第12話

「おいっ、おむぐっ」

「はぁ、んっ、すきぃ……」

「聞けよっ、むぐ……」

 誰だよ、いってらっしゃいにはキスが付き物とか言ったやつは。おかげで毎朝もんもんとしながら過ごすことになった。

「好きらよぉ……」

 蕩けた顔に、蕩けた声。

 朝から出すもんじゃないだろ、なんて思いながら拒否できない俺は、理性の弱い男なんだろうか……。




「最近、薄い」

「は?」

 いつもの屋上。昼の日光を浴びながら、お弁当を食べている。ここ最近の詩姫の料理の腕はうなぎのぼりだ。

 そんな詩姫の、なにやら怒っている様子に俺は困惑していた。薄いって何がだよ、陰か? コイツに限ってそんなことはないか。

「僕たちさぁ? 付き合ってて、結婚を誓い合って、き、キスもして……」

 そこで頬を赤く染めるのはなんでだ?

 そこで恥ずかしがる意味が分からんな……それ以上のことなんてザラにしてるってのに。

 頬を赤く染めた詩姫はタコさんウィンナーを箸でつつきながら、赤い頬を膨らましていた。

「僕はもっともっと、君と好き好きしたいのにさ」

「……そんなキャラだったか?」

 俺がそう言うと、詩姫はガーンなんて擬音が合いそうな顔をしていた。なにがそんなに気に障ったかね……。

「……初咲までそんなこと言うんだ」

「失言だった。謝る」

 そういやコイツ、王子様っていうレッテルがそんなに好きじゃないんだったな。

 それを彼氏の俺に言われたら嫌だろうし、さすがに俺が悪い。

「この際だから言えるだけ言っとく。俺は詩姫と色んなことするの好きだぞ」

「……色んなことって?」

「そりゃあ……」

 ……こんな場所で言えるかよ、なんて思ったが、言えるだけ言っとくか。恥をかくならパッとかいてサッと笑われよう。

「ハグ、キス……好きって言い合ったり、繋がったり……」

「そ、そうかい? 僕とそういうことをいっぱいしたいわけだ」

「そりゃそうだろ」

 俺はたぶん、俺が思ってるよりも、そしてコイツが思ってるよりも詩姫のことが好きだ。

 できるなら、好きなだけひっつきあいたいくらいに。

「俺は詩姫が大好きだからな」

「……そ、そそそそうかぁ」

 顔がさっきの比にならんくらいに真っ赤になっている。言ったら言ったでそんなに可愛い顔しやがって。

「……じゃ、じゃあまずは。はい、あーん」

 頭がショートしたのか正常な動作の結果の行動なのか。まぁ、食べさせてもらうのは嫌いじゃないからいいけど。

「あーん」

 もうこうなりゃ、こっちもやけっぱちだ。

 周りの目を極力気にせず、そのままあーんを受け入れる。詩姫は、俺が食べているところを幸せそうに見つめている。そんな視線がくすぐったい。

「美味しい?」

「お前が作るもの、なんでも俺好みで怖い」

「そりゃあそうさ。君のことを調べて作ってるんだからね」

 スマホの画面を俺に向けてきたと思えば、スマホには文字がずらりと羅列していた。

 『初咲は甘い卵焼きが好き、初咲は少し濃いめの味付けが好き。でも疲れている時はサッパリしたものが……』

「こんなに調べてるんだよ。どうかな? 僕に胃袋、つかまれちゃった?」

「……この初咲きゅんってのはなんだよ」

 羅列された文字の中に混じっていた、『初咲きゅんは可愛いから甘いお醤油が好き』 という文字。

 なんていうか、見ちゃいけないやつだってことは分かる。

「……な、なななんのことかなー」

「無理があるだろ」

 その反応じゃ自白もいいとこだろ。……わざとなのか、天然なのか。まぁ後者だろう。

 そんなところが可愛いっていうか、俺も大概だな。

「……呼んでみてくれよ」

「ふぇ?」

「初咲きゅん、ってさ」

 さすがにこのままだと可愛そうだから、これで痛みわけだ。……まぁ、痛み分けになってるかは知らんが。

「そ、そんな恥ずかしいことできるわけ……!」

「呼んでくれないのか?」

