅の小刀が、怒りと共に赤い炎を纏う。


「なんとか言いなさいよ!!!!」


 目尻を吊り上げて飛び掛かっていく淡紅を、阻止するために動いたのは藍白だ。青い炎が壁のように広がって、淡紅の攻撃を通さない。

 元いた場所へと着地した淡紅は、額に青筋を立てている。


「退け!! 今はアンタに構ってる暇はないの!!」


「退かしたいなら自分の力でどうにかしたら?」


「この……ッ!!」


 藍白の挑発するような物言いに、怒りの矛先がそちらへ向かう。それを狙ってのことなのだろうが、淡紅は冷静な判断ができなくなっているのだ。

 できることなら私だって彼女に加勢したいが、今は紫土くんをどうにかしなければ。


「紫土くん、しっかりして……!!」


「う、っ……」


 腹部から溢れる血液が、地面に広がっていく。傷口を手で押さえるだけではどうにもならない。

 せめて私の力が、少しでも出血を止めてくれたなら。

 そう思って紫土くんにだけ気持ちを集中させていると、屋敷の方から白緑びゃくろくたちがやってくるのが見えた。

 その背後に追手の姿は見当たらない。あの巨大な妖魔を倒したのだろう。


「依織……! あれは、紫黒か……?」


「……やはり、見間違いではなかったんですね」


 白緑は驚いた顔をしているけれど、さすがはあやかしの上に立つ王というべきか。今やるべき優先順位を瞬間的に頭の中で判断したようだ。

 こちらにやってくると、紫土くんの容態を見て険しい顔をする。


あけ、お前は紫土を屋敷へ運べ。俺が出る」


「承知しました。依織さん、力を注いでくれていたんですね。あとは任せてください」


「……お願いします」


 手を離すのは躊躇ためらわれたけれど、彼が任せろというのだから大丈夫なのだろう。

 紫土くんを抱き上げた朱さんを見送って、私は血に濡れた両手を着物で拭う。

 戦う淡紅と藍白をよそに、白緑が来たことに気がついた紫黒さんはこちらを見下ろしている。


「お前は死んだと聞かされていたが」


「俺の生死など貴様らには関係無い」


「黒幕がお前だというなら、藍白を操っているのもお前か?」


「そう思いたいのなら勝手にすればいい。俺と藍白は、目的を同じくしているだけだがな」


「目的……依織のことか?」


 やはり紫黒さんが彼女を操っているようには思えない。はぐらかすような物言いをしてはいるけれど、それは真実なのだろう。

 そして、彼らの目的の向く先が私ではないようにも感じていた。


「あなたたちの目的は、私じゃない。あの注連縄しめなわなんじゃないの?」


「……!?」


 私の指摘に驚いたのは白緑だ。紫黒さんは瞳を細めたあと、少しだけ唇の端を持ち上げる。


「フン、小娘のくせに鋭いな」


「まさか、お前たちの目的は門の破壊か……!?」


「門の破壊……?」


 その言葉の意味がわからず、私は白緑を見る。信じられないものを見るみたいに、白緑は瞳を揺らしていた。


「その通り。この妖都ようとと人間の世界を繋げる、それが俺の目的だ」


 あやかしの棲む妖都と、私の暮らす人間の世界。

 その二つを繋げることに、どんな意味があるのかはわからない。けれど、それはしてはならないことなのだと伝わってきた。


「馬鹿な考えを……そんなことをしても、破滅の道を歩むだけだ!」


「確かに破滅の道かもしれんな。貴様は王の座を引きずり下ろされるのだから」


「俺がどうなるかは問題じゃない!!」


 白緑がとても怒っている。私が傷つけられた時とはまた違う、その怒りがどこからくるのかはわからない。

 攻撃を受けて私の前に着地した淡紅は、応戦前よりも身体に傷を増やしているのがわかる。


「紫土が……朱だって、みんな悲しんでたのに……生きてたなら戻ってくれば良かったじゃない!!」


 半ば悲鳴のようにも聞こえる、淡紅の訴え。紫黒さんは、どうして帰ってこなかったのだろう?

 再び紫黒さんに攻撃を仕掛けようとする淡紅だけれど、小刀はあっさりと大鎌によって弾かれてしまう。

 藍白よりも紫黒さんの方が強いのだろう。藍白にも勝つことのできない彼女が、紫黒さんに太刀打ちできるとは思えない。


 けれど、白緑と力を合わせれば話は別だ。この妖都で、もっとも力を有しているのは、王である白緑なのだから。


 淡紅が炎を使って先制攻撃をし、防御に転じた隙に白緑が刀で斬り込んでいく。

 さすがに兄と妹では白緑の方が力は上のようで、時に押される藍白を紫黒さんがカバーしている形だ。


(でも、押されてる……?)


 淡紅と白緑の息は合っているように見える。それは相手も同じなのだけれど、どうしてだかこちらの方が劣勢に思えるのだ。

 非情な攻撃を仕掛けてくる相手に対して、二人の攻撃には迷いが見える。


 紫土くんを傷つけられたことに対して、どちらも強い憤りを感じているのは確かだ。

 けれど、敵対しているのは二人にとって、家族であり友人でもある相手。妖魔のように、簡単に消滅させられる存在ではない。


(二人とも、戦いながら抜け道を探してるのかもしれない)


 そんな迷いを、紫黒さんたちは敏感に感じ取っていたのだろう。

 激しい攻防を繰り広げていた四人は、ぶつかり合う攻撃に弾かれて距離を取る。そのタイミングで、白緑と淡紅の周りを黒い液体のようなものが覆った。


「っ、しまった……! 妖力の檻か!?」


「こんなもの、すぐに壊せるわ!」


 液体は柵のような形になると瞬く間に凍りついて、二人を内側に閉じ込めてしまう。

 狭い場所では刃物は扱いにくいようで、炎を使って破壊を試みた檻はヒビが入り始める。それでも、即座に破壊することはできないらしい。


「壊せるだろうが、時間稼ぎには十分だ」


「紫黒、何をするつもりだ!?」


「門の破壊にはまだ時間が必要だわ。どうするの?」


「計画を当初の予定に戻す。この女がいれば、目的には事足りるからな」


「えっ……!?」


 朱さんを呼び戻すべきだろうか? そう考えていた私のすぐ傍で、紫黒さんの声がする。そちらに反応するよりも早く、私は紫黒さんの腕に捕らえられていた。

 抵抗をしようにも、力が強すぎてびくともしない。


「ふざけるな、紫黒! 依織を離せ!!」


「聞けない頼みだ。己の力不足を呪うがいい、白緑よ」


 紫黒さんと私の周りを、黒いモヤのようなものが覆い始める。あの亀裂が現れた時のように、このままどこかへ転移するつもりなのだ。

 どうにか逃れようとした腕から、妖具が払い落とされてしまう。


「白緑……!!」


「依織――ッ!!!!」


 同時に、白緑たちを閉じ込めていた檻が砕け散るのが見える。

 私は白緑の方へと腕を伸ばしたけれど、彼の手が届く前に、私の視界は闇に呑み込まれてしまった。

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