17:思わぬ再会
「
音もなく現れた藍白は、子狐ではなく人の姿をして庭石の上に立っていた。
弾かれたように立ち上がった
屋敷の外とはいえ、敷地内であるにも関わらず彼女の侵入を許したのだ。周囲に張られている結界は、力の強いあやかしには通用しないのかもしれない。
私は
怒りと、それから困惑。白緑も、妹が仲間に攻撃をしてきたなんて、信じたくはなかったのだろう。
「白緑の結界をすり抜けるなんて、そんなに妖力を蓄えたのか……?」
「兄様の力が弱まっているだけのこと。こんな結界、わたしの炎を使うまでもないわ」
「……!」
淡紅よりも強い力を持っていることは、私もこの目で見ている。王である白緑の妹なのだし、結界を破れるだけの力を持っていても不思議ではない。
そう思ったのだけれど、白緑の力が弱まっているとは、どういうことなのだろうか?
(今は、狐の姿になってるわけでもない。私も力を貸してるはずなのに……?)
藍白の言葉の意味するところが、私にはわからなかった。
「藍白、キミは操られてるんだよ! 僕たちのことはわかる!?」
「アタシを攻撃したこと、今ならゲンコツくらいで許してあげるわ」
武器を構えながらも、紫土くんも淡紅もやはり戦いたくはないのだろう。
言葉での説得を試みるものの、藍白の表情は僅かでも変化が見られる様子はない。
「わたしが誰に操られているというの? わたしは、わたし自身の意思で行動してる」
「そんなの、キミが自覚できてないだけじゃ……ッ!」
「信じろなんて言わないわ。証明するだけだから」
紫土くんの言葉を遮るように、白交じりの青い炎が渦を巻いて広がる。その熱から逃れようと、カラスたちは散り散りに飛び去っていく。
こちらにまで伝わってくる熱気を遮るように、白緑が着物の袖で風を遮断してくれた。
「本当に、操られてるのかな……?」
これまで襲撃してきた妖魔たちは、攻撃以外の意思を持たないか、どこか操り人形のように動いていた気もする。
けれど、藍白からははっきりとした意思を感じるのだ。言葉通り、自らの判断で動いている。
炎が引いていくと、代わりに空間に複数の裂け目のようなものがあることに気がつく。
その裂け目が広がったかと思うと、中から人の姿をした妖魔が現れた。どこからか結界の中に、妖魔たちを転移させたのだろう。
「依織、ここから動くな」
「う、うん……!」
白緑が私を背後に移動させると同時に、妖魔たちが一斉に攻撃を仕掛けてくる。
前衛を務める紫土くんと淡紅が、確実に目の前の敵を仕留めていく。そこから漏れ出た妖魔を、朱さんの錫杖の仕込み刀が襲う。
妖魔の一体ずつは、それほど力が強いわけではないらしい。その証拠に、彼らはほとんど一撃で妖魔を倒している。
ただ、やたらと数が多い。どこからそんなに湧き出てくるのかというほど、裂け目から際限なく妖魔が現れるのだ。
「朱、あれを塞げるか?」
「少し稼いでもらえれば塞ぎます」
「任せる。依織、お前は……」
「大丈夫。行って、白緑!」
こんな時でもこちらを気にかけてくれる白緑に、私は懐から取り出した真新しい
彼らのように複数の敵を相手に戦うことはできないけれど、ただ守られているばかりじゃない。私にだって、できることがある。
そんな姿を見た白緑は、目を丸くしたかと思うと破顔して私に向き直る。
「ハッ、俺の婚約者はいい度胸をしてるな」
くしゃりと頭を撫でられると、こめかみの辺りに白緑の唇が触れた。
「っ……!?」
「すぐに終わらせよう。朱、最速で頼む」
「承知しました」
私の傍を離れた白緑の右腕から、真っ白な炎が噴き上がる。その指先から小さな炎がいくつか放たれたかと思うと、朱さんの周りの妖魔たちが消滅していく。
私の目では捉えきれなかったけれど、恐らく白緑の炎によって倒されたのだろう。
こうして見ると、妖魔を相手に白緑の力は圧倒的だ。
自由になった朱さんの前に道を作るように、白い炎が次々と妖魔たちを消し去っていく。
朱さんの合図で戻ったカラスたちが、妖魔の溢れる裂け目に向かう。そのままドロリと溶けたカラスの群れによって、空間が塞がれていった。
「簡単に終わらせるわけがないでしょ」
あの裂け目が消えれば、残る妖魔を一掃するのに時間はかからないだろう。
しかし、藍白の合図によってひと際大きな亀裂が空間を裂いていく。その中から現れたのは、これまでの妖魔とは比べものにならない、巨大な妖魔。
獲物を狙う動きは鈍かった。すぐに白緑が炎を向けたけれど、消滅するどころか、熱がる様子もない。
「チッ、炎は効かないか」
舌打ちをした白緑が何もない空間に手をかざすと、炎の中から刀が現れる。
朱さんを狙おうとしていた妖魔の腕に飛び乗ると、白緑は思いきり刀を振ってその腕を両断した――かに見えたのだけれど。
「コイツ、まるで鋼だな……!」
「白緑、後ろ!」
巨大な妖魔は炎が効かないばかりか、刀も通らないほどの硬い皮膚に覆われているらしい。そんな白緑の背後から迫る別の妖魔の攻撃を、紫土くんの鎖鎌が防ぐ。
まだ閉じられていない裂け目のせいで、巨大な妖魔にだけ集中することができないのだ。
(……あれ?)