「……よ、呼ばれたいの?」

 呼ばれたいっちゃ呼ばれたい……まぁ、興味本位だが。

 それに痛みわけも兼ねてるわけだし、ここは俺も血を吐く覚悟でいくしかない。

「呼ばれたいよ……し、詩姫ちゃん」

「っ! ふへ、うぇへ……」

 たった一言ですっかり蕩けた顔になり、よく分からない笑みを浮かべていた。

 まぁ、喜んでいるなら何より? ていうか俺のことも呼んでくれよ。

「ほら、俺にも」

「ふぇっ!? えと、初咲きゅん大好き!」

「……そこまで言えとは言ってない」

 不意打ちで好きだとか言われると困る。こっちだって耐性付いてるわけじゃないから、心の準備をしてないと普通に面食らう。

「初咲きゅん、初咲きゅん……えへへ」

「満足したよ、もういいって」

「ダメだよ。君が呼んでほしいって言ったんだからさ」

 周りの目は、さっきから俺だけを刺すような視線で見てくる。なぜか詩姫に対しては微笑ましい視線が向けられていた。ふざけんな。

「僕の大好きな初咲きゅん、だいすきだいすき」

「……わかったから、もういいから」

 口をへの字に曲げて、照れ隠しに詩姫の手から箸を奪いとる。

 卵焼きを掴んで、詩姫の口の前に運んでやった。それを見た詩姫は、小首を傾げてニッコニコの笑みで見つめてくる。

「あーんしてくれるの? 初咲きゅん」

「……お前、帰ったら覚えとけよ」

「えへへ、何されちゃうのかなぁ」

 何をするかっていうより、お前は家に帰ったら絶対思い出して恥ずか死ぬだろ。

 それと、俺も恥ずかしかったからあとでお仕置きしておこう。

「えへへ、えへへ」

 ……まぁ、コイツが幸せそうならいいけど。


 で、冒頭に戻る。

 調子に乗ってるのか、詩姫は毎朝毎昼毎晩、いつ何時だってイチャイチャできそうならしてきた。

「はな、ぷぐっ……離せって」

「ひゃっ」

 肩を掴んで詩姫の身体を引き剥がす。急に突っぱねられて、詩姫は不安そうな目で俺を見ていた。

「嫌? 嫌だった? 僕、初咲に嫌われたくないよ……」

「だかっ……ああ、もう」

 縋るような瞳が、あんまりにも心の痛いところをついてくる。心細い声も相まって、目の前にいるのが捨てられた子犬にすら見えてきた。

「俺はな、お前が大好きだって前から言ってんだろ」

「でも、僕のキスが嫌だから離れろって……」

「何時間でも何回でもしろよ。俺はされるの好きだからな。でもスマホ、見てみろよ」

 恥ずかしいことを一息に言い切って、大事なことを最後に言い聞かせる。

 スマホを見た詩姫は、涙を溜めていた目を大きく見開いていた。

「ち、遅刻……!」

 焦る詩姫の手を、俺はため息を吐きながら取る。

 引っ張りながら、少し早足で通学路を歩いていく。

「さっさと行くぞ」

「ね、ねぇ。何時間でも何回でもって……」

 こういうことばっか覚えてんだから嫌になる。コイツは人の揚げ足というか失言というか、黒歴史をほじくり返すのが好きなのか?

「好きにしろよ。帰ってからな」

「……し、初咲はされて嬉しいんだよね?」

「……ッ」

 コイツ、サドか? ていうよりは、心配症か。

 まぁ、一因は俺にもありそうだ。俺が理由もなく唐突に、一緒に飯を食うのやめるって話をしてからだろう。

 自分のツケは自分で払う。そのくらいはしなきゃ、詩姫の隣に立ちたくない。

「嬉しいよ、愛してるよ。詩姫が一番好きだ!」

 恥ずかしげもなく言ってみれば、どことなくスッキリした。詩姫も同様、嬉しそうなスッキリした顔でいた。

「……僕も大好き!」


 濃いも薄いもないとは思ったが、こうも正面から好意をぶつけられちゃ否定できなくなる。

 全く恥ずかしい話だが、これで何度目かの恋に落ちた。

 淡くて、甘くて……たぶん、一生訪れる恋の一つに。

 


 

 

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