15:朱というひと


「ここ数日、妖魔ようまの襲撃が増えている。人間がやってきたと噂が広まっているとはいえ、さすがに少し不自然だ」


「今までこんなことはなかったですし、もしかすると、裏で手を引くあやかしがいるのかもしれませんね」


 ここにやってきて以来、何度か襲撃に遭っている。一部は勘違いも含まれているのだけれど。

 だからこそ、妖都ようとはそういうものなのかと思っていた。

 けれど、白緑びゃくろくたちの口ぶりから察するに、どうやらそうではないらしい。


「現状で考えられるのは藍白あいしろだが……そうまでして、依織を狙う理由がわからん」


「私、今日は出歩かない方がいい?」


「ああ。いや……出歩かせたくはないが、役割もある。屋敷に閉じ込めたままにしておくこともできないからな」


 私の問いに即答した白緑は、すぐに難しい顔をして自分の中の何かと葛藤しているらしい。

 今日の白緑は、どうしてもやらなければならない仕事があると聞いている。だから、私が外に出ることになっても彼はついてくることができない。


「いっそ俺の仕事を後回しに……」


「仕事をサボる王なんて聞いたことがないですよ。オレが護衛をしますから、あなたはきちんと自分の仕事をしてください」


「もう少し融通をきかせてもいいんじゃないのか」


「あまり駄々をこねていると、依織さんに呆れられますよ」


 白緑は普段からこうなのだろうか? 流れるようなあけさんの指摘に、白緑はそれ以上を続けられなくなって渋々口を閉じる。

 その後もしばらく私にのしかかっては、仕事に行くのをゴネていたのだけど。最終的には護衛をしてくれる朱さんと共に、私は屋敷の外へ出ることができた。

 十分に注意するよう言い含められているので、妖具ようぐの数珠も念のため両腕に装着している。


 出会うあやかしと少し世間話をする。大半は豆狸だったりするのだけれど。そんなことだけで、仕事をしているというのは未だに不思議な感覚だ。

 たまに不安になって確認をすると、朱さんにはきちんと力を与えられていることがわかるらしい。

 彼が嘘をつく理由もないので、これで問題ないのだろう。


「そういえば、朱さんはずっと白緑に仕えてるんですか?」


 初めて妖都ようとにやってきた時、白緑と一緒にいた朱さん。

 白緑が社長であるなら、彼は秘書のような役割をこなしているのだと解釈している。


「そうですね。オレの一族は代々王に仕えていて、白緑様と……先代の王・白花しらはな様にもお仕えしていました」


「そうだったんですね。じゃあ、朱さんの方が白緑よりも年上なんですか?」


「年月でいえばそうなります。といっても、あやかしは人間と比べても長寿で、あまり年功序列のようなものはありませんが」


「なるほど」


 外見的な年齢でいえば、白緑も朱さんも同年代くらいに見える。けれど、白緑のお母さんの代から仕えていたのだとすれば、朱さんの方が少しばかり年上なのだろうと考えた。


 話す機会は何度もあったのだけど、正直に言えば朱さんのことはあまりわからない。

 優しいお兄さんという印象はあるけれど、いつもどこか本心を見せていないように感じていた。敬語を使っているのも、壁を感じる要因になっているのだろうか?


「でも、朱さんって結構世話焼きですよね。なんだかんだ言いながら、白緑や他のみんなのことを見てくれてる印象です」


「それがオレの役割ですから」


 そう答える朱さんの言葉は、どこか他人事のようにも聞こえる。


「自身のやるべきことをこなしているだけです。オレの性格なんじゃなく、役割をこなすことに個人の意思は介在しません」


「朱さ……」


「依織さん、静かに」


 私が口を開きかけた時、朱さんの手に口を塞がれる。そのまま木の陰に引っ張られると、私は正面から朱さんに抱き締められる形になった。

 状況が理解できず、慌てて離れようとした私の身体は、思いのほか力の強い腕によってさらに密着させられてしまう。


(ど、どうしよう……!?)


 天狗の半面を被っているとはいっても、目の前にいるのは紛れもない異性。朱さんが近すぎて、顔を上げることができない。

 突然のことに混乱していた私だが、朱さんの錫杖しゃくじょうを握る手に力がこもったことに気がつく。

 指先の動きに合わせて、錫杖の柄から刀身が覗いたのが見えた。


(もしかして、妖魔がいる……?)


 考えてみれば、朱さんが私を抱き締める理由なんてない。私にはわからない妖魔の気配を察知して、咄嗟に身を隠したのだ。

 安心して力が抜けそうになったけれど、安心している場合ではないと気を引き締め直す。


 護衛役を買って出てはくれたものの、朱さんは本来、戦闘向きのあやかしではないと聞いていた。

 腕力よりも頭を使って立ち回る人だからこそ、気配を察知する能力が高い。逆にいえば、淡紅のように真っ向勝負で戦うやり方は向いていないのだ。


「やり過ごせればそれに越したことはない。すみませんが、少し我慢してください」


「は、はい……」


 至近距離で囁きかけてくる低音が心臓に悪い。

 もしも相手が複数であったり、力の強いあやかしだったりすれば厄介だ。朱さんに任せきりではなく、私も応戦しなければならない。

 緊張に汗ばむ手で数珠を握った時、朱さんの掌が私の背をそっと撫でた。


「大丈夫です」


「え……?」


「心配しなくても、依織さんはオレが必ず守ります。白緑様のめいですから」


 不安が顔に出てしまっていたのだろうか?

 私を安心させようとする朱さんの声音は、とても優しい。けれど、同時に違和感も覚えてしまう。


 自分の役割を淡々とこなすだけだという朱さんは、今この瞬間も、自分の意思では動いていないというのだろうか?

 もしもそうだとするのなら、朱さん個人の意思はどこにあるのだろう?


(あれ……?)


 そんなことを考えていた矢先、前方の茂みの向こうに人影が見えたような気がして顔を上げる。

 紫がかった黒髪をした、見たことのないあやかし。朱さんが感じたのは、あのあやかしの気配なのかもしれない。


「朱さん、あの人……」


 私が気がついて、朱さんが気づかないはずはないのだけど。

 潜めた声で問い掛けようとした時、朱さんの視線はすでにそのあやかしの方へと向けられていた。

 耳飾りが揺れて、仮面の奥に見える朱色の瞳が大きく見開かれている。


「……どう、して……」


「……朱さん?」


 恐怖や怯えというよりも、その反応は動揺しているように見える。まるで、信じられないものでも目にしているみたいに。

 私を抱き締める腕の力が強まって、痛みを感じるほどに息苦しい。


「っ、朱さん……苦しいです」


「……! すみません、大丈夫ですか?」


「はい、でもあの人は……」


 私の声が届いたらしい朱さんは、すぐに腕の力を緩めてくれた。

 小さく息を吐き出して、再びあのあやかしの方へ視線を向けようとした時。私たちのすぐ傍で、小枝を踏む足音がする。


「ッ……!!」


「あれ、キミたち何やってんの?」


 隙を突かれたのかと身構えた瞬間、目の前に現れたのは紫土しどくんだった。

 きょとんとした顔をして私たちを見る彼は、特に他のあやかしの気配を感じている様子はない。


 もう一度振り向いた先に、あのあやかしの姿はなくなっていた。どこへ行ったのかはわからないけれど、少なくとももう近くにはいないようだ。

 こちらに気づくことなく、別の場所へと移動をしたのかもしれない。


「……朱さん」


「屋敷に戻りましょうか、依織さん」


「?」


 同じように視線を向けていた朱さんは、私を解放するといつもの調子に戻っていた。

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