第7話

「ねぇ、ねぇ」

「……なんだよ」

「好きっ」

 家についてからずっとこの調子だ。いったいこれで何回目の好きだろうか。名前を呼んだり、こうやって話しかけてきたり、トントンと肩を叩いてきたり。そして決まって、にへらと笑いながら「好き」 とか言ってくる。

「わかったって。何回目だよ、それ」

「何回だって言いたいんだ。ずっと言いたかったからさ」

 こんなことを恥ずかしげもなく言ってくるあたりが、コイツが王子様たる所以というか。まぁ、こうして緩みきった笑顔を見てると、王子様なんて思えないけどな。

「好き、僕の大好きな初咲、だいすきだよ」

「……俺もだよ」

 ソファで隣同士に座っているというのに、コイツはグイグイと顔を近づけてくる。一体なにがコイツをそこまで動かしてるんだ。

「ほんと? どれくらい好きなんだい?」

「世界一」

「じゃあ僕の勝ちだ。僕は君のことが宇宙一好きだからね」

「なにを張り合ってんだよ……」

 子供っぽいこと言ってんな……。でも、こういう子供っぽいことをしてくるのも、甘えてくれてるってことなのかもな。

 そうと思うと、こんなお子様ムーブも可愛く思えてきた。試しに頭をポンポンすると、嬉しそうに目を細める。

「もっとぽんぽんしておくれよ。君に触られると幸せになるんだ」

「変な体質……」

 なんて言ってるが、俺も詩姫に触ってると幸せになる特異体質だ。

 今、俺たちは部屋でのんびりと過ごしている。俺の部屋にお呼びしたのだが、こうして詩姫が部屋に遊びにくるのは何年ぶりだろうか。

「ちょっ! コウラぶつけんなよ!」

「ふふーん、やっぱり僕には敵わないねぇ〜」

 鼻歌を歌いながら、猿のキャラクターが乗ったカートをたくみに操っていく。

 ゲームでもスポーツでも敵わない、昔からそうだった。いつも負けては煽られ、悔しがっていた。

 でも、今はなぜかこんな状況が、とても嬉しくて仕方ない。

「ねぇねぇ。僕に勝てたらなんでも言うことを聞いてあげるよ」

「なんでも?」

「うん、なんでも。一つだけね」

 ……コイツ、自分がなにを言い出してるかわかってるのか? 

「ま、僕は負けないけどね?」

 得意げにしている詩姫だが、コイツはまだ知らなかった。

 俺が、このゲームをちまちまと特訓していたことを。



「な、なんで……」

「ま、あの頃から成長したってわけだ」

 俺の圧勝……とまではいかないが、ギリギリ勝てた。まぁカッコよく勝ちたかったが、勝ちに変わりはない。

 未だに納得できないという顔でクッションに座っている詩姫だが、俺がしつこく無言の圧力を送っていると、向こうも折れた。

「……わかった、なんでもいいよ。えっちなことでも、それ以外のことでもね」

「えっちなことはお願いしないぞ」

「もったいないことするね?」

 意外、みたいな顔すんな。怒るぞ。

「嫌がるようなことをお願いしたくないんだよ」

「……嫌がるわけないのに」

 ……そうやって、変なことばっか言うのやめろってのに。

 理性と欲が早撃ちガンマンを脳内でしている。勝負はどうやら理性が勝ってくれたらしいので、常識的なお願いをしてみた。

「ご飯、作ってほしい」

「そんなことかい……」

 なんでお前が残念そうな顔してんだよ。普通のお願いだろうが、普通の。

 本当に可愛いことしかしてこない。コイツは理性に悪すぎる。

「本当にいいんだね? ほんとのほんと?」

「……」

「迷うくらいなら本音を言いなよ。なんでもしてあげるから」

「……迷ってない」

 頑なな俺に、詩姫はむすっとした顔で怒っていた。そんなに変なお願いされたかったのかよ……。

 呆れていると、詩姫はなにかを思いついたのかニヤリと笑っていた。嫌な予感しかしないので、この場を立ち去ろうとしたが、時すでに遅かった。

「なら、お試しをさせてあげよう」

「お試し?」

 お試しも何も、お願いは一つだけだっただろう。ただ、それを言ってしまうとお試しとやらはできなくなる。

 狙ったわけではないが、俺は黙ったままでいた。

「んむっ!?」

 黙るために閉じていた口を、無理やり塞がれる。詩姫の唇で。

 思わずギュッと目を瞑ってしまう。詩姫が離れたころを見計らって目を開けると、からかうよな笑みを浮かべる詩姫が俺を見ていた。

「まるで女の子だね?」

「いきなりだったからだ」

 顔が熱いのを抑えきれない。恥ずかしさに身悶えしそうだが、そんな生娘みたいなことしたら、なおさらからかわれる。

「それで、お願いは?」

「……えっちなほうでお願いします」

「正直な初咲は、だいだい大好きだよ」

 恥ずかしげもなくそんなことを言って、また口を重ねてきた。

 と思えば、口の中に異物が入ってきた。ヌメリとしていて、まるで生き物のような。不快じゃない、むしろ気持ちよくて、もっとしてほしいと願うほど。

「……ぷあっ。気持ちよかった?」

 ぺろりと口の端を舐める詩姫。生き物だと思っていたなにかは、詩姫の舌だった。

 血色の良い舌が俺の口を蹂躙していた、そう思うと今更ながらに顔が熱くなってくる。

 けれどそれ以上に、俺はもっと欲しいと思ってしまった。

「まだ、足りない」

「ふぇ? だ、ダメだよ。一回だけって……」

「もっと詩姫が欲しい」

「そ、そんなこと言ったって……」

 後退りして俺から逃げようとする。それを俺は、肩を掴んで引き寄せる。

 言葉を交わすのはなんだか無粋な気がして、声を出さなかった。もしかしたら、出せないほど緊張していただけかもしれない。

 お互いの息が触れ合う。顔の、肌の熱を感じる。華奢な肩がビクリと跳ねる。

 詩姫が目を、瞑る。肩から手を離して、お互いの手と手を繋いで、指を絡める。

 お互いの世界に、お互いしか存在しない。感じるのは、熱と鼓動。

 もうぶつけあうまで、収まらない。


 その時だった。


 ガチャンと、玄関のドアが開く音が響いた。どうやら俺の親が帰ってきたらしい。

 お互い、驚いて肩を跳ねさせる。これからって時に……なんて残念な気持ちと、どこかホッとする気持ちが複雑な絡み合う。

「……ちょ、ちょっとだけなら間に合うかも……」

「バレたら面倒だろ」

「で、でもぉ……」

 甘える声が耳をくすぐる。俺のことが欲しくてたまらない、そんな顔をしてくる。

 俺だって我慢してるのに、コイツはほんとに理性に悪い。

「……10秒だけな」

「や、やった! 早く、早くして?」

 そんなおねだりをしてくるわけだから、10秒だけで収まるわけなくて。

 親にバレかけたのは、また別の話。

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