16:次なる目標


「依織さん、先ほどのことは他言無用でお願いします」


 屋敷へと引き返している道中で、あけさんは私にそんなことを耳打ちしてきた。

 先頭を歩く紫土しどくんに、聞こえないようにしたのだろう。先ほどのことというのは、あの黒髪のあやかしのことだろうか?

 私も同じように、声を潜めて応じることにする。


「構いませんけど……朱さん、あのあやかしを知ってるんですか?」


「……ええ」


 特に被害を受けたわけでもないし、誰かに話して回るようなことでもない。

 けれど、わざわざ私に口止めをしようとする特別な理由があるのかと、朱さんに問いかけてみたのだけど。


「あれは、紫黒しこく。紫土の兄です」


「えっ!? 紫土くんの……!?」


「ん? 僕がどうかした?」


 驚いて声が大きくなってしまった私を、紫土くんが怪訝そうに振り返る。

 慌てて自分の口を塞いだものの、意味がないことに気がついて左右に首を振ってみせる。


「ううん、なんでもない! 背中に虫がついてた気がしたんだけど、見間違いだったみたい!」


「そう……?」


 苦し紛れの言い訳だったのだけど、紫土くんはどうやら納得してくれたらしい。

 足元を歩く豆狸に気を取られて、彼はまた前を向いて歩き始める。その姿を確認してから、私は声のトーンを落として朱さんに問いを投げた。


「紫土くんのお兄さんって、亡くなったって聞いたんですけど……」


「ええ、オレもそう認識してます。ですが、あれは紫黒に見えた」


 私はその姿を知らないけれど、思い返せばどことなく紫土くんに雰囲気が似ていた気もする。朱さんがそう言うのなら、きっと間違いないのだろう。

 遠目だったので、他人のそら似という可能性もあるのかもしれないけれど。


「ただ、確実ではありません。曖昧な情報を下手に伝えるのは得策じゃない」


 そう言う朱さんの視線は、紫土くんの背中に向けられている。

 兄弟仲が良かったと話していた紫土くん。お兄さんが消滅したと知った時には、きっと深く悲しんだであろうことは想像に容易い。

 そのお兄さんが生きていたとすれば、間違いなく嬉しいだろう。


 だからこそ、あれが紫黒というあやかし本人だと確証が得られるまでは、ここだけの秘密にしておくべきだという判断は理解できる。


「わかりました。私もそれがいいと思います」


「ありがとうございます、依織さん」


「……ただ」


「?」


 それでもひとつだけ、私にはどうしても納得のいっていないことがあった。

 紫土くんに関することではない。朱さん自身の、役割への考え方について。


「朱さん、さっき言いましたよね。やるべきことをこなしてるだけで、そこに朱さん自身の意思は介在していないって」


「ええ……それが、どうかしましたか?」


 役割だから。その前提ですべての物事を考えているのだとすれば、それはすごく……寂しいような気がする。

 一族で代々、この妖都ようとの王に仕えているのだと話していた。きっと私には想像もつかないような、重要で大変な役割なのだろう。――けれど。


「私はちゃんと、朱さん自身の意思も反映されてると思うんです」


「オレの意思……?」


「役割なのもあるだろうけど、お茶を出してくれたり、白緑びゃくろくのことをいさめたり、私のことも気遣ってくれて……そういうのって、朱さん自身の意思ですよ」


「…………」


「……って、すみません。よく知りもしないのに、生意気なことを言ってるかもしれません……!」


 黙り込んでしまった朱さんに気がついて、私は失礼な発言をしてしまったのではないかと青ざめる。

 あなたのことをよく知っています、なんて言えるほど親しい仲でもないというのに。

 朱さんは優しいから、つい勘違いをしてしまうけれど。もしかすると、気を悪くさせてしまったかもしれない。


 そんな心配をする私をよそに、朱さんは仮面で隠れていない口元に弧を描く。


「朱さん……?」


「これがオレ自身の意思だというなら、それは……悪くないかもしれませんね」


 こんな風に柔らかい雰囲気で笑う朱さんを、私は初めて目撃してしまった。



 ◆



 あの場所を紫土くんが通りかかったのは、どうやら白緑の指示だったらしい。

 どうしても外せない仕事だと言っていたけれど、それは最近の妖魔ようまの動向についてを調査するためだったようだ。紫土くんや淡紅あわべにたちも、それを手伝っていたのだという。

 私の知らないところで、みんなが色々と動いてくれていたのだ。


「捕まえた妖魔の一人が、妙なことを言っていたわ」


「妙なこと?」


「自分は何者かに操られていたんだ、って。変よね」


 淡紅の報告を聞いた白緑は、難しい顔をして何かを考え込んでいる。

 私が妖都に来て以降は、妖魔は敵意をもって襲ってくる相手ばかりだった。その多くは獣の姿をした低級の妖魔だ。

 だから、そういうものなのだと思っていたのだけど。


「妖魔って、最初から悪いあやかしってわけじゃないの?」


「ああ、悪さを働くものをまとめて妖魔と呼んでいる。だが、妖魔にも種類があってな」


「僕たちみたく普通に生活してるけど、魔が差して悪さをするあやかしもいるんだ。人間でいう、不良みたいなものかな」


「そうだったんだ」


 妖魔はすべて悪い存在なのだと考えていたが、どうやらそうではないらしい。

 普通のあやかしが、何かをきっかけに妖魔に転じる場合もあるということなのだろう。


「……仮にその妖魔の言うことが本当なのだとすれば、近頃増えた妖魔の襲撃は、何者かの意図による可能性が高いということか」


 襲撃が増えていることを不審に思っていた白緑たち。自然発生ではなく意図的なものだとするなら、納得できるのかもしれない。

 何のためにそんなことをするのかは不明だけど、人間である私の力を狙っているのだろうか?


「だとすれば、藍白あいしろも操られてたとか……?」


「そうね、それなら説明がつくんじゃない? 可能性はあると思うわ」


 紫土くんたちは、白緑の妹である藍白が攻撃的なあやかしではないと言っていた。

 もしも彼女が操られてあんなことをしたのであれば、その行動も納得できる。


「ですが、そんなことができるあやかしが、この妖都にいるでしょうか?」


「白緑は、心当たりはないの?」


「いや……力の強い者であることに間違いはないが、俺も妖都に棲むすべてのあやかしを把握しているわけじゃない。あやかしは日々どこかで産まれ続けるし、知らず消えていく者もいる」


「白緑様の認知の及ばぬところで、力の奪い合いが起きている可能性もありますからね。数日前には低級だったあやかしが、力を蓄えていることもある」


 王といえども万能ではない。それは、こうした場面でも当てはまることなのだろう。それでも、情報が得られたのなら一歩前進だ。

 悪事を企んでいるあやかしがいるのなら、そのあやかしを見つければいい。


「まずは、藍白の妖力を辿るのが近道なんじゃないかしら?」


「そうだね。藍白の居場所がわかれば、そこにヒントがあるかもしれないし」


 この間と同じように、まともに話をすることはできない可能性もある。それでも、彼女が操られていたのだとすれば、黒幕もきっと傍にいる。

 何より、兄である白緑も一緒なら藍白も反応をしてくれるかもしれない。


「その必要はないわ」


「!?」


 目的が定まったかに思われた時、突如として第三者の声が割って入る。

 聞き覚えのある冷たい声の主。屋敷の外を見ると、庭に青い炎を纏う藍白の姿があった。

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