ほとんどは白緑たちが倒してくれるから、妖具を使うタイミングもなく見守っていた私は、違和感を覚える。
確かに妖魔の数は多く、その上で巨大な妖魔の存在に白緑たちは手を焼いている。
けれど、藍白がただ妖魔たちに指示を出して見守るだけというのは、不自然ではないだろうか?
彼女自身もかなり強いのだし、妖魔たちと共に攻撃されれば、こちらはより苦戦するはずだ。
だというのに、白緑たちが戦うのは妖魔だけで藍白ではない。
「さっきまで、あそこにいたのに……」
庭石の上から、いつの間にか藍白の姿が消えている。
視線を巡らせてみると、離れた場所に子狐の姿を見つけた。優勢にも見える状況で、逃げようとしているのだろうか?
(捕まえなきゃ! でも、藍白の標的は私じゃないの……?)
その目的はわからないけれど、今はみんな妖魔を排除することで手一杯だ。動けるのは私しかいない。
彼女の後を追いかけていくと、藍白が目指しているのは湖――大樹のところだった。
「藍白……!」
声をかけた私に
手元からあの青い炎が噴き出したかと思うと、炎が向けられた先は私ではなく大樹だ。その太い幹に巻き付けられた
「やはり、この程度の力じゃ無理ね」
もう一度、今度は先ほどのそれよりも大きな炎の塊を注連縄に向けて放つ。
同じように弾かれたかに見えたそれは、所々に焼け焦げたような黒い跡がまばらに残っている。
「や、やめて……!」
どういうわけか、理由はわからない。けれど、あの注連縄はとても大事なもののように思えた。
私は咄嗟に妖具の数珠を構えると、藍白に向かって光の矢が放たれる。
ひらりと身を
「邪魔しないで。人間なんかに、これ以上奪わせない」
「っ、こんなことしたって、白緑を傷つけるだけだよ……!」
「うるさい、兄様の名を気安く呼ぶな!」
まるで反応を示してくれなかった前回とは異なり、藍白と少なからず言葉を交わすことができている。
操られているのではない。やはり、彼女は自分の意思で行動しているのだ。
「依織ちゃん!」
「紫土くん……!?」
背後から飛び出してきたのは、屋敷で戦っているはずの紫土くんだった。
私と藍白がいなくなったことに気づいて、こちらに加勢に来てくれたのかもしれない。
「向こうもあとはあのバカでかい妖魔だけだ、白緑たちもすぐにこっちに来る。藍白、もう観念しなよ」
「紫土……おまえには、わたしのやろうとしてることがわかるはずよ」
「わかんないよ。友達を傷つける奴の考えることなんか、僕はわかりたくもない」
藍白の言葉をあっさり拒絶する紫土くんは、鎖鎌を構えて戦う意思を見せる。
そんな彼を冷たい瞳で見下ろしている藍白は、それ以上言葉を続けようとしない。
話は終わりだとばかりに、紫土くんが先制攻撃を仕掛ける。けれど、藍白に向けて投げられた鎖鎌は、横から吹き付けてきた強風によって大きく弾かれた。
他にも妖魔がいたのかと身構えたけれど、そちらを見た私と紫土くんは動きを止める。
「あ……にき……?」
空間を裂く新たな亀裂。
そこから姿を現したのは、紫土くんの兄――
次の瞬間、目の前で紫土くんの腹部が大きく引き裂かれる。
私の視界は、飛び散る大量の血によって赤く染められていた。
